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「危険なので離れてくださーい!」「川に近づかないでください!!」
第二城壁、ノルド川から引いた水路周辺で、兵士たちに誘導された住民が避難行動をとっている。
ノルド川は辺境城塞都市トロンの北南から流入し、そのまま南へと流れていく。これが本来のノルド川の姿だが、現在では人の手によって枝分かれされ、複数の水路ができている。
分かたれたノルド川は第一城壁を囲うように広がり、東水路、中央の本流、西水路に分かれ、西に分かれた水路が更に分割され、第二城壁を潤す南西水路がまっすぐ西に伸び、やがて南へ垂れてトロンの外へと出るのだ。
現在のノルド川で最も汚染が激しいのは、この南西水路である。
本流から分割され、横ばいに走らされているために水の勢いが減衰。さらには爆発的に増加した人口によるゴミの放棄によって、水路の自浄作用が限界に達したのだ。
「またあの令嬢が何かするぞ」
「何だ、今度は何だ」
わらわらと集まってくる住民を、兵士が通せんぼする。
「何だよ。どうせ川の清掃だろ? 近づいたっていいじゃないか」
「やめてください、死にますよ」
死ぬだって? そんな大げさな。
そこまで民が呟いた時、轟音が響いた。
増水したノルド川が波打ちあらゆるゴミを押し流していく。冬の終わりで少なくなっていた水量が見たこともないほどに膨れ上がっていた。夏の終わりでもここまでの水量にはならない。
ここまでくると水の勢いがどうという問題ではない、巨大なゴミが礫のように吹き飛んでいくのだ。こんなものに巻き込まれたら自分がゴミになるだろう。
「ひいいいいいいいい!!」
見物していた住民達が海岸の波のように退いていく。
恐る恐る見守っていると今度は川の流れがおさまり、干上がってしまった。
押し流されてきたゴミが川底にちらほら見えた。
川が干上がることなど、何十年に一度あるかないかだ。興味に駆られて近づこうとする子供を、再び兵士が止める。
「まだですよ」
すると、再びノルド川が増水しゴミを押し流していく。なるほど、確かにこれを繰り返せばゴミはトロンの外へと洗い流される。しかし、一体全体どうやってここまでの水力を発生させているのだろう。
気になった住民たちがノルド川を辿ると、見物人が増えていく、南西水路と西水路の分割点に不思議なものがあった。
「あれは、氷?」
水路が氷で埋められ、溢れる川水を氷の壁が堰き止め溜めているのだ。
どっしりとした建造物のような氷壁を作っているのはアベル王子だった。
南部では急な増水に耐えるため、堤防を作ると聞いたことがあるがおそらくこの氷壁に近い物だろう。
みるみるうちに氷の壁は広がり歓声が広がる。
話には聞いていたが、あれが魔法か。実際に目にすると綺麗なものだった。
「やりなさい」
傍らに佇む令嬢がそう命じると、鍛冶屋連中がハンマーを持って集まってきた。
南西水路を塞ぐ氷をやたらめったら叩いていくと、氷にひびが入った。
「割れるぞ!」
「退いてください!!」
アベル王子と令嬢の声に反応して鍛冶屋連中が下がり切ると、氷が砕け。増水した川水が南西水路に流れ込んだ。あらゆるゴミを押し流しながら川水はどこまでも進んでいく。
なるほど、考えたものだ。
この方法ならこれまでに比べて遙かに短時間で川が洗浄できる。
その上、川に潜り込んでゴミを引きずり出すよりもずっと安全だし、人件費も節約できそうだ。
本来王族が民草のために自ら汗を流すなどあり得ないことだが、アベルは元々ただの平民であり、市井の魔法使いだった。おそらくは令嬢の提案をそのまま受け入れたのだろう。
「川にゴミが溜まっているなら、洗い流せばいい」
言われてみれば確かにその通りなのだが、身も蓋もない夢のような話だ。汚れた食器じゃあるまいし、思いついたところで誰も本気にしないだろう。
だが、令嬢は違う。
令嬢は誰もが「そんなことができるわけがない」と笑い話にしてしまうような策を本当に実行し実現してしまうのだ。
ノルド川が本来の美しさを取り戻すと。住民達から歓声があがった。
「ふん、悪い気はしないわね!」
令嬢が両腕を組んで足をぴっと出し、そんな台詞を言う。
最近上演されている黒猫一座の劇でやっていた、悪役令嬢の仕草と同じだった。
突然のファンサービスに再度人垣が歓声をあげると、令嬢はぱっと手を振る。王太子妃らしい、余裕のある仕事ぶりだ。
アベル王子に促され、令嬢は不在城へと帰って行く。
あの二人に任せていればトロンは安泰だ。そう、誰もが思っていた。
辺境城塞都市トロンの人口はこの時期最盛期を迎えていた。
だが、それはほんの一時のことでしかない。
春を待たずして、トロンの人口は文字通り半減することになるからだ。