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連日、鬼のようにダンスレッスンが行われた。
それをどうにか乗り切って、ライヴ会場の視察やリハーサルを終えた俺はくたくたになりながらも家に帰宅した。
「吉良、おかえり。星咲ちゃんは大丈夫なんかい?」
ライブ前日となったからなのか、いつもより強張った表情の母さんが出迎えてくれる。
緊張してるのは俺の方なのに、母さんにまでそれが伝播してしまったのだろうか。
「ただいま。あいつは、すごいよ」
「まったく、あんたと付き合ったばかりに……でもあたしらが口出しする問題じゃないし、星咲ちゃんが大丈夫そうならいいのかねぇ」
「……何の心配してんだか。あいつには色々と聞いたり、教えてもらったりしてるけどさ。心配する要素なんて一つもないぐらいに、完璧以上のアイドルやってるぜ」
「そう……それならいいのよ」
少し暗い表情だったが、弱々しい笑みを浮かべながら母さんは『夕飯できてるから、ささっと食べて明日はがんばりー』と台所の方へと行ってしまう。そんな母さんの様子が少し気になったものの、入れ替わりに夢来がダイニングから顔出し、『いよいよ明日だね』とはにかんでくる。妹の可愛らしい笑顔を前にして些細な疑問はかき消えた。
「おー、めっちゃ緊張する」
「おにぃは一生懸命がんばってきたしさ! 思いっきり踊ってきなよ!」
「おう。でもまだまだなんだよなぁ……星咲はやっぱりダンスのキレとかすごくてよ。一つ一つの動きに華があるっていえばいいのか、よくわからないけどさすがはトップアイドルってだけはある」
「……すぐに、おにぃが追い抜いちゃうよ」
「簡単に言ってくれるなよ。っていうか、夢来。お前、星咲のこと嫌いだろ?」
「べ、べっつにー……ちょーっと予想外な存在だったかなーって思ってるだけ」
確かにトップアイドルと兄の俺がお付き合いをする、なんてのは予想外すぎるだろうな。いい機会だし、ここは誤解を解くチャンスだろう。
「あー、俺と星咲は付き合ってないぞ? これは本当だ」
「ん? わかってるって」
あれ? 本当に最初からわかっているかのようなスンナリとした返答と態度に、俺は拍子抜けをくらう。
「そもそも、おにぃみたいのがホッシーみたいな美少女アイドルと付き合うって無理だと思うし」
「うわっ、ひでぇ」
「じゃあ、なに? アイドル嫌いのおにぃは、アイドルとお付き合いしたいわけ?」
やけに真剣な表情で俺をジーッと見つめる夢来。その双眸に込められた気迫に押され、思わず数歩下がってしまう。
「い、いや、そんなことはないぞ」
「ふーん」
怪しい、とでも言うように半眼になる夢来だったが、数秒見つめた後には俺を開放してくれた。いや、むしろ天使な妹に見つめられるのはご褒美なのだが、疑われるとなると兄としては心苦しいものがあるのだ。
「とにかく、明日はがんばってね。応援してるし、見に行くから」
「お前は、やっぱり神妹だな」
関係者という事で、俺にも一応ライヴチケットが2枚配布されていた。それを妹と母さんに渡しておいたのだが、夢来の星咲に対する態度からライブは見に来てくれないだろうと予測していたのだが。
どうやら杞憂に終わったようだ。
◇
いよいよライブ本番1時間前。
超大規模ドームで行われる星咲のライヴ。それはリハーサルや下見の時点でわかっていた事なのだけど……いざ人が入った状態を関係者席の上段からちょっとだけ覗いてみたら……。
期待に包まれた熱気と喧騒、人々の圧力と迫力が尋常じゃないぐらい伝わってきたのだ。リアルに大波にのまれるような感覚を味わった。
正直、気分が悪くなってしまった。
こんな大舞台で、一週間かそこらの付け焼き刃な俺が通用するのか?
例え、最後の一曲だけしか踊らないとしても、それは酷く俺の心にとっては重圧となっている。俺が担当する曲はアップテンポだ。スピードが早い分、振り付けのカウントを取るのが難しかったりと、ズレてしまったら一貫の終わりだ。ダンスは一糸乱れぬ連携が実現してこそ美しく見える。
「できる、のか……?」
化粧室へと移動した後でも、緊張に呑まれたままのカチコチ状態である。
鏡面台の前に座り、しっかり踊れるか不安になっていると俺の背後にニ十代前半ぐらいのお姉さんが立った。
「あら? あなた見ない顔ね」
「あ、はい。【アイドル候補生】ですので……」
亜麻色の長髪をなびかせ、妖艶な微笑みでもって俺を見つめるお姉さん。どこか神秘的な印象をうける、とんでもない美人さんだ。
「へぇ、アイドル候補生……わたしは貴女のヘアメイク担当の桂木よ。よろしくね」
「白星きらです。よろしくお願いします」
俺と桂木さんが挨拶を交わすと、両隣りに座る魔法女子たちがチラリとこちらに目を向けて来た。化粧室はもちろん俺だけでなく、他にもたくさんの現役魔法少女アイドルたちがバックダンサーとしての準備を行っている。
「伝説のメイクアーティスト、桂木さんよ……」
「アイドル序列286位の桂木さんだわ」
「どうして【アイドル候補生】なんかに……」
こそこそと周囲で耳打ちされる内容が、魔法力で強化された俺の聴力が拾う。どうやら業界ではかなり有名な人物らしい。というかこの人も魔法少女アイドルで、286位ってことは、【姫階級】の【花姫】じゃないか……どうりで綺麗な顔をしていると思った。
「あなた【アイドル候補生】なのにホッシーのライヴで踊れるの?」
「あ、はい」
「あら、簡単に言うわね」
「あっ……いや……」
どうやら今の問いは、俺が技術的に踊れるのかって問いだったようだ。そこを突かれると痛いところでもある。
「技術面のお話ですと、まだまだです……」
「ふぅん。よくいる『わたしは特別だからできる』って感じの高慢タイプではなさそうね」
「は、はぁ……」
「あの子がどうしてもってお願いするから、どんな娘かと思えば……顔はとても可愛らしいし、将来有望そうだけど、オーラがないわね。普通よ、あなた」
「あの子って、星咲……さんですか?」
「あらあら、プライベートでは呼び捨てする仲なのね?」
「うっ、そ、それはっ……」
怪しく瞳をぎらつかせ、俺を鏡越しから見つめる桂木さん。
「ウフフ。ちょっとあの子の気持ちがわかっちゃうかも。あなたっていじればいじるほど、素敵な味がしそうね」
「えっ」
「かめばかむほどってやつよ」
ウィンクをかます桂木さん。
俺はスルメか。
「いい? 今日はあの子にとって大事な日よ。忘れないであげて」
「は、はぁ……がんばります」
「貴女……なんだか煮え切れない、というか自信なさげね。初めてのライヴ出演、いきなりの大舞台、昇格テストの課題、いろいろと緊張する要素はあると思うけれど。できるって強く思うことも大切よ」
「思う、こと……」
「練習をしてきたんでしょ? 自分を信じなさいな」
そんな事を急に言われても、緊張してしまうものは緊張してしまう。俺の人生であんなに多くの人々の前で何かをする、なんて経験は皆無なのだ。ざっと見ただけでも10万人以上はいるように思えた。
「まったく、本当にあの子が選んだ子なのかしら? あの子、見る目がないのかしらね」
ポソッと呟いた一言に、俺は片眉をひそめる。
俺が何と言われようと文句はない。実力不足なのは真実だ。だけど、星咲を悪く言われるのは許容できない。あいつは俺なんかより真剣に、それこそ命を賭けて魔法少女アイドルを頑張ってきたのだ。
ここ1週間、あいつの究極のダンスを身近で見てきた俺にはわかる。ずーっとしつこく、輝かしいアイドルとは何たるかを熱く語っていたあいつの横顔を、忘れるはずもない。
星咲は正真正銘、魔法少女アイドルを愛しているのだ。
「星咲さんはすごいですよ、私なんかよりもずっと、ずっと。だから、そういう言い方はやめてください。私は私、星咲さんは星咲さんです」
桂木さんが俺よりベテランだろうが、星咲を悪しざまに言うのは許さない。そういう思いを込めて、俺は桂木さんを睨む。すると彼女はほっこりと笑った。
「そう、その意気よ。でも、肝に銘じておくことよ。貴女への評価が、あの子への評価にもなりえるの。星咲ちゃんが大切なら、貴女もしゃんとするのよ」
この人は……ただ、星咲を悪く言いたかったんじゃないと気付く。
周囲がどういう目で俺を見ていて、それが星咲にも影響するとやんわりと伝えてくれたのだ。
「あ、はいっ! ありがとうございます!」
「フフフ。肩に力が入り過ぎよ。にこっと笑いなさいな、どんな時でも」
桂木さんは魔法のようにテキパキと俺に薄い化粧を施してゆく。
「あなた、とっても可愛いんだから。それに加えて私のメイクで完璧以上にしてあげるんだから、自信を持ちなさいな」
髪型をゆったり、ひねったり、束ねたりと俺の長い銀髪は可愛らしいものになった。
一連の作業が終わって鏡面に映る俺は、確かに輝く魔法少女アイドルになっていた。
「がんばります!」
「ふふっ、でもまだまだ身体が強張っているわね。そういえば、ホッシーが自分の控室に来るようにって言ってたわ。キーはこれよ」
シュッとVIP用のカードキーを見せてくる桂木さん。
「ホッシーにでも会って、緊張でもほぐして来なさいな。あ、それと……貴女が嫌な子だったら、このカードキーは渡さずに終わってたかもね」
「ひゃっ!?」
不意に首裏に息を吹きかけながら、桂木さんは不穏な台詞を吐いてきた。
俺はそんな彼女がちょっと苦手だと思った。
◇
「星咲ー、お邪魔するぞー」
あまり緊張しているとは悟られないように、俺は極々自然を装って星咲の控室へと赴く。
ドアをカードキーで開ければ、風格とキュートさを融合した衣装に包まれた星咲がちょこんと椅子に座って待っていた。
「やぁ、きらちゃん」
トップアイドルの威厳をにじませる空気からは想像もできないような、柔らかな声で俺に話しかけてくる。それからジッと俺を見つめ、次いでクスリと笑みをこぼす。
「な、なんだよ」
「緊張しているね」
「……悪いかよ」
「全然。むしろ、氷みたいにカチコチなきらちゃんが見れて、嬉しいとすら思ってるよ」
「変態め」
俺が毒づいても、星咲は笑うことをやめなかった。どうにも見透かされた気分になった俺は、さっさと話題を変えるべくさっきの桂木さんとやらについて聞いてみる。
「あぁ、桂木ちゃんはボクの専属メイクアップアーティストさ。きらちゃんがデビューしたら彼女に任せるつもりだよ」
「えぇ……」
「苦手かな? でも彼女の腕は間違いないよ。いい人だしね」
「悪い人ではなさそうだったけど……」
「何か言われたんだ?」
わかって言ってるようなその口ぶりに、俺はジト目を送る。けれど彼女は笑みを絶やさずに、どこか遠くを見るような目で語る。
「世界っていうのは思ってるほど、広くないよ。両手に抱えられるぐらいの大きさなんだ」
「それはお前の【魔史書】の話か?」
実は俺達はこの1週間、ただダンスレッスンをしてきただけではない。互いの【魔史書】に関する可能性や能力、情報を共有していた。星咲の急な話題転換で思い出したのは、彼女が持つ【第5章】【宇宙を埋め尽く砂剣】星論・アルキメデスが世界の狭さを証明する事についてだ。
「うーん、そうであって、そうじゃないような?」
「ハッキリしないな」
「ボクの【魔史書】より、きらちゃんの【魔史書】の方が強力な力を秘めているからね。きらちゃんみたいに、そんなハッキリはしてないんだよ?」
「……それで結局、何が言いたいんだ?」
「世界は狭いってことだよ。だって結局、人っていうのは目の前で起きている事が全てなんだ。それがその人の世界、宇宙」
一拍おいて、星咲は俺の手をそっと握った。
「地球の裏側で飢餓に苦しむ子供がいようが、宇宙の片隅で惑星間戦争が起きてようが、ボクらが命を賭けて【人類崩壊変異体】と戦っていようが……とある女子高生にとっては、クラスのイケメンに向ける恋心が世界の大半を占めているの」
長い講釈を垂れた星咲は目をつむり、俺にそっと呟く。
「わたしには、鈴木くんがいる」
星咲が掴んでいる手の力を強める。
「……お前、さっきから何が言いたいんだよ」
「仮に世界がとてつもなく大きく感じて、怖くなったなら――」
問いに答えるように星咲が吐いた言葉は、俺の胸に突き刺さった。
ライブ会場に集まった圧倒的な人数を目にして、俺はとてつもなく大きな重圧を背負ったように感じていた。それを星咲は星咲なりに、軽くしようとしてくれているのだと気付く。
「大きく、怖く感じたら、ボクの星砂で埋め尽くしてあげるよ。きっと世界は狭くなって、とっても、こんな風にキラキラしてるはずだ」
右手を虚空へと上げ、星屑のごとき光彩を放つ砂々を魔法力で出現させた星咲。それらは剣の形へと変貌する前に爆散し、粉雪のように輝きながら俺や星咲へと降りかかる。
「そしたらきっと、キラキラと輝く大切な人が見つかるはずだよ」
にちゃっと笑う星咲。
それはアイドル用の綺麗な笑みではなく、こいつが心から喜んでいる時に見せる顔だと最近になって俺は理解した。
「ボクはそれで十分だと思う。君が不安に思うとき、ボクが君の傍にいるのを忘れないで」
そうして、向かい合い……星咲が目を閉じて顔をゆっくりと近付けてくる。
こいつは元男だとわかっているのに、俺には美少女の顔が迫るのを回避する術を持たなかった。
緊張と困惑が、俺の身体が動こうとするのを阻止する。そして、星咲が俺の不安を取り除こうとしてくれた事に胸の奥が熱くなって……ただ、ただ目をつむることしかできなかった。
「ずっと一緒だよ」
予想とは違った場所に熱が灯る。
おでことおでこを合わせたのだと気付いたのは、それから数秒後の事。
「おまっ、なに変なことしてるんだ。離れろよ」
憎まれ口を叩きつつ、俺は星咲をグッと後ろに押し返す。
「俺の今の見た目に変なことでもしてみろ。お前はロリコン確定だからな」
「ってことは、きらちゃんが男子に戻った時は色々としていいんだ?」
「馬鹿も休み休み言え」
フンッと鼻を鳴らし、星咲を睨む。
だが、少しだけ俺の緊張はほぐれたように感じた。
もちろんそんな内心は、口が裂けても星咲には言わなかった。