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第六話 支える側は、だいたい報われない顔をしている
夜の編集部は少しだけ静かになる。
日中の電話が減り、人もまばらになり、コピー機の音だけが時々響く。新田は残業の灯りの下で、ゲラの赤字を確認していた。別の作家のエッセイ集。別の新人の短編集。別の装丁案。仕事は尽きない。誰か一人に入れ込みすぎれば、ほかが崩れる。編集者はバランス感覚の仕事でもある。
なのに、気づくとスマホを見ている。
あの男から連絡はまだない。
既読もつかない。
「新田さん、帰らないんですか」
瀬尾が鞄を肩にかけながら言う。
「もう少し」
「先生待ち?」
「そうですね」
「報われないですねえ」
「編集なんてそんなものです」
「いやでも、新田さんのあれ、担当の域ちょっと超えてません?」
「超えていません」
「ほんとに?」
「ほんとです」
瀬尾は少し迷ってから言った。
「でも、見てるこっちからすると」
「何です」
「作家に恋してる人みたいですよ」
新田は顔をしかめた。
瀬尾は慌てて手を振る。
「いや、その意味じゃなくて。文章に、というか。可能性に、というか」
「帰ってください」
「図星だ」
瀬尾が去ったあと、静かな編集部に一人取り残される。
新田は背もたれに体を預け、目を閉じた。
恋している。
その表現は気に入らない。
だが、否定しきれもしない。
文章に惚れるというのは厄介だ。
その文章を書いた本人まで、切り離して扱えなくなる。
本来、編集者はそこを混同してはいけない。
文章が良くても人間性が良いとは限らないし、逆もまた然りだ。
それでも、文章の奥にあるどうしようもない生の手触りに触れてしまうと、その人間がどんなふうに今日をやり過ごしているのか、気になってしまう。
新田は自分の手帳を開く。
明日の予定は詰まっている。
午前は打ち合わせ、午後は装丁会議、夕方は書店回り。
そこに空白を見つけて、彼は小さく書き足した。
十四時 作家宅へ
電話に出ないなら、行くしかない。
そこまでしてやる義理があるのかと問われれば、ないのかもしれない。
だが行く。
そういうふうにしか、支えられないものもある。