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第十六話 泣いていました
瞼が、重い。
一歩踏み出すたびに、世界が遠のいていく。
冷たい空気が肺を刺す。
吐いた息が白く滲む。
足を止めてはいけない。
止まれば終わると、どこかが知っているのに。
視界が、ふっと暗く沈んだ。
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次に触れたのは、寒さではなかった。
あたたかい膝だった。
柔らかな布の匂い。
陽だまりの中で揺れる、聞き慣れない響きの言葉。
意味は分からないのに、不思議と安心する声。
「むかしむかし──」
母は、聖典には載っていない物語を語った。
海の向こうの神々の話。
星の生まれた日の話。
ひとりの神だけではない、たくさんの神々が笑い、怒り、恋をする話。
幼い私は、ただ母の指先を握っていた。
母もまた、水膨れのできた私の小さな手を優しく握り返してくれた。
その指が髪を撫でるたび、世界は優しかった。
外で風が鳴った。
母の声が、ほんの少しだけ止まる。
「……大丈夫よ、アダ。……おまじないを唱えましょう。」
そう言って、また微笑んだ。
けれどその笑顔は、いつもより少し固かった。
───
遠くで、足音がした。
重たい扉の音。
低い声。
知らない男たちの影が、床に伸びる。
「静かにしていなさい」
母の手が、強く私の肩を抱いた。
部屋の空気が、冷えていく。
さっきまでの物語が、嘘みたいに遠ざかる。
───
気づけば、外にいた。
石畳が冷たい。
裸足ではないのに、その冷たさが骨まで沁みる。
人がたくさんいる。
ざわめきが、波のように押し寄せる。
祈りの声が、空気を満たしている。
ただ、逃げ場のない音だった。
数人の大人たちが大きな箱を抱えて持ってきている。
「魔女の眠りの箱」だと、誰かが唾を吐くように言った。
目の前に、黒い鉄の台。
思わず触れてしまった指先に、ぞっとする冷たさが走る。
まるで体が腐り落ちてしまうほど、冷たかった。
「触ってはだめ」
母が小さく囁く。
振り向くと、母は微笑んでいた。
頬は青白いのに、目だけが優しい。
その手を、ぎゅっと握る。
不思議だった。
周りは凍るほど寒いのに、母の手だけが、あたたかい。
「寒くない?」
母はそう聞いた。
自分の方が震えているのに。
私は首を振った。
本当は寒かった。
でも、母の手を離したくなかった。
寒さのせいだけではないはずなのに、水膨れの跡が、今さら思い出したようにじくじくと酷く痒くて答えた。
祈りの声が大きくなる。
誰かが、私の肩に手を置く。
視界を塞ごうとする影。
母の指が、そっと私の手をほどいた。
「目を閉じていなさい」
最後に聞いた声は、物語を語るときと同じ、やさしい声だった。
温もりが、離れていく。
世界から、母の手の温度が消える。
私はただただ泣いていました。
母を閉じ込めた眠りの箱。
時間さえ触れられない場所で。
もう二度と母は変わることも終わることもない。
そのままずっと眠り続く。
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「はぁっ」
喉がひきつるように息がこぼれた。
目を開けると、夜だった。
はっと息を吸い込んで目を開けたとき、頬が冷たく濡れていることに気づいた。
何の夢だったのか思い出せない。
胸の奥だけがまだ冷たい。
なにかの爛れた夢の続きを見て泣いていたのだろう。
星が近い。
凍てつく空気。
「……おまじない」
ふと、あの大事にしていた、秘密のおまじないを唱えた。
すると、理由もわけも無く体が震えた。
すっと、正気になった。
夢ではない。
目の前には、引きずってきた体。
ウラシェル。
胸の奥に残るのは、懐かしさではなかった。
ただひとつの、確かな感情。
正しくなければ、消される。
愛されていても、優しくても、関係ない。
間違っていれば、世界は奪う。
だから。
正しくいなければならない。
正しく生きなければならない。