テラーノベル
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# ず っ と 隣 で
8/|/aB(旧アイビー)
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Episode.5
ゴールディは大きな体を小さく丸めて震えていた。バーニーズマウンテンドッグ特有の穏やかで立派な体格をしているはずなのに、今の彼は、男が纏う不穏な空気と、周囲の騒がしい環境に完全に押し潰されていた。
男はといえば、ゴールディとは対照的に異様なテンションでドッグランの中を闊歩している。飼い主が飼い主なら、犬も犬だと思われ、他の飼い主たちは露骨に距離を取る。その「異物」を見るような周囲の視線が、ゴールディの心臓を締め付けていた。
「おいゴールディー! なんだよその態度は! もっと元気よく挨拶しろよ!」
男の声が響く。ゴールディはビクビクと肩を震わせ、男の影に隠れようとした。社交などできる余裕はどこにもない。ただこの異常な空間から、一刻も早く逃げ出したいだけだった。
数分もしないうちに、男はゴールディのその怯えた様子に苛立ちを爆発させた。
「ったく、役立たずだな! せっかく連れてきてやったのに!」
男はゴールディのリードを力任せに引き寄せた。首が強引に引っ張られ、ゴールディは悲鳴を上げる間もなく、近くにいた飼い主のもとで大人しくしていた一匹のチワワの前に引きずり出される。
「おら、挨拶しろよ! 友達だろ!」
男は躊躇いもなく、その場にいた小さなチワワを乱暴に掴み上げた。震えるゴールディの鼻先に、チワワの顔を無理やり押し付ける。
「あ、ちょっと! 何するんですか!」
チワワの飼い主、女子大生が驚いて声を上げ、チワワを取り戻そうとするが、男には聞こえていない。それどころか、チワワの体とゴールディの顔を、まるで粘土細工でもくっつけるかのように強引に密着させた。
突然の無礼で暴力的な接触に、チワワはパニックになり、牙を剥いて激しく鳴き始めた。
「なんなのコイツ!! 触んないでよ!! 気持ち悪い!」
チワワの甲高い怒声がドッグラン中に響き渡る。ゴールディは鼻先を強く押し付けられ、訳も分からぬまま、恐怖と困惑で硬直した。
「え……あ、あの……ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
ゴールディは、言葉こそ話せないが、その瞳には明らかに「どうしてこんなことをするんだ」という悲痛な問いかけが浮かんでいた。自分を嫌悪し、必死に拒絶する小さなチワワの激しい拒否反応を受け、ゴールディはただその場に立ち尽くす。
男は、その惨状を満足げに眺めながら、「おっ、仲良しだな!」とニヤついている。周囲の視線は、もはや恐怖と軽蔑に変わり、ゴールディは自分が「狂った飼い主の犬」というタグをつけられた最も惨めで孤独な存在であることを、改めて突きつけられていた。
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「ドッグランは空気が澱んでた。お前が冴えないのは…あの狭い柵のせいだ」
その日、男は潮風が吹き抜けるビーチへとゴールディを連れ出した。サンダルを脱ぎ捨て、砂を蹴り上げて歩く男の瞳には、またしてもあの特有の濁った熱が宿っている。ゴールディは、男がまた何かを強要し始めるのではないかとリードが張り詰めるたびに足がすくんだ。
「いいか、ゴールディ。お前もオスなら『女』ってものを知るべきだ。俺なんてな、もう過去に40人とセックスしたことあるんだぜ」
男は自信満々にそう言い放った。事実は遠く彼方の妄想だが、男の中では輝かしい実績として定着している。その顔には、自分を成熟した大人のオスだと定義する歪んだ誇らしさがあった。
「あ、でも別に女じゃなくてもいいぞ。お前がゲイだって俺は大歓迎だ! むしろ、犬のゲイなんてものを 間近で見てみたいよな。とにかくボーイフレンドでもガールフレンドでもいい、恋人を作れ! 今すぐだ!」
男の情緒は、もはや制御不能な暴走機関車だった。彼はゴールディのリードを握りしめ、獲物を探すように海岸線を見渡す。そして、優雅に砂浜を歩いていたゴールデンレトリバーのオスを見つけるやいなや、ゴールディを置き去りにして一直線に駆け出した。
「おっ、いい素材発見!」
男は迷いなくそのレトリバーの首輪を掴み取ると、抵抗するレトリバーを強引に引きずり、ゴールディの隣へと連れ戻した。
「ほら、お似合いカップルの誕生だ! さあ、恋人ごっこを始めろ!」
男は砂浜に三脚を立てて、スマホをセットし、カメラを回し始めた。その画面の中では、突然知らない人間に拉致され、訳も分からず強引に見知らぬ犬と座らされた二匹の大型犬が、困惑と恐怖で固まっている。
捕まったゴールデンレトリバーは、男の顔を見上げ、呆れと怒りが混ざった視線を向けた。
「……なんなんだよお前ら。……頭おかしいんじゃねぇの?」
その言葉は、悲しいほど正論だった。しかし、男の耳には「俺の芸術的な演出への賛辞」として変換されて届く。
「へへ、照れるなよ! ほらゴールディ、愛を囁いてみろ! 俺との思い出になるんだからよ!」
男はスマホを覗き込みながら、自分を演出者として称え、二匹の頭を無理やり近寄せた。ゴールディは相手のレトリバーに申し訳なさと恐怖を感じて震え、レトリバーは男の異常な雰囲気に引きつった顔をする。
男はカメラに向かって、「最高だよ……これが『禁断の恋』か……」と夢見心地で呟きながら、シャッターボタンを連打した。波の音だけが、この地獄のような「思い出撮影」を、冷ややかに響かせていた。
男がニヤニヤとスマホの撮影に興じていたその時、一人の少年が砂を蹴って駆け寄ってきた。
「レオンッ!」
少年の叫び声に、引きずり回されていたレトリバーがホッとしたような声を漏らす。少年はゴールディの横に立つ男の姿を認めると、その顔を凍りつかせた。男の目つきが、普通の大人とは決定的に違う――焦点が合わず、どこか遠い世界を見ているようなその異様さに、本能的な恐怖を感じたのだ。
「あなた何してるんですか?レオンを返してください!」
少年は震える声で怒鳴り、男に掴まれていたレオンの首輪を引こうとした。しかし、男の指は鉄の箍のように少年の大切な家族を縛り付けていた。
「あぁん? 何勝手なことしてんだよ! 俺が今、最高のシチュエーションを撮ってるのが見えねぇのか!? 離せ、ガキが!!」
男は少年の腕を容赦のない力で強く掴み上げた。子供の華奢な腕に、男の狂った指の跡がくっきりと残る。あまりの痛みに少年が「痛いっ……!」と悲鳴を上げ、涙をこぼした。
その悲鳴は、砂浜にいた少年の両親の耳に届くには十分すぎた。
「おい! 何やってるんだ!」
遠くから走ってきた父親の怒声と、悲鳴を聞いて顔を青ざめさせた母親が目の前に飛び出してきた。母親は、泣きじゃくる我が子の腕を乱暴に掴んでいる男の姿を見て、真っ白だった顔を怒りで真っ赤に染め上げた。
「……ッ!」
母親は言葉を発するよりも早く、男の頬を思い切り平手打ちした。
バチンッ!!と、乾いた破裂音が砂浜に響き渡る。男の顔が勢いよく横に弾かれた。長らく「ネット上の神」として自分の妄想に浸りきっていた男にとって、現実に突きつけられた暴力はあまりに突拍子がなく、一瞬、何が起きたのか理解できない様子で呆然と立ち尽くした。
「うちの子に何するのよ!警察呼びますよ! 今すぐに!」
母親の叫び声に、周囲の海水浴客たちが集まり始める。男は打たれた頬に手を当て、次にスマホを強く握りしめた。だが、その瞳に宿っているのは驚きではなく、やはり「自分のファンアートの続きのような、ドラマチックな展開が起きている」という、歪んだ興奮だった。
「わっはぁ……すごいな……」
男は殴られた痛みさえも、自分が物語の主役であることを証明するスパイスのように感じ、ニタニタと不気味な笑みを浮かべた。その異常な反応を見て、少年の家族はさらに戦慄し、ゴールディはそんな男の横で、ただただ惨めに身を縮めていた。
コメント
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ああ、もう読んでて胸が苦しくなったよ……。 ゴールディの怯え方とか、犬なのに人間以上に“空気読んでる”感じが伝わってきて、可哀想で仕方なかった。 あの男、完全に現実と妄想がイカれてるよな……「禁断の恋」とか言っちゃうとこ、狂気の演出家感がヤバい。 でも少年とその家族が出てきた場面は、ちょっとスカッとしたというか、現実の正義が動き出した感じがあって、続きすごい気になる。 ゴールディが報われる日が来てほしい……マジで。