はっきり言って、私の事情なんかよりここの家主である宗親さんが、快適に過ごせないようなことになってはいけないと思って。
――宗親さんは私がいても眠れちゃったりしますか?
さして深い考えもなくそう問いかけた私に、彼はニコッと極上の笑顔を向けると、
「気になりますか? だったら試してみればいい」
とおっしゃって。
私は一瞬何を言われたのか分からなくて、思考が停止してしまう。
「――え? あの……?」
ややしてキョトンとした顔でベッドの上から宗親さんを見上げたら、
「今夜はやはり泊まって行きなさい、春凪。それで、眠れるかどうか、お互いに確認してみましょう」
真顔でそんなことを提案されて、びっくりしてしまった。
「帰るとしたら、春凪は代行タクシーで車ごと自宅に戻るか、普通のタクシーで帰宅した春凪を追って、僕が後からキミの車を送り届けてから、再度ここへタクシーで戻るかしないといけません。――だけどそれって、ものすごく無駄な経費かなって」
そこで一瞬だけフッと笑うと、
「最初僕はそういうつもりでいたんですけど、倹約家の春凪ならそんな勿体無いことしてはいけませんって怒るかな?と思いまして……。どうですか? 僕の読み、当たってますか?」
な、何ですかっ。
そのご主人様に褒めてもらうのを待っている、忠実な大型犬みたいなキュンとくる嘘くさい眼差し!
パンチ力ありすぎてクラッと来たじゃないですかー!(涙目)
こ、これって私を立てるみたいな言い方をなさってますけど、ある種の脅しですよね?
そこまで言って、私を探るような目で見つめてくると、
「もちろん、春凪がどうしても、とおっしゃるのでしたら、僕は当初のお約束通り貴女をお家に帰して差し上げることもやぶさかではないと思っているのですけれど」
と付け加えていらして。
語尾が逆接な時点で、どう考えても言外に〝キミは僕にそんな無駄な経費をかけさせたりしませんよね?〟という含みを多分に感じさせられる。
私はどう答えたらいいか分からなくて、グッと言葉に詰まってしまった。
お財布にゆとりがあったなら、「気を遣って頂かなくても結構です! 私、自分で代行呼んで帰れますので」とか突っぱねることが出来るのだけれど……。
私のお財布の中身は――というより通帳の中身をかき集めたって――そんな贅沢を許してくれる財政状況ではないの。
「ねっ、眠るだけ……です、よね?」
ややして、仕方なく彼の真意を探るようにギュッと布団を握りしめて問いかけたら、宗親さんが極上の笑顔で私を見つめ返してくるの。
彼ほど、とびきりの笑顔が〝胡散臭く〟見えてしまう人はいないのではないでしょうか。
きっと、私以外の人になら効果覿面なんでしょうけれども、貴方の腹黒さを知り尽くした私には通用しないんですからね?
そう思ってキッと宗親さんを睨みつけたら、「ん?」と小首を傾げられて。
そのあざとい立ち居振る舞いに、不覚にも心臓をズキュン!と撃ち抜かれてしまった。
そんなキラキラした極上のご尊顔でそんな仕草、ずるいです!
さっき、大型犬な眼差しで気を付けないと!って痛感させられたばかりだったのに、思いっきりときめいてしまったじゃないですかぁ〜っ!
***
「とりあえず寝巻きは僕の服を適当に着回すとして。――下着は新調したほうがよろしいですよね?」
さて、今日の夕飯は何にしましょうか?みたいなノリで問いかけられた私は、その雰囲気に釣られたように「ああ、それもそうですね」と何の気なしに答えてしまってから彼の視線がチラリと下腹部を流れたことに気が付いてハッとする。
――し、下着って……もしかしてショーツのことだったりします!?
「ちょっ、それ、セク……!」
セクハラ、という言葉がうまく出てこない程度には動揺してしまった。
ワナワナと唇を震わせる私に、宗親さんがのほほんと続ける。
「緊急事態ですし、コンビニのになりますが、そこで買っちゃいましょう。必要経費ということで、お金は僕が出します。――上はさすがにないかも知れないんですけど……最悪取り替えられなくても耐えられたりしますか?」
私の戸惑いなんてどこ吹く風といった様子で、まるで事務連絡みたいに淡々とそこまで言ってから、
「あ。もしかして夜もブラをして寝る派だったりします?」
って。
そこにきて初めて私の様子をうかがうの。
そっ、そんなことないですけどっ!
でも、いっそのこと「して寝るに決まってるじゃないですか!」って言っちゃいたい気分です!
恥ずかしさから、顔をぶわりと熱っぽさに支配されて。
まるで発熱した時みたいにうるりと涙目になってしまった私に、初めてハッとしたように
「ああ! 申し訳ない。男から下着のことを言われるのとか、物凄く引きますよね」
と、宗親さんが苦笑まじりに鼻の頭を掻いて。
「気持ち悪かったですよね、すみません」
まるで失態を誤魔化すみたいにふわりと私の頭を撫でてくる。
それだって、下手したら立派にセクハラ案件な気がするのに、触れ方がどこか兄が妹に接するような優しい手つきに思えたからか、不思議と嫌じゃなくて。
ばかりか、どこか心地良い何とも言えないくすぐったさまで伴ったから、慌てて布団を握りしめた手指に力を込めた。
セクハラって、悔しいけれど同じことをされても受けた側がどう感じるかによってボーダーラインが揺れるんだと、頭の片隅でどうでもいいことを考える。
宗親さんにされるアレコレは、結局のところ私にとっては何ひとつセクハラにはならない気さえして、期せずして溜め息がこぼれた。
それを抗議と受け取ったらしい宗親さんが、
「どうもキミには時折、うちの妹にするみたいに接してしまっていけませんね」
珍しく感情もあらわに眉根を寄せてそう付け加えて。
――あー。なるほど、私、妹さんとダブっちゃうんですね。
頭に触れられたまま、ほんわりそう思ってからハッとする。
――い、今、何ておっしゃいましたっ!?
「あ、あのっ。宗親さん、妹さんがいらっしゃるんですか?」
てっきり自分と同じように、彼もひとりっ子だとばかり思っていた私は、思わず頭に載せられたままの宗親さんの手をギュッと握って勢いよく食いついた。
〝宗親さん!
形はどうあれご両親の愛情を独り占めしているようにしか見えなかったけど、違うのですかっ!?〟
心の中ではうるさいくらいにアレやコレやと叫んでいたけれど、それらは何とか口には出さずにおいた。
「――あれ? 言ってませんでしたっけ? 僕には8つ下……、つまりはキミと同い年の妹がいます。年が離れていてひとりっ子期間が長かったからか、妹がいるようには見えないってよく言われるんですけどね」
宗親さんと8歳違いで私と同い年!?
嘘でしょ? めちゃくちゃ意外なんですけど!と思いながら宗親さんを見つめて、私は聞かずにはいられない。
「似て……らっしゃいますか?」
宗親さんと。
思わず口走ったら、さっきから掴んだままだった宗親さんの手に、反対側の手が添えられる。
そのまま手指に力を込められて引き寄せられるように顔を覗き込まれた私は、居心地の悪さにソワソワと視線を彷徨わせた。
「あ、あの……っ?」
あまりに距離が近すぎて心臓が壊れそう。
なのに手を捕まえられているから、距離を取るに取れなくて。
そもそもベッドに半身起こしたままの私が、彼から逃げようとしたら、きっと無様にベッドに寝そべることになってしまうの。
それは、大変よろしくない気がいたします!
「今、春凪の顔をじっくり見させていただきましたけど、やはりキミとうちの妹とは似ても似つきませんよ? 見た目はもちろん、中身なんて春凪とアイツは真逆のタイプですから」
そこまで言って不意に私から遠ざかると、ついでのように手を離してくれる。
そのことにホッと息をついたら、「――正直名前以外、ふたりに似たところはないですね」と付け加えられて「ん?」と思う。
名前以外?
え?
私と妹さん、名前が似てるってことですか?
思いながら宗親さんを見つめたら「うちの妹、夏の凪って書いてて夏凪って言うんです」と言われて。
「夏凪……さん?」
何となく復唱したら「キミの名前を履歴書で見た時、アイツとセットみたいな名前で驚きました」とか。
確かに「春の凪」な私と、「夏の凪」な妹さん。双子とかに付けたら良さそうな名前だもんねって思って。
「妹の話が出たついでに、キミの名前の由来をお聞きしても?」
逆にそう問いかけられた私は、にわかに恥ずかしくなる。
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