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二十歳になった私、パトリシア=チュルカは一週間前に婚約式を済ませ、結婚への準備をすすめていた。
その為に私は、好きだった図書館でのお仕事を辞めた。
結婚式まであと三か月、結婚式場となる教会や披露宴会場との打ち合わせの予定は決まっているし、今度はドレスを決めにいく。
そんな充実した日々を送っていた六月一日土曜日。
婚約者であるダニエル=ラームがご両親を連れてうちにやってきた。
いったいどうしたのだろうか。
ご両親はなぜか悲しげで、ばつの悪そうな顔をしてソファーに座っている。
応接室に入るなり、私はダニエルに尋ねた。
「どうしたの、ダニー。今日は会う予定じゃないはずだけど」
言いながら私はダニエルの斜めにあるソファーに腰かけた。
明日はドレスなどを決めるために仕立て屋に行くけど、今日は会う予定じゃない。
私の正面にはなぜか俯いたまま顔を上げないダニエルのご両親の姿がある。
けれどダニエルは笑顔だし、どうしたんだろう。
ダニエルはまっすぐに私を見つめて言った。
「パトリシア、君とは結婚できない。俺は真実の愛に目覚めたんだ!」
……
…………
私は何を言われたのかわからず何度も瞬きを繰り返した。
真実の愛……とは?
なにそれ。真実の愛って。え? どういうこと?
ダニエルは胸に手を当てて目を閉じ、ご両親は一層申し訳なさそうな雰囲気を醸し出す。
「彼女に俺の子供が宿ったんだ。俺はこれを運命だと思っている。だからねぇ、パトリシア」
ばっとダニエルは目を開けて、にこやかに笑って言った。
「だから君とは結婚できない、この話はなかったことにしよう」
「も、も、も、申し訳ない! パトリシアさん!」
そう声を上げたのは、ダニエルのお父様だった。ダニエルのお父様とお母様は深く深く頭を下げている。
「息子の言っていることは本当で……ある伯爵家のご令嬢と関係を持ったらしく、そのお相手がその……妊娠したと告げてきて」
よ、よりによって伯爵家ですって……?
私とダニエルの家は商家だ。
お互い大商人であり貴族との関わりは深い。よりによってそんな相手の令嬢に手を出すなんて……
なのになんでダニエルは嬉しそうなの? わけわかんないんだけど?
「ごめんなさい、三か月以上前に行ったパーティーで知り合ったらしく、その時にあったみたいで」
悲痛な声でお母様が言う。
あー……まあ婚約していても人数合わせで呼ばれたりするもんね……パーティーって。
それは私も心当たりがあるから、パーティーに行ったこと自体はあまり文句は言えないけれど。
でもそこでえーと……そういうことがあったって事でしょ?
なんで? どうして婚約者がいる身分で……いや、婚約式よりも前なら婚約者じゃないか……いや、でも婚約する話にはとっくになっていたよね?
混乱する私をよそに、ダニエルは言った。
「そうなんだ、ジェシカと俺はあの日、運命の出会いを果たしたんだ」
ちょっと待て、そんな様な台詞、私も言われましたけど?
婚約式のとき、
「君と結婚するのは運命だと思うんだ」
とか言って、私に婚約指輪を贈ったわよね?
そう思いつつ私は左手の指にはめた指輪を右手の指で撫でた。
「一目で俺と彼女は恋におちた。あれは四か月前の伯爵家でのパーティーだったんだけど、髪の毛と同じ、赤いドレスを纏った彼女はとても美しかった。まるでピジョンブラッドのように。だから結ばれたのは自然なことなんだ」
ピジョンブラッドってルビーのことよね。鉱石や宝石を扱う商人らしい表現。
一目で恋に落ちたんですかそうですか。
私とあなたは親同士の付き合いもあって昔からの知り合いだし、その延長線で自然と結婚話が持ち上がって、婚約ってことになったから状況はだいぶ違うけれども。だから一目で恋におちるとかはなかったものね。
悪い人じゃないし、ちょっと言葉が大げさなことがあるけどそういうところが愛らしいかな、と思ったりしていたんだけど。
あー……なんか一気に冷めた。
「ダニエル!」
お父様がダニエルを叱り飛ばすけれども彼はどこ吹く風、という感じだ。
「そういうわけだからパトリシア。君とは結婚しない」
はっきりとそう告げるダニエルがなんだか知らない生き物に見えた。
私はさめざめとした思いで、左手の薬指にはめた婚約指輪を外す。
そして私は彼の方にそれを差し出した。
「これ、返すわ」
その指輪をダニエルは受け取り、笑顔で言った。
「君の幸せを祈っているよ」
「ダニエル!」
ダニエルのご両親が声を荒げる。
「パトリシアさん、慰謝料を支払いますから……本当に申し訳ないです」
「ごめんなさい、パトリシアさん。うちの息子がこんな愚かなことをするなんて」
そう言って、お母様が泣きだしてしまう。そうよね、こんなことになるなんて誰も想像しないでしょうね。
でも慰めの言葉なんて何にも出てこない。私はただ冷めた気持ちでダニエルやご両親を見つめていた。
「お前、何をやらかしたのかわかっているのか!」
「父さん、その事は何度も言ったじゃないか。ジェシカには俺の子供が宿っているんだから。これを運命と呼ばずになんて呼ぶの?」
「婚約者がいるのになんてことをしたんだ!」
「まさかこんなに愚かな子だったなんて……情けない」
ちょっとお母様が可哀そうになってきた。私が知る限りご両親は普通の人だし、時々噂で流れてくる貴族や政治家たちの醜聞を嫌っていたと思うし。
騒ぎを聞きつけた誰かが呼んだのだろう、両親が応接室に入ってきた。
その後、事情を知ったお父様は文字通りキレて、お母様は呆れた顔でその様子を眺め、あちらの両親は深く頭を下げて慰謝料を差し出してきた。
その様子を私はどこか遠くで起きている出来事のような気持ちで眺めていた。
その翌日は、ダニエルのお相手であるレニー伯爵家の方がお見えになった。
本人も来たんだけど、気分が悪い、と言って形だけ頭を下げて帰って行った。
そして伯爵様とその奥様は土下座する勢いで頭を下げるものだから両親は委縮してしまい、私は完全に無の気持ちでその様子を見つめていた。
レニー伯爵も慰謝料を支払う、と言い、お金を置いていって、そのお金は昨日のお金と合わせて私が受け取った。
「好きに使っていいんだからな」
「そうよ、パティ、貴方が自由に使ってね。教会や披露宴会場への謝罪はあちらが全部するって言っていたから心配しないで」
両親にはひどく心配され、兄には肩を叩かれ、
「いきろ」
とだけ言われた。
姉には結婚して家にいないから何にも言われていない。
私は部屋でひとり、渡されたお金の入った袋を見つめた。
商家と伯爵家。渡された額は結構なものだった。半年分くらいのお給料にはなるかしらね。
こんなあぶく銭、使い果たしてやる。
ドレス新調して、アクセサリーも買って、パーティーに行きまくってやる。
そして新しい出会いをするの。
そうよ、私には幸せになる権利があるんだから。見てなさい、ダニエル。
私は、貴方よりもずっといい相手を見つけるんだから!
ずっといいがそう言う相手はわからないけど!
そう決意した私は、さっそく商人を呼ぶ手配をするのは面倒だったから自分から出向くことにした。