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放課後の自習室は、墓場のように静まり返っていた。一ノ瀬さんは、僕が差し出した消しゴムを細い指で弄んでいる。カバーの裏に、震える筆跡で書き込まれた公式。僕の「罪」の証拠だ。
「これ、担任に見せたらどうなると思う? 佐藤君。……停学、推薦取り消し。君が震えながら積み上げてきた『努力』という砂の城が、一瞬で崩れるわね」
彼女の声は、冷徹な判決文のようだった。
僕は椅子に座り直すことすらできず、ただ床を見つめていた。視界が涙で滲む。終わった。僕の人生は、この完璧な女王の手の中で、容易く握りつぶされるのだ。
「……ごめんなさい。一ノ瀬さん、何でもするから、それだけは……」
惨めな命乞いだった。
すると、一ノ瀬さんはふっと鼻で笑い、僕の隣に音もなく座った。彼女の冷たい指が、僕の震える顎をすくい上げ、無理やり自分の方を向かせる。
「『何でもする』。……いい言葉ね。無能な君が、初めて価値のあることを言ったわ」
彼女の瞳は、怒っているようには見えなかった。
むしろ、獲物を仕留めた剥製師のような、静かな愉悦に満ちている。
「救ってあげるわ。この消しゴムは、私が預かっておく。……その代わり、今日から君の脳は私のものよ」
一ノ瀬さんは、僕の耳元に唇を寄せた。硬質な石鹸の匂いの中に、わずかに鉄のような、錆びた匂いが混じった気がした。
「私が教えるすべてを、一言漏らさず飲み込みなさい。君の汚い思考を、私の色で塗り潰してあげる。……私が消えても、君が『私』を保存していれば、私は死なないのだから」
それは、救済の形をした〈魂の移植〉だった。
彼女は僕の罪を許したのではない。僕の人生をまるごと買い取ったのだ。
僕は恐怖で全身を震わせながらも、彼女の冷たい指先に、縋るような安らぎを感じていた。
「……はい。一ノ瀬さん」
僕が答えると、彼女は満足そうに微笑んだ。
その微笑みが、僕を一生閉じ込める檻の鍵になるとも知らずに、僕は彼女という猛毒を、自ら喉へと流し込んだ。