テラーノベル
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嵐のようなトラブルが去り、深夜のオフィスには静寂が戻っていた。
一人、また一人と同僚たちが帰路につき、最後に残ったのは私と健人さんだけ。
パチリ、とフロアのメイン照明が落ち
非常灯の淡い光だけが空間を青白く染める。
「……終わった。本当に、終わったんだ…」
自分のデスクで、私はそっとキーボードから手を離した。
極限の緊張から解放され、指先がわずかに震えている。
背後で、重厚な革靴の音がゆっくりと近づいてきた。
「陽子」
振り返る暇もなかった。
大きな腕が私の肩を包み込み、そのまま引き寄せられる。
気づけば私は、彼の胸の中にすっぽりと収まっていた。
「……部長。誰か、戻ってくるかも…」
「大丈夫だよ……それより、よく頑張ったね、日菜子ちゃん。君がいてくれて、本当に助かった」
耳元で響く、低く掠れた声。
その温かさに触れた瞬間、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
私は彼のシャツの胸元をギュッと握りしめ、その鼓動を確かめるように顔を埋める。
健人さんは私の頭を優しく撫で
そのままふわりと、壊れ物を扱うような手つきで抱きしめ直した。
目を閉じれば、彼の体温と
仕事終わりの少し疲れた、でも愛おしい香りが全身を包み込む。
オフィスという戦場で見せる「完璧な上司」の顔。
バーで見せた「男」としての情熱的な顔。
そして今、誰もいない深夜の執務室で見せる、心からの安らぎに満ちた顔。
そのどれもが、私の大好きな健人さんだ。
「……あの、健人さん…一つ、お願いしてもいいですか?」
「なんだい? 何でも叶えるよ」
私は彼を少しだけ押し戻し、潤んだ瞳で彼を見上げた。
「……明日も、会社ではやっぱり、内緒にしたいです」
健人さんは一瞬、意外そうに目を丸くしたけれど、すぐに悪戯っぽく口角を上げた。
「…手厳しいね。僕は今すぐにでも、君を僕の婚約者だと触れ回りたい気分なのに」
「……だって、その方が、二人きりになった時の『ご褒美』が、もっと甘くなるでしょう?」
私の言葉に、彼は観念したように短く笑った。
そして、私の顎をそっと持ち上げると、深夜0時を告げる時計の音に合わせるように
深く、誓うようなキスを落とした。
「……わかった。最高にじれったい『上司のフリ』を続けよう。……ただし」
彼は私の耳たぶを甘く噛み、熱い吐息を吹きかける。
「家に帰ったら、覚悟しておいて。……部長、なんて呼ばせないからね」
夜のオフィスを抜け出し、私たちは手をつないで夜風の中へ踏み出した。