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「また、負けたー」


感情のこもってない、奇妙な低い声が無人の廊下に響く。

目の前の壁には、三日前に実施された学年テストの総合点ランキングが記された紙が貼られてあった。

上から二番目、二位の文字の横には自分の名前である日下部 朱兎の文字。そのひとつ上の一位には雪花 香織という、まるで雪原に咲いた唯一の薔薇のごとき華やかな名前がある。

これと同じ名前は、前回のランキングでもまったく同じ位置にあったはずだ。つまり、俺は二回連続で雪花という人物に頭脳で負けているのだ。

私立高明原高等学校。この学校では年に四回、学年テストなる特殊な催しが存在する。

一年から三年という学年レベルの隔たりなく、己の学力のすべてを競い合う、文字通り全霊をかけた勉強のぶつかり合いである。出題範囲や問題の数も容赦がなく、頭がイカレている天才たちにとっても申し分ないものだ。

おおよそ一分ほどその張り紙を見つめていると、後ろの教室のドアから無機質な囁きが聞こえてきた。


「英才教育と体罰を併せて受けてる人間ですか、君は」


「あは。なにそれ、おもろ」


傍から聞けば独特で難解な言い回しで、俺から聞けば面白い例えでこちらにやって来たのは、赤い縁の眼鏡をかけた高身長でスタイルの良い、学年テスト三位の葉月 遥人。

今のは、そこまで点数が高いのに、感情を失ったような反応を取るということは、あまりに酷い家庭環境でも患っているのか、という例えだろう。

中学時代、俺と同じ文学研究部だった遥人は無数の語彙を持っており、論文や作文を書かせると、毎度のごとくおぞましい作品を完成させている。

この高校時代では生徒会長の書記を務めている彼だが、俺は生徒会長で、あと二人の幼なじみが副会長と会計なのである。

無論、その二人のランキングもトップクラス。

天下の生徒会長様様──なのだが、そのすべてを出し抜き、期待の新星と噂されているのが一位である雪花さん。

その姿を見たことは無いが、とてつもない美貌と有り得ないほどのIQの所持者らしく、現代のアインシュタインとも言われているほどだ。

あの変態スーパー科学者に比べれば、今の人類など愚劣極まりないはずだが、この学校の他ならず近所でもそう噂されているあたり、類を見ないレベルの手練なのには変わりない。

クラスメイトの情報網によると、雪花さんは二年生で、俺のひとつ下の学年だ。

是非とも生徒会の庶務の枠にでも入れたいものだ。あの枠は毎年空きが発生し、誰も投票しようとしない。名前的にも地味そうなのは分かるが、学校を成立させるための一組織なのだから、もう少し真面目に考えて欲しいものだ。

それはそうと、なぜこの夕焼けの半身が山脈の尾根に溶け込んでいるような時間帯に、俺と他数名が学校に残っているのか疑問に感じる者も多いだろう。

それはもちろん、生徒会の仕事を四六時中頑張っているから──そして、それが終わったたった今、放課後に図書室に出現するという現代のアインシュタインと遭遇するためである。

俺の考えをいつも通り看破したのか、遥人が「はやく行きましょうよ」と念を押すように俺の肩に触れる。


「よし行くか」


俺たちは静かな廊下を歩き始めた。

とは言え、図書室は生徒会室のすぐ隣だ。十秒程度歩けば到着する。

そーっとドアを開けると、人気のない、無数の本棚が規則正しく並ぶだだっ広い部屋が視界に広がる。

見渡す限り本と机と椅子。そして俺と遥人は、いつものように哲学の本を手に取らぬよう我慢しながら、アインシュタイン(大嘘)を探し始める。

まずはプランその一。

幼い頃、大きなショッピングモールで親を探す時に誰しもが実行する、端から端まで歩いて見渡す作戦。

棚がいくつも並んでいて、探す対象がそのうちのどれかを眺めているのならば、端から一斉に見回ったほうが圧倒的に手っ取り早い。

俺は無言で図書室の端っこまで歩くと、カニのような動きで反対の端へと小走りしながら、部屋全体を埋め尽くす棚の隙間をじっくりと観察した。

無論、見つからない場合もある。こちらからでは見えない、ちょうど棚と後ろにいる対象者の容姿が被った瞬間。

ならば、今度は部屋の奥に行き、そちら側にある椅子などを見ればよい。

プランその二。

部屋の奥まで静かに歩き、反対側である広場に視線を移す。

皆が本を読むために設置された、円卓状の大きな机。その横にある一人用のソファに、ひとりの女子生徒が座っていた。


「あ⋯⋯」


思わず、よく分からない声が零れてしまう。

へそのあたりまで伸ばされた、真っ黒で、砂漠のようにサラサラとした長髪。

薄桃の二本のヘアゴムが、耳の上で髪を束ね、曝け出された皮膚からは純白の輝きが、その人間とは思えない馬脚をこれでもかと言うほどに表現している。

女子用の白いセーラー服の胸ポケットには、雪花 香織と記された名札を付けており、その上に重ねる形で、可愛らしい犬のキャラクターのバッジ。

無彩色にも思えるその双眸はしかし、青色巨星のごとき力強さを併せ持つ輝きを燦々と靡かせていた。

女神の御手と錯覚してしまうほどに、一切の日焼けや汚れを許容しない、その手が、指が、持っていた本のページをひらりとめくる。

それにより、停滞していた空間の時間がようやく動き出していた。

数千年間手入れされて来たかのような宝石──ではなくその両眼が、ついに俺と遥人を捉える。

女子生徒は、一瞬視線を本に移すと、開いていたページをしおりを挟み、本を閉じた。

そして立ち上がり、その本をソファに置いたかと思いきや、急に俺たちに最敬礼をした。


「こ、こんにちは、日下部会長、葉月書記。二年三組二十七番、雪花 香織です」


生徒会の連中に、ましてやひとつ上の先輩に対する態度が思いつかなかったのか、最も無難で、尚且つ学校生活において最も常識外と思われるような口振りで、その女子生徒、雪花 香織は俺たちに畏まった表情で頭を下げていた。

遥人が対応しようと一歩前に出たが、その前に俺が口を開いていた。


「⋯いや、そんな言い方はやらなくていいよ。面倒だろ」


⋯。

⋯⋯。

そうじゃなくて、決め台詞のひとつやふたつでもぶっ放せよ。

と、自分で自分を突っ込みつつ、雪花さんが余計に畏まりそうだったので、俺が台詞を考える前に遥人がその頭脳を駆使して先に喋り出す。


「はじめまして、雪花さん。僕のことは遥人、そしてこのマヌケは朱兎とでも呼んでください」


なるべく優しくするように、普段中々笑わない遥人が微笑みを覗かせながらそう言う。

こういう時は優男だよな、と思いつつ、俺は馬鹿キャラを演じるようにわざとらしく後頭部を掻いた。


「い、いえ、そんな失敬な」


しかしそれでも、雪花さんは焦った表情で一礼した遥人を止めるように両手を翳しながら慌てふためく。

俺は土下座でもしようと思ったが、生徒会長として恥なので適当にカッコつけることにした。


「礼儀なんて気にするもんじゃないさ。気にするとしても、俺たちがそうする状況だぜ、今は」


だって、めちゃくちゃに可愛い子が居たら気になるじゃん。

下心丸出しにも関わらず、雪花さんは目を丸くすると、その後に「ふふっ」と微笑んだ。

その場に花が咲いたとしか思えない。なんなんだ、この女神。

非常に頭が良い俺と遥人(自画自賛しているわけではない)だが、雪花さんとかいう女神を前にするとその実力は無に帰される。

これこそ不条理である。鍛えに鍛えてきた至高の自分自身が、こうも呆気なく打ち負かされるとは恐れ入った。

本来ならば、涙を流しながら地団駄を踏むところだが、なぜか雪花さんを前にすると、憤りなど微塵も感じなくなる。すべてを包み込むかのようなその安心感が、この図書室を覆っているのだ。

俺は左手で前髪を掻き上げ、右手をポケットに突っ込み、わざとらしく左脚の膝を曲げる。

荒々しい性格のイケメンがよくやるポーズである。

とは言え、これで一目惚れするのはあくまでアニメの世界での話。俺はこの女神に一目惚れどころか、噂を聞いただけで興味を唆られ、無知惚れしていた⋯それに対して、雪花さんは俺のポーズには何も言わなかった。

いや、さ。なんか反応してよ。

と、子供じみた愚痴を脳内で漏らしつつ、そろそろなんのために俺たちがここに来たのか、明確な理由を言わなければ、ただ気まずい雰囲気が漂い始めてしまう。

無意識に俺は、本題に入るため、浅く呼吸し、再び喋り出す。


「雪花さん。俺のことは朱兎って呼んでくれ。君の噂は学校中から聞き及んでいるんだ。そのあまりにも人間離れした美しい御姿、恒星のごとき煌めかしい双眸、そして人智を超越した天使の合唱のような声色、極めつけは現代のアインシュタインと言われるほどの無類の頭脳──ぜひとも、我が生徒会の唯一の空き枠、庶務として君臨していただけないだろうか。無論、常に数名の筋肉質の強力な護衛をつけ、汚らわしい下級階層の愚民どもが近付かないように手配しよう」


「独裁者みたいになってますよ。この場でそのノリはやめてください。と言うか、生徒会長ともあろうものが生徒を愚民呼ばわりするのはもはや会長の資格無しでしょう」


呆れたように遥人が突っ込んできた。

あぁ、確かに。流石に元小説部エリートの俺は、どうやら独裁国に流れるような凄まじい演説を解き放っていたらしい。

現代を生きる若者からすれば「何言ってんだこいつ」で片付けられるオチだが、しかし雪花さんは意外にも冷静な表情で、しっかりと俺の言葉を聞いていた。


「日下部会長、葉月書記。私はあなた方のような素晴らしい人物に出会えたことを、この上ない幸せだと体感しております。あたしがこの学校に入学した当初から、常に生徒会のトップとして君臨していたあなた方を、あたしは常に畏敬しています。生徒会の、ましてや庶務という書記や会計にも並ぶような天賦を与えてくれるのは末恐ろしいほどの幸福感と未知を得られますが、それと同時に、あなた方のような、神々しくも幻想的な容姿を有する、生徒会という名の神界の番には到底頭を上げられません」


な、な⋯なんという語彙力だ、この女神。この状況で、この刹那に、これほどまでの文章を思いつき、一度も間違えることなく言い終えるとは。

流石の遥人も驚いたようで、感嘆の息を零していた。

いや、これは想定外だ。とても頭が良いとは噂通りなのだが、通常、テストの点数が高い者は、少々抜けている部分が多いのだ。

いくら点数が高いと言えど、今まで遭遇したことが無いような状況に出会せば、慌てて何を言えばよいのか分からなくなる──きっと、そんな人間が多いのだろう。俺たちを除いて。

そう思っていたが、その考えがこの瞬間に、一撃で玉砕されてしまった。

この会話も、常人からすれば単なる芝居か、あるいはとてつもなく痛々しいものにしか感じられないのは一目瞭然。

だが、自分たちがこのような話をしているということはどうでもいい。

今は、眼前のこの少女が恐ろしく、絶大な存在だということしか感じられない。


「あなたは⋯もしや、文学概論を読んだことがあるのですか?」


遥人が言う文学概論とは、昨年様々な賞を獲った天才心理学者秋河 鮏奈の著本であり、語彙力を鍛えるために描かれた本と言っても過言では無いほど、凄まじい国語力で練り上げられた、文章好きには堪らない一本である。

それを読んだが最後、その者は永劫に文章好きという変質な癖を無理やりねじ込まれてしまう。

俺も遥人も、そして生徒会のほとんどの者が独特な喋り方をするのも、すべて文学概論のおかげである。

その代償として、一般生徒からは多少煙たがられている。

痛いやつと思われても仕方がないのかもしれないが、他人の目など気にする余裕はない。俺たちからすれば、スマホとゲーム、そしてパートナーにしか目が行かない人種のほうが本来の人間の在り方を否定している気がしてならない。夜の海とか行けよ。孤独を味わうのが生き甲斐ですわよ俺様。

遥人の問いに、雪花さんは閉じていた本を見せた。

タイトルは文学概論。今まさに読んでいたというのか。


「えと、自分で買って読むのもいいんですけど、お金が無くて⋯」


どこぞの貴族のお嬢様にも劣らない美しさに対して、金欠とは珍しい。

だが、文学概論は少々お高い。税込二千四百三十二円と、高校生の財布には少しダメージが大きいのだ。

四百ページとそこそこの文量だが、内容の濃さはそこらの小説とは文字通り桁と格が違う。それが学校の図書室にあるとは、流石に歴史ある神聖な高校なだけある⋯それも、この高校は先々代の生徒会長の叔父のものだったのだ。

生徒会長を務めるものは、校長と同程度の権力を有する、という謎なルールが設けられたため、エリートの中でも激選されたエリートでしかその地位を手に入れることができない。

周りとは異なる、少し特殊な設立を通ったゆえのものか、この学校は自由度が比較的高い。現に、生徒会長の座を握っている俺はほぼ何でも出来る状態にある。とは言え、客観的に見たうえでの判断なのだから、順当に言えば、スマホが使えるようになるだとか、現代の若者が厳しいと思うような校則を緩くするだけだ。

無論、他にも出来ることは色々あるが、今は進んでそうしようとは思わない。

生徒会のために用意された部屋が優雅すぎて、それに満足しているからだ。

先代の者が自腹で用意してくれた無数の備品。エアコンが常に働いているのはもちろん、ドリンクバーやキッチンなんてものもある。

学校に存在していいような部屋ではないが、それほど生徒会のレベルが高いと言うことを表しているのだ。その分、掃除が飲食店のアルバイトレベルで大変なのだが。

まぁ、金欠と言うのなら仕方がない。ここはひとつ、生徒会長としての尊厳を見せつけてやろうではないか。


「じゃあ、その本、欲しいなら買うよ」


と言いつつ、左のポケットを軽く叩く。

中には財布が入っているが、昨日バイト先で六万七千円という大金なる給料を貰ったばかりで、つい調子に乗ってしまう。

しかし、可愛い女の子のためには金を払うことが絶対という風潮が固定されつつある世の中、俺には何の痛痒にもならない。

なぜならば、雪花さんは可愛い女の子ではなく、何よりも美しい女神なのだから。


「えぇっ、そんな、あたしごときに勿体ない」


なにが勿体ないのか分からないが、雪花さんは自分を鍛えるためにあの本を読んでいるのだとして、ならばそれを手伝う他の手段は無い。

俺含め、生徒会のほとんどの者は文学概論を自分で購入している。俺が薦めているわけではないが、副会長による宣伝の影響だろう。


「これも副会長のためだと思ってさ」


半ば無理やり買わされるように念押ししてみる。立場的に考えても、初対面なのだからもう少し謙虚に接したほうが良いはずだが、俺は何処と無く、この上ない興奮と期待を隠し切れなかった。期待されている素晴らしい人材が、どういう結末に行き着くのか。せめて残りの学生生活の中で、その一部を少しでも知りたいとでも思ったのだ。

副会長の草木原 倉希ことくーチャンは神出鬼没で、生徒会室にもあまり来ない。出席状況が悪いというわけではなく、いつも屋上で寝ているだけなのである。

屋上には自分で設置したハンモックとパラソルがあるとか無いとか。

滅茶苦茶に身勝手な性格ではあるものの、遥人と同じく幼なじみなので、多少は許容している。しかし、距離感がバグっている。一度会えば中々離れてくれないのだ。仲良しなカップルに見えるとしても、俺にそういうつもりは無いのでやめてほしい。ちなみに倉希がくーチャンなのに対し、俺はあークンと呼ばれている。恥だろこれ。


「彼の誘いを無理に受ける必要はありませんよ。ここでゆっくり読みたいなら、そうするべきでしょう」


遥人が余計なことを言ってきたので、とりあえず肘で脇腹を突く。

「ウッ」と奇怪な声を出し脇腹を押さえ、俺を睨んできた。こいつは脇腹への耐久が皆無だから、適当に攻撃してやれば誰でも勝てる──長年仲良くしてきた者にする仕打ちとしては酷いものだが、今はともかく。


「お二人は、仲が良いんですね」


再びその場に花が咲いた…いや、雪花さんの笑顔に負けていたら、俺たちの息をする暇が無くなってしまう。


「まぁ、中学時代からの仲だからな…って、時間奪ってすまん。俺らは雪花さんを一目見たかったってだけなんだ。悪気は無いけど、忘れてくれ」


俺なりの謝意をこめて謝罪してみるが、いやはやこれでは上から目線ではないか。

寝下座でもしたいところだが、綺麗な図書室の床が汚れてしまう。

遥人も俺と同じく「失礼しました」と言っているが、雪花さんの立場を考えれば、俺たちの相手は相当疲れるだろう。なにせ、面子が面子だ。仮に雪花さんを生徒会に迎えるとしても、俺と遥人、そして倉希、その他からの注目を浴びるとなると、彼女にとって末恐ろしいほどの疲労困憊が待ち受けているはずだ。

せっかく現れた頼もしい人間を、そう簡単に失くすわけにはいかない。たとえ良い関係に持って行こうとしても、しばらくは時間を削る必要がある。


「あ、あぁーっ、そんな、駄目ですっ。謝るなんて、絶対駄目っ、むしろもっと話したいですっ」


俺たちが謝るのに罪悪感を覚えたのか、雪花さんは焦ったような表情を見せる。

しかし、もっと話したいです、かぁ⋯。

そんな言葉は生涯初めてで、この先言われることは無いのだろう。もっと、という単語は儚さの権化のような存在感だと言うのに、皆それに気付かず使い回していることが多い。もっと、と言いつつ、その望んだ状態がいつまでも続くような結果は見たことがない。お菓子がもっと欲しいだとか、暑いから水泳の授業をもっと増やせだとか、そうは言っても時が移ればその意欲は消えてしまうのだ。

しかし、彼女に対してはその心配は要らないのかもしれない。その轟々と燃ゆる、どこまでも強い熱気。俺たちと話したいという意思は、本物のようで。


「俺は感動したよ⋯クラスにもこんな優しい子が居てくれたらなぁ」


無意識にそんなことを言う。

実際これは本音のようなもので、俺のクラスには優しい者など極小数なのである。消しゴムを落とした時、拾うことすらしない者がほとんど。生徒会長に対する態度か?我生徒会長ぞ?

それはともかく、自分が属するクラスについて、虐めなどの心配をする必要はない。なぜならば、生徒会には特別なルールがあるからだ。

それは別授業制度なる、普通の学校では見れないような、アニメの世界にしか存在しないようなもの。生徒会の者は、生徒会室で各々で勉強していい。要約すればこう言った内容で、つまりは教師の教育無しに、自分たちの部屋で、自分たちで勉強できるという意味だ。一般の生徒が普段通りに授業を受けるように、皆の教室に入るのも良いが、俺や遥人、その他のメンバーは皆生徒会室で自由に過ごしている。

とは言え、この制度はあまり世に公にしないほうが良いのかもしれない。俺が提案した制度なので、校長の恩恵もあってそうなっているが、その実態がこれだといささか変な処置を取られそうで怖いものだ。

ところで、雪花さんは俺の台詞に照れているのか、頬を若干赤らめながら、同時に戸惑っているように見えた。

生徒会長ならば、優しくされて当然だ。

だが、俺のクラスには優しいどころか、鬼のように厳しい人間ばかりが居る。それを察したのだろう。


「んじゃあ、俺らはここら辺で。十七時までに帰らないと、先生がうるさいからな」


現在時刻は十五時二十六分。

十七時までに下校しなければ、見回りの教師から面倒な説教を食らわされるのだ。


「はい!またお話しましょう!」


互いに手を振りながら、その場を後にした。


◆ ◆ ◆


午前二時四分。

家から四キロほど離れた海岸にて、俺は一人でベンチに座り、眼前に広がる真っ暗な海を眺めていた。

毎週二日は必ず、こうして深夜の海に独りで行くと言うのが、あることをきっかけに癖になっている。

誰も居ない砂浜を打ち付けるのは波のせせらぎ。

近くの都市高速道路の上を通る自動車の走行音と排気音。

深夜に騒いでいる若者たちの笑い声と罵倒の数々。

孤独を嘲笑うかのように、止まることの無い爽やかな風。

弱々しい肉体を撫でるように、袖を通って風が服の中で蠢く。

夜に一人で海を眺めるというのは、俺にとって趣味のひとつだ。別に虐められたからだとか、疚しいことがあったわけではない。落ち着きたい時、気持ちを整理したいときは、こうして黒い海を見つめるのが最適解だと自分で確信している。

事実、ここに座ってゆっくりしていれば、何も考えなくていい。この先のことだとか、誰かと仲良くするためにはどうするだとか、将来のことだとか。

嫌なことは全部忘れて、孤独という最大の愛情を注がれながら、この無謬なる平穏と常に隣り合わせ。

ずっとこうしていたい。

たとえ、俺の人生が塵芥にも満たない砂塵だとしても、誰も彼にも必要とされていなくても、どうでもいい。

今はただ、この刹那を痛感していたいのだ。

独りで居れることが、どれほど大切なことか。

そう考えたのは、まだ俺が幼い頃だった。

昔からの友人を亡くし、悲しみに暮れた俺は自暴自棄になり、今まさに座っているこの海辺のベンチまで走った。

独りで来たのに、隣にそいつが座っている気がして。

俺があの海に飛び込めば、一緒に座れるのかな。

そんなことを思いながら、自販機で炭酸飲料を買った時は、初めて夜に家を出たな、と別の方向で驚いていた。

こうして過去の記憶を思い返すのは、もはや日課と化している気がするが、それはそれで喜ばしいことなのだ。

輝かしい日常を、もう二度と体験出来ない、当たり前のように流動していた時間を。

それを思い出すのはほんの刹那の出来事。

だから、俺にとっての宝物はそれしかないのだ。

明日は何が待っている?そんな考えが堪らなく面白おかしく、そして同時に楽しい。

学校での非現実的な恋愛生活なんて飛んだ幻想に過ぎない。都合良く髪が染められてたり、都合良く可愛い女の子と仲良くなったり、都合良く話が回ったりするのも、余さず己の窮状から逃れたいがための虚妄。

最近の学園ラブコメ系小説を読んでいるうちに、いつしかそんなことを考えるようになっていた俺は、心のどこかで恋愛をしてみたいと憧れていた。


続く

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