テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
結局アヴェルド殿下は、煮え切らない態度のままだった。
彼は、何も決断できていない。私の話を、最後まで誤魔化し続けたのである。
「あれなら、いっそのこと私との婚約を破棄すると言ってくれた方が気が楽ね……」
王城のベランダで、私はゆっくりとそんなことを呟いていた。
婚約破棄されるということは、私の意に反することではあるが、そうしてくれた方がマシだとさえ思えてしまった。
それくらい、アヴェルド殿下の態度は曖昧なのである。はっきりと言って不愉快だ。王族であるなら、筋の一つくらいは通してもらいたい。
「……何やら物騒な言葉が聞こえてきたな」
「……え?」
「婚約破棄だなんて、穏やかではない……リルティア嬢、兄上と何かあったのか?」
「あなたは……」
そんな私の呟きは、人に聞かれてしまっていたようだ。
それは私の失態である。周囲に人がいるかどうかに、もっと気を払っておけば良かった。
私の言葉を聞いた人物は、ゆっくりと私の隣までやって来た。その人物のことは、私もよく知っている。
「イルドラ殿下……」
「ああ、イルドラだとも。リルティア嬢、こんな所で浮かない顔をしてどうした?」
イルドラ殿下は、アヴェルド様の弟だ。
第二王子である彼には、少し軽薄な印象がある。遊んでいるとも聞いているし、やましい噂が絶えない人だ。
故に私は、少し警戒していた。今回の呟きを聞かれたことで、何かしら悪いことが起こるのではないかと、そう思ったのである。
「おいおい、そんなに警戒するなよ。これでも俺は、あなたのことを心配しているんだぜ?」
「……別にご心配いただくようなことはありませんから」
「そうかな? 俺にはあなたが、困っているように見える。俺で良ければ、力になってもいいぞ? もちろん、対価はいただくが……」
イルドラ殿下は、私の目を真っ直ぐに見つめてそう言ってきた。
彼の言葉は、全てが善意からの言葉という訳ではなさそうだ。彼自身がそう言っているし、それは間違いない。
ただ、それは私にとってはありがたいことでもあった。そういうことなら、話し合うことができると思ったからだ。
「……イルドラ殿下は、仮に私が何かお願いしたら、どのような対価を望むのですか?」
「うん? そうだな……」
私が質問すると、イルドラ殿下はゆっくりと目をそらした。
彼は少し、驚いているように見える。つまり先程の言葉は、本気ではなかったということだろうか。冗談の類だったのかもしれない。
いやどちらかというと、私が乗ってくると思っていなかったということだろうか。はぐらかされると、思っていたのかもしれない。どちらにしても、私の言葉は意外だったようだ。
「……まあ、対価のことなんていいじゃないか」
イルドラ殿下は、少し思案した後そのように呟いた。
彼の表情は、ここに来た時と違って真剣だ。軽薄な感じが消えている。
「女性が困っていたら助けるなんて、紳士であるならば当然のことであるだろう。ああ、そうだ。対価というなら、あなたの笑顔だけで充分だ」
「……助けていただく場合は、きちんとした対価をお支払いしますよ。借りを作りたくはありませんからね」
「なるほど、リルティア嬢は真面目だな」
イルドラ殿下の言葉に、私は自分が少し勘違いしていたということに気付いた。
彼は、善意だけで人を助けられる人なのだ。対価と言われて、金銭だとか体だとかは出てこないし、むしろ困ってしまう。そういう人なのだろう。
思っていたよりは、いい人なのかもしれない。私の中で、イルドラ殿下の評価は少し上がっていた。
「ただ、そうですね。少し相談に乗ってもらってもいいでしょうか? これはイルドラ殿下にも、無関係なことではありませんからね。話してもいいと思っています」
「む、そうかそうか。そういうことなら、心して聞くとしよう。周囲には人もいないようだ。今なら聞くことができる」
同じ間違いは犯したくないため、私は周囲を見渡した。
確かに、特に人の気配は感じない。少なくとも目に入る範囲に、人はいなさそうだ。
ベランダであるため、入り口に気を配っていれば特に問題はないだろうが、念のため小声でイルドラ殿下に事情を伝えるとしよう。
「……アヴェルド殿下が浮気していました」
「……ほう」
「……驚かれないのですね? もしかして、知っていましたか?」
「知らなかったというと、嘘になるかもしれないな。心当たりがある。しかし、驚いてはいる。てっきり既に終わったことだと思っていたからな」
私の言葉に、イルドラ殿下は眉をひそめていた。
私と婚約する前から、アヴェルド殿下はネメルナ嬢と関係を持っていたという。それは知っていたが、私との婚約を機に終わらせたと思っていたのかもしれない。
「アヴェルド殿下は、どうにも煮え切らない態度でした。私との婚約を破棄するつもりもないし、彼女を妾とすることも切り捨てることもできない。どうにも中途半端な態度です」
「なるほどな。リルティア嬢の気持ちがよくわかった。兄上はなんとも情けない男だ」
「ええ、ネメルナ嬢も、あんな人にどうしてこだわるのか、私からすれば理解できませんね」
「……ネメルナ嬢?」
「……え?」
イルドラ殿下は、面食らったような表情をしていた。
そんな彼を見て、私も同じような顔になっていることだろう。彼の反応は、明らかにネメルナ嬢のことを知らないものだったからだ。
そこで私は、ある一つの可能性を考えることになった。もしかしてイルドラ殿下の心当たりとは、別の女性だということだろうか。
「イルドラ殿下、一つ確認しておきたいことがあります。アヴェルド殿下が関係を持っている女性は、オーバル子爵家のネメルナ嬢ではないのですか?」
「……いや、俺が知っているのは他の令嬢だ。モルダン男爵家のシャルメラという令嬢を、リルティア嬢は知らないのか?」
「いいえ、知りません」
私とイルドラ殿下は、お互いの知っていた情報を打ち明け合った。
その結果、私達の間には見識の違いがあったということが、よくわかった。私達は、それぞれ別の令嬢のことを話していたのだ。
しかしそれは、なんともおかしな話である。アヴェルド殿下の浮気相手として、どうして違う人物が思い付くのだろうか。
「待ってくれ。それじゃあまさか、兄上はシャルメラ嬢との関係を終わらせた後に、別の令嬢と関係を持っていたということか?」
「アヴェルド殿下は、私と婚約する前からネメルナ嬢と関係を持っていたようです。本人がそう言っていましたから、間違いありません。シャルメラ嬢とはいつから関係を持っていたかご存知ですか? いつまで関係を持っていたかでも、構いません」
「……俺は兄上から、リルティア嬢との婚約を機に彼女との関係を終わらせると聞いたことがある。そこから考えると、関係は最近まで続いていたはずだな」
私の情報とイルドラ殿下の情報が正しいとするなら、アヴェルド殿下は二人の令嬢と関係を持っていたということになる。
それは別に、あり得ないことではないだろう。今彼は、私という婚約者がありながら浮気しているのだから、可能性は充分にある。
「アヴェルド殿下は、不誠実な人間だったようですね。ネメルナ嬢とは、浮気ではあっても純粋な愛だと思っていましたが、そういう訳でもないようです」
「まったくだ。まさか兄上が、そこまで浮気性な男だとは思っていなかった」
「ですが、腑に落ちる部分もあります。アヴェルド殿下が煮え切らない態度だったのは、ネメルナ嬢に対しても本気ではなかったからなのでしょう」
アヴェルド殿下に対する評価が、私の中では地に落ちていた。
恐らく彼にとって、ネメルナ嬢とのことは遊びでしかないのだろう。少なくとも純粋な愛ではないのは明らかだ。
それをさも本気であるかのように私に言ったのは、どういうことだろうか。それはいまいちわからないが、最早アヴェルド殿下を理解しようとも思わない。
「こうなると、シャルメラ嬢という令嬢と関係が断ち切れているかも怪しい所です」
「ああ、そうだな。少し調べてみる必要があるのかもしれない」
「……協力していただけますか?」
「もちろんだとも。対価はそうだな……場合によっては、色々とありそうだ」
イルドラ殿下は、私に対して苦笑いを浮かべていた。
彼の表情からは、あまり良い感情というものは伝わってこない。今回の件に対して、気が進んでいるという訳でもないようだ。
しかしそれでも、彼は調べようとしてくれている。それは恐らく善意もあるだろうが、王家としての誇りなども関係していそうだ。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!