◻︎僕の変化?気にする真澄
それからの僕は、ナオとの架空のデートのことをあれこれ考えるようになった。映画がいいかドライブか?けれどそれではうまく会話ができない。会話はLINEのやり取りですることに決めていたからだ。あれがいいとかこれがいいとか、ナオとそんなやり取りを続けるのも楽しくなってきた。
「ねぇ、聞いてる?」
そんな時、不意に真澄に話しかけられてビクッとスマホを持つ手が震えてしまった。
「え、あ、なんの話だった?」
「もうっ、やっぱり聞いてなかったのね。来月の……おぼえてる?」
___来月?
僕は壁のカレンダーを見た。
___あ、そうか
3回目の結婚記念日だった。ナオとの架空デートのことばかり考えていたから、すっかり忘れていた。
「今年はどこに行く?私、欲しいものがあるんだけど……」
結婚記念日は美味しい食事をして、真澄にプレゼントをするのが毎年のならわしみたいになっていた。
「ん……」
僕は少し考える。あんなことをしていながら、平気で結婚記念日の予定を入れようとする真澄の感覚がわからない。そして、真澄が喜ぶ顔が見たいからと毎年頑張ってきた結婚記念日のイベントが、なんだかとても負担に思えた。
「あー、ごめん、その日、どうしても取材しなければならないところがあるから、約束できないや」
初めてだった。初めて真澄の期待を裏切った答えをした。あの男との逢瀬を繰り返しているくせに、結婚記念日を祝いたいという真澄の気持ちが腹立たしかった。
「えー、そうなの?そっか、仕事じゃ仕方ないか。じゃあ、ご飯は何か作っておこうか?」
「いや、僕のことは気にしないでいいよ。適当に食べてくるつもりだから。真澄も、友達とでも食べてきたら?」
「え?」
僕の答えが、予想外だったのだろう。これまでは、何がなんでも結婚記念日は一緒に過ごしてきたのに、唐突にバラバラで過ごすことをこの僕が提案したのだから。
「……うん、そうだね。わかった、誰か誘ってみる」
「ごめんね、そうしてくれる?」
そんな会話をしながら、手元のスマホでナオとのやり取りを続けていた。架空デートの予定を、その結婚記念日にした。もちろん、ナオはそんなことは知るよしもないのだけど。
「あの…さ……」
まだ何か言いたげな真澄を見ることもなく、スマホを操作し続ける僕。ナオとどこの遊園地にしようかとやり取りをしていた。
「ねえってば!」
少し苛立った声をあげた真澄。それでも視線はスマホに向けたまま答える。
「ん?なに?」
「最近さぁ、スマホばかりいじってわたしの話を聞いてくれないよね?」
「そう?」
「そう。何か面白いことでもあるの?スマホの中に」
「なんで?」
「だって、あなた、なんだかうれしそうにスマホをいじってるから」
僕の手が止まる。真澄を一瞥し、またスマホに視線を落とす。
「そうかな?いつもと同じだけど」
「同じ?違うよ。なんだか最近変わったよ、なにがあったの?」
ナオとのやり取りが楽しくなっていたのは確か。それが顔に出ていたのか。
「べつに……何もないよ」
本当に何もない。ただパートナーの浮気の相談をしていただけだし、もしかしたらこのナオという女性も女性じゃないかもしれない、そんなあやふやなSNSの繋がりだけだ。
「絶対、何かある!ねぇ、スマホ、見せてよ」
僕の手が止まった。
「ごめん、次の取材先との交渉中なんだ。ちょっとほっといてくれるかな」
「ホントに?」
「そうだよ、ホント。でも、もういいや、だいたいのことは話がついたから」
僕はそう言うと、スマホをロックしてテーブルに置く。時間は20時を少し過ぎていた。
「僕、先に風呂に入るわ」
「あ、うん……」
真澄はまだ何か言いたげだったけど。
シャワーを浴びながら、鏡を見た。普段はそんなに気にならない自分の顔を、じっくりと見る。
___そろそろ、散髪も必要だな
眉毛も揃えてみるか、なんて考える。架空とはいえ、女性と会うのに(実際には会わないのだけど)こんな薄汚い男では、ドン引きされてしまうだろう。夏物の新しいシャツも買おうか、仕事着はいつもくたびれた服ばかりだし。あー、そうすると新しい靴も欲しくなる……まるで初めてのデートに行くための準備のようだと、おかしくなってくる。
ナオとの遊園地での架空のデートのことばかり考えていたら、真澄の《行い》のことが気にならなくなっていた。
そしておそらくそんな僕は、真澄にとって怪しい行動をするようになっていたのだろう。
真澄はやたらに話しかけてくるようになったし、僕のスケジュールを確認してくるようになった。もちろん、なにもないのだからどれだけ確認されても、例えば誰かに(探偵とか)詮索されても何も出てこないのだけど。
「0は何を掛けても0」
ナオとよく言い合っていた合言葉。僕とナオの間には何もない『0』、恋愛感情も『0』、お互いの素性も『0』、でもだからこそ相談相手としては、最高の立ち位置だ。
そんなことを真澄に説明しても、きっと理解できないだろうけど。真澄の知らない《僕》
があるということが、僕の気持ちに余裕を持たせてくれていた。
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