テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
薄い天井の染みを睨んでいるようで、何も見ていなかった。蓮司の体温が背後にあって、息が耳を撫でても、遥はもう何も感じていなかった。
痛みも、熱も、汚れも──全部、慣れた。
“慣れる”ことが、いちばんの地獄だと思った。
どれだけ息が詰まっても、呼吸の仕方を思い出してしまう。
どれだけ壊れたくても、壊れ方を体が覚えてしまっている。
「……ねぇ遥、泣いてんの?」
蓮司が首筋に唇を押し当てて、笑った。
「ほんと器用だよね、おまえ。どっちもできるんだもん。
壊れてるふりして、ちゃんと応える。──なにが本音?」
遥は、喉の奥で何かがつっかえていた。
出てくるのは言葉じゃなかった。ただ、自己嫌悪だけが全身を埋め尽くしていた。
“気持ちよくなんて、なるはずがない”
“でも、反応した。それが、証拠”
「……ほんとに壊れてんの、誰?」
蓮司の問いに、遥は何も答えなかった。答えたくなかったんじゃない。
もう、答えるための“自分”が残ってなかっただけだった。
頭の中に浮かぶのは日下部の顔だった。
優しかった。ちゃんと、見ようとしてくれていた。
でも、それが怖かった。
あんな目で見られて、何も言えない自分が、いちばんの加害者だと思った。
“欲しかった”
“でも欲しがった時点で、それは相手を利用することになる”
“壊すのは、いつだって自分だ”
「なあ遥──ほんとに好きなの、日下部?」
蓮司の声が、ゆっくりと頭の中に染み込んでくる。
まるで、自分の胸の奥に手を突っ込まれて、引きずり出されるみたいに。
「俺には一度も見せなかった顔、あいつに見せてたよね? ……笑ってた。
あんな声、おれ、聞いたことない」
遥の体が、びくりと震えた。
何かが限界を越えた音が、自分の内側で鳴った気がした。
「おまえ、勘違いしてんだよ。
“誰かを想うこと”と、“誰かに抱かれること”、同じじゃねぇから。
おまえがどっち選んだか、もう分かってるでしょ?」
──違う。
そう言いたかった。叫びたかった。
けれど、喉から漏れたのは、くしゃっと潰れた息だけだった。
「そろそろさ……壊れてみせてよ。ちゃんと。
今のおまえじゃ、俺、飽きる」
その一言に、遥の視界が白く霞んだ。
ようやく“感情”が、感情として爆ぜそうになった。
怒りか、絶望か、悲鳴か。
それさえ、遥にはもう分からなかった。