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北側外廊下に面した玄関扉横のプレートに『Hinami Yamanaka』と書かれた、四階建てアパートの二階の一室。
ワンフロアにつき世帯数は三つのこのアパートで、山中日和美が住んでいる部屋は共有の階段やエレベーターから一番近い位置にある西の端っこ。
深夜零時を過ぎたというのに、明かりの付いていないその部屋の中、テレビから漏れ出す光だけが、煌々と室内を照らしていた。
『今日ご紹介するイチオシ商品はこちらっ!』
来週半ば――四月から新卒の新入社員として社会に出て働き始めるというのに、真っ暗な部屋の中、うら若き乙女が真夜中の通販番組の画面に釘付け。
学生時代にハマってしまった深夜の通販番組視聴の習慣が、なかなか抜けなくて困っている。
二重まぶたの大きな瞳が、テレビに映る実演販売士の巧みな話術にキラキラと輝いていた。
ショートボブをシアグレージュに染めた彼女は、フワモコ素材のパジャマ姿のまま、柴犬の形を模した平べったいモコモコクッションを抱えるようにして、ラグの上にちょこん……と体育座り。
「わー、ふわっふわのお布団! 欲しい!」
この部屋の主。
山中日和美は、一人暮らしを始めて今年で五年目に入る、二十三才の可愛らしい独身女性だ。
見た目は悪くないのだけれど、行動がちょいちょいぶっ飛んでいるせいか、彼氏が出来ても深いお付き合いが始まる前にいつも「こんな子とは思わなかった」と言われてフラれてしまう。
そんなこんなでいま現在は、悲しいかな特定のお相手もいないフリーの身。
恋愛に興味がないわけじゃない――ばかりかかなり興味津々だけど、こればっかりは一人じゃどうにもならないから、新しい環境で新彼がゲットできるのを楽しみにしているところだ。
大学四年間を過ごしたアパートは、新卒で採用された、全国展開の大手書店『三つ葉書店』の学園町店への利便性もそんなに悪くなかったので、そのまま契約更新をして住み続けることにした。
したのだけれど――。
せっかく新生活が始まるというのに何も変化がないというのは何だか寂しいな、とも思っていて。
カーテンでも変えようかな?と考えていたところへ飛び込んできたのが、今回のふわふわの布団の紹介通販だったというわけ。
(布団を新調したらいい夢が見られるかもっ!)
しかも今なら一セットのお値段で、シングルサイズの掛け敷き布団がもう一セット付いてくるらしい。
加えて!
『今夜は出血大サービス! 何と! 手触り最高のモフモフ毛布まで二枚付いて……お値段は何と据え置きの――』
日和美は心の中で「そのお布団、買ったぁー!」と叫んでいた。
***
深夜のテンションそのままについお買い上げしてしまったふわふわな布団のセット二つ+モフモフの毛布二枚。
冷静になって考えてみれば一人暮らしの自分に、二セットも寝具はいらないわけで。
(あーん、また無駄遣いしちゃったぁ〜!)
と思いはしたものの、せっかくだから二つ並べて敷いて〜。ごろごろ転がりながら寝るのもありかもぉ〜!などと訳の変わらないことを考えてニンマリする。
要するに日和美。返品するつもりは皆無だ。
「問題は……」
二組の掛け敷き布団と毛布を見て、日和美は形の良い眉をハの字に下げた。
「なんで枕が付いてないのよぉぉぉー!」
寝具に枕は必需品でしょう!?とガックリと項垂れる日和美。実はそういうところが、歴代の彼氏たちを呆れさせてきたのだと気付けないのが彼女の残念なところだった。
***
今日は、風こそ少し冷たいけれど、雲ひとつない真っ青な空が広がったいいお天気。
枕のことはともかくとして、これは届いたばかりの布団をお日様に当てなさいという天啓かも知れない。
ポジティブシンキングでそんなことを思った日和美は、ペッタンコに圧縮されて届いた布団の梱包にエイヤ!と切り込みを入れた。
途端プシューッと中に空気が入って、ふわふわモコモコのお布団が!と思ったのだけれど。
「あれ?」
思ったほど膨らまなくてガッカリしてしまう。
テレビショッピングではもっとフワッフワに見えていたのに。
天日干ししたら少しは変わるかも?
そんな淡い期待を込めて布団を持ち上げたら、結構重くてよろめいた。
「何これ何これ何これぇ〜。何でこんなに重いの!」
敷布団がやたら重い。
それだけしっかり中身が詰まっていると言うことだろうか。
そう言えば実演販売士のおじさんが、『最近少しレアかも⁉︎な天然コットン百パーセントのお布団です!』と謳っていたっけ。
前に父方の祖母が、「木綿の布団は丈夫で保温力も吸湿性もええ上に打ち直しがきくけん最高なんじゃけど……ちぃーとばかり重いのが難点なんよねぇ」と言っていたのを思い出した日和美だ。
祖父母宅へお泊まりに行くと、布団の上げ下げに苦労したのを思い出す。
「そうそう。正にこの感じ……」
恐る恐るスマートフォンで「木綿」を検索したら「コットン」と書かれていて思わず「ヒッ」と声が出た。
(コットン=木綿だなんて、知りませんでした、すみません!)
「おばあちゃんの言った通り、木綿のお布団重いよぅ!」
とはいえ、掛け布団はともかく、敷布団は一度敷いてしまえばそう滅多に動かすものではない。
「何せ我が家は二部屋もあるものぉ〜♪」
一人暮らしの日和美は、一室をリビングに、一室を寝室にしている。
そちら側の部屋は、布団と大好きな本がみっちり詰まった本棚がずらりと並んでいるだけだ。
一人暮らしだし、祖父母宅と違って、寝起きのたびに押し入れに布団を出し入れなくてもいいだろうからきっと何とかなる!
万年床バンザイ!
しかし実は日和美が買った布団、中身が木綿なのは、掛け布団も変わらない。
今まで羽毛布団を愛用していた日和美は知らない。
コットン入りの布団は、掛け布団もヘビー級。羽毛よりも大体二キロぐらい重いのだ。
因みにコットン百パーセントの掛け布団は平均四.五キロ、敷布団は六キロくらいの重量があると言われている。
いま日和美がえっちらおっちら運んでいるのは六キロぐらいある敷布団ということで。
身長一五三センチの小柄な日和美がふらつくのも無理はなかった。
祖母から、木綿の布団は陰干し推奨、直射日光に当てて干すのは生地を劣化させるからあまり良くないと聞いたことがある。でも今日ぐらいいいよね?と日和美は自分を甘やかしてみたり。
きっとカバーを掛ければ布団自体の生地が傷むのだって防げるはずだ。
どうせ枕だって新調しないと心機一転にはなりそうにないし、あとで『ファッションセンターしまむた』で買ってこよう、と心に決める。
日和美は太陽光をたっぷり浴びたふかふかのぬくぬくお布団が大好きなのだ。
うんしょ、うんしょと掛け声を掛けながら敷布団をベランダに持ち出す。
一旦ベランダの柵に重い敷布団を立てかけてから、先に掛け布団を干そうと思い至った日和美は、「かっけぶとん〜♪」と謎の歌を口ずさみながら一旦部屋の中に戻った。
そうして軽い気持ちで「よっ」と掛け布団を持ち上げようとして「え!?」と声を上げた。
「何これ、こっちも重いじゃん!」
そういえばこの布団一式を持ち運んでくれた配送業者のシロネコヤマトさん、めちゃくちゃ息が上がっていた気がする、と思い至る。
単に一階から階段を使ったからかな?とか思っていたけれど、エレベーターがあるのに大荷物を持った彼がそれを使わなかったとは考えにくいではないか。
日和美の部屋は西側に設置された、階段にもエレベーターにも一番近い角部屋だ。
なのに――。
「わぁ〜。めっちゃ重かったんだ」
今更のようにそんなことに気がついた日和美だ。
掛け敷き二セットが、圧縮されていたとはいえ、ひとまとめに梱包されていたのだから重くないわけがない。
「シロネコさん、すっごい力持ち!」
今度から通販で買ったものが届くたび、シロネコのお兄さんの二の腕の筋肉とかチェックしてしまいそうだよぅ!とニマニマした日和美だ。
(けど……今はそんなことを考えている場合じゃないっ)
日和美はフルフルと頭を振ると、ふかふかぬくぬくお布団ミッションを完遂すべく行動しなくては!と思い直した。
「よっこらしょっ!」
祖母が重いものを持ち上げるときはこの掛け声に限る!と教えてくれたのを忠実に守りながら、掛け布団を持ち上げてみたら、案外すんなり持ち上がった。
ただ単に、「重い」と言う予備知識を得てそれ相応の気構えで望んだから先ほどより易々と持ち上がったに他ならないのだが、日和美は(おばあちゃん、さすがだよ!)と思って祖母を心の底から崇め奉る。
実は日和美、幼い頃に母を亡くしていて父・和彦に男手ひとつで育てられた経緯を持っていた。
父の仕事中は基本保育園に通っていたけれど、何かあるたびに父方の祖父母が面倒を見てくれて。
特に祖母は孫の日和美を本当に可愛がってくれたから。
日和美本人には自覚がないけれどかなりの〝おばあちゃんっ子〟なのだ。いや、〝おばあちゃん信奉者〟と言うべきか。
よろめきながらも何とか掛け布団をベランダまで持ち出してバサリと柵に掛けた!までは良かったのだけれど。
「あ、布団ばさみ忘れた!」
それがないと、干した布団が下に落ちてしまうかも知れない。
このアパート、建物が割と敷地一杯一杯に建っていて、ベランダのすぐ下は道路に面している。
布団に限らず、洗濯物なんかも落としてしまったらみんな道端に落下してしまう感じ。
そんなに人通りもないし、滅多に車も通らない道だけど、もちろん通路である以上誰も通らないわけじゃない。
今だって、ちょっと先の方からスーツ姿の男性が歩いてくるのが見えている。
「んーっ!」
なるべく内側に比重が掛かるように布団を引っ張って、布団ばさみを取りに部屋に入ろうと、布団から手を離した途端。
「あああーーーっ!!」
布団がズルリとバランスを崩して、あろうことか柵の向こう側へずり落ちて行くのが見えて――。
慌てて手を伸ばして端っこを捕まえた!……けれどダメだった。
重い木綿入りの掛け布団は、日和美の手をスルリと抜けて真っ逆さま。
ちょうどさっき見るとはなしに見たスーツ姿の男性目がけて落ちていくではないか!
「きゃーーーっ! 危ない! 避けてーっ!」
声を限りに叫んだけれど、遅かった。
その瞬間は、何故だかとってもとってもスローモーションに見えた日和美だ。
ふわっふわの色素の薄い男性が「え?」と言う顔でこちらを振り仰いだのが見えて、「わ! すっごいハンサム!」とつぶやいたと同時、その顔がゆっくりと布団に覆い隠されて見えなくなった。