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月曜日、唯由は爽やかな気分で会社の廊下を歩いていた。
日差しが心地いいだけで、なんだか陽気な気持ちになる。
こんな明るい中にいると、あのコンパの夜のことが嘘のようだった。
まあ、そもそも連絡先、交換してないし。
王様、アパート眺めて帰っただけだったし。
家は知ってるから、いきなり来たりするかもと、実はちょっと怯えて休日を過ごしたのだが、そんなこともなかった。
そうは見えなかったけど、あの人、きっと、かなり酔ってたんだろうな。
朝、正気になって、よく知らない人に愛人になれとか言って悪かったな、と反省したに違いない。
……いや、反省してくれ、と唯由が思ったとき、
「お疲れ様ー」
と廊下の向こうから、背の高い技術職の男性、村井が現れた。
技術系の人たちが着ているキャメルの長袖のシャツにカーゴパンツ。
今流行りのちょっと格好いい作業着だ。
村井は、いつもニコニコと感じはいいが、呑み会のときもそんなにしゃべってくる方ではなかった。
「お疲れ様です」
と立ち止まり、唯由は、にこやかに挨拶する。
単に、天気がよかったからだ。
だが、村井は笑って訊いてくる。
「なにかいいことあった?」
「えっ?」
「金曜の夜、コンパやってたよね」
ひっ、と唯由は固まる。
あの女子メンバーは学生時代の友だちだったので、誰かがしゃべったわけではない。
どうやら、見られていたようだった。
なんて狭い街なんだ……。
「僕らも呑みだったんだけど。
帰り道も、君、見たよ」
な、なにをですかっ、と怯える唯由に、
「誰か男の人と手をつないで帰ってたよね」
と笑顔で村井は言う。
手をつないでたんじゃなくて、引っ張られてたんです~っ。
だが、弁解する間もなく、
「じゃあ、お疲れ」
と村井は行ってしまった。
もう駄目だ……。
あんな普段しゃべってこないような人が言ってくるぐらいだ。
技術系の人たちの中では、もう私はコンパで見つけた彼氏と手をつないで帰ったことになってしまったに違いない。
私、お持ち帰りされてません……と青ざめながら、唯由は一階の喫茶に行く。
「あ、唯由ちゃん、お疲れ。
伝票持ってきてくれたの? ありがとー。
って、実は、超超、頼みがあるんだけどっ」
喫茶の、唯由よりちょっとばかし年上、と本人が言っている中西治子が手を合わせてきた。
「今ちょっと動けないんだけど。
急ぎの出前があってさ。
いつもなら、取りに来てもらうんだけど。
向こうも手が離せないみたいなのよ。
もし、時間あったら、研究棟まで珈琲持ってってくんない?」
映画の割引券あげるから、と言われる。
「いや、別にいらないです。
今、ちょっと時間あるから、大丈夫ですよ」
唯由は治子の頼みを引き受け、珈琲ののったトレーを手に喫茶を出た。
「ひっくり返さないでよ~っ。
ありがと~」
と心配そうな声に送られながら。
今にもひっくり返しそうな私に頼むとは、ほんとうに困っていたようだ、と思いながら、研究棟に行くと、白衣のおねえさんが慌てて出てきた。
「やだ、ごめんなさい。
あなた、喫茶の人じゃないわよね?」
「秘書の蓮形寺です。
お疲れ様です」
いや、秘書とはいっても、新人で下っ端の使いっ走りなんですけどね、と思いながら、唯由は言った。
「ごめんね~っ。
ちょっと今、手が離せなくてっ」
お客様が数人いらしているようだ、とガラス張りの応接室を見ながら唯由は思う。
「私、配るの手伝いましょうか?」
と言うと、
ありがとうっ、助かる~と大感謝された。
「いやー、秘書の人がやってくれると手慣れてるから助かるわ。
私なんて、今にもひっくり返しそうで。
出す順番とかもよくわからないし」
可愛らしい彼女は、今田紗江という研究棟のスタッフだった。
ふわふわした茶系のロングヘアを邪魔にならないようにか、適当に、ひっつめている。
研究棟って下の事務室くらいまでしか入らないから、よく知らないな~と思いながら、
「いえいえ、私もよくひっくり返すんで」
と笑って、紗江を青ざめさせながらも、無事に運んだ。
「ありがとう。
なにか食べてく? お菓子あげようか」
子どもに言うように彼女は言い、来てーと和モダンなリラクゼーションルームに唯由を引っ張っていく。
「蓮太郎。
なんか美味しいもの持ってるでしょう? 美味しいものちょうだい。
この子にあげるから」
いや、どんなセリフだ。
っていうか、わざわざ人にいただいてまでもらわなくても、と唯由は断ろうとした。
だが……
ん? 蓮太郎? と思ったとき、長い鉢に並んで植えられている竹の下、白衣を着た何処かで見たような男が真っ白なリクライニングチェアに座っているのに気がついた。
いや、よく似た別人に違いない、と唯由は思い込もうとした。
白衣を着ているので、印象が違うだけだとは思いたくなかった。
だが、男が閉じていた目を開けると、あの鳶色の瞳が現れる。
自分を見て言った。
「おお、蓮形寺。
なんでこんなところにいるんだ。
俺を追ってきたのか」
「……いや、あの、此処、うちの会社なんで」
そういえば、お互い、会社が何処かも訊かなかったな、と思いながら、唯由はそう答えた。