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俺が生まれた中ではっきりと覚えている最初の
記憶は俺が話せるようになった頃
遠くの街で行われた親父の集まりに参加したこと
親父の船に乗って行って危うく船から落ちかけたのは今では笑える話だ
そこで俺は初めて「大人の闇」を知ったーー
🇬🇧「ということで今回の件ですが、我々大英一家が権益を取ることでよろしいですね?」
その頃親父とフランスが経営争いをしている最中であった
先代のスペインが亡くなり、それの遺産相続をめぐり、争ったとのことだ
結果、総会で親父が多数決で勝利し、
会社の権益を取ることになった
🇫🇷「悔しいが君に任そう…私利私欲に使うんじゃないぞ?」
彼らの一族は非常に悔しがってるように見えた
涙を流す者もいた
その時の俺はそれが何か珍紛漢紛で、悲しい顔をしてるとしか思わなかった
権益相続の総会の後、俺は親父の家族と共に
レストランで夕食を食べた
俺以外にいたのはカナダ、当時のプロイセン
ロシア(帝国)だった
プ「イギリスさんおめでとうございます!
こんな大企業を継げるなんてさぞかしご機嫌でしょう!」
🇬🇧「もう嬉しすぎて叫びたい気分ですが、
ここは公共の場なので(紅茶を飲む)」
ロ「だがやっていけるのか?お前は沢山の小企業も抱えてる」
🇬🇧「私にはプランがあるので」
余裕そうな表情で紅茶を飲み続ける
そのとき俺はトイレに行くと親父に伝え、
駆けていった
ここのレストランのトイレは何故か店外にある
食い逃げ防止のため、出る時は店員に伝える必要がある
俺は子供だったからそんなことせず、すぐに外へ出た
その時
???「捕まえた」
俺は何者かに持ち上げられ、連れ去られた
目が覚めるとそこは子供部屋だった
特に拘束されている感じはしなかった
ごくごく普通の子供部屋だった気がする
「お目覚めかい?坊ちゃん」
子供ながら俺はその声はさっき聞いた声と同じ声だったと気づいた
当時の俺は何が起きているのかわからず、
呆然とする始末だった
「君がイギリスの長男だって?ならこいつさえ殺せば…」
「おにいさん…それ…なあに?」
「これかい?君には関係ないよ」
銀色の刃物がこちらに向かって近づいてくる
当然俺はそれが何かはわからなかった
「おにいさん…?」
その不吉な笑みに恐怖を覚え、俺は泣き出してしまった
「ちっうるせぇガキだな…早く殺るか…」
バタッ!
「アメリカ!」
後ろからドアを開けてやってきたのは親父だった
「クソッ…早いな…」
駆け出して俺に刺そうとしたその時
プ「観念しろ!」
プロイセンが駆けつけ、抑えつけた
🇬🇧「アメリカ!怪我はないですか!?」
「う、うん…うわぁぁぁぁぁん!」
今までの人生で味わったことのない恐怖に
俺はさらに号泣してしまった
🇬🇧「よしよし、もう大丈夫ですよ…」
プ「お前の予想通りだったな」
ロ「恐ろしいな。こいつはおそらくフランスの
部下だな」
彼の背中に書かれている紋章を見て言う
その後、その部下は殺人未遂の罪で捕まったのだった
俺はすぐさま親父の自宅に置かれ、カナダとは
別の部屋に置かれた
その部屋は俺が生まれたから育った部屋よりも狭く、監視が厳しそうな部屋だった
🇬🇧「今日から貴方の住む部屋はここですから」
プ「にしても、お前さんの子供が無事でよかったよ」
ロ「だがお前は金の不正疑惑がかけられている。そんな奴がトップになると不快感を持つ奴がいるのはわかる」
🇬🇧「不正した覚えはないのですが…でもこれで私は気づけました。私は子供を甘やかしすぎた。もっと厳しくさせなければいけないと」
覚悟の決まった顔にプロイセンとロシアは息を呑む
プ「フ…厳しすぎないようにな」
ロ「そうだそうだ」
🇬🇧「わかってます」
21時ごろ、俺は自分の部屋でおもちゃで遊んでいるとドアの開閉音が聞こえた
俺はすぐさま玄関にかけよって
「お父さんおかえりなさい!」
そう言って親父を喜ばせようと思った
だが親父の口から放たれたのは
「誰が勝手に外に出ていいと言ったんですか!
もし私になりすました怖い人だったらどうするんですか!」
放たれたのは説教だった
「ご、ごめんなさい…」
🇬🇧「ハァ…次回からは気をつけるんですよ」
親父は俺を抱っこし、再び部屋に戻した
「それじゃ、早く寝るんですよ」
その日から俺は行動を制限された
1.親の許可なく部屋の外に出てはいけないこと
2.ただし例外としてトイレ、風呂、食事の時は出ていいこと
このルールが書かれている張り紙が俺の部屋の前のドアに貼られた
幸い俺は言語は読めるので瞬時に理解し、それに従順に従った
でも退屈だった。最初のうちはなんとも思わなかったが1週間経てば退屈になった
弟のカナダとも遊べないし、
数ヶ月経ったある日
🇨🇦「お父さん、僕お兄ちゃんと遊びたい!」
🇬🇧「ダメです。それより、私と遊びましょう!私と遊んだ方がより楽しいですよ!」
この時から俺は親父は俺を愛していないんだと考え始めてしまった
そのショックが重なり、泣く夜もあった
その一件から数年後、俺は学校に行くようになったが、登下校は親父の送り迎え
友達と外で遊ぶことも禁じられていた
対しておいしくもない親父の料理も食わされた
カナダと遊ぶことは出来たのが唯一の救い
ある日の学校にて
モブ1「アメリカはさー、今週花火大会あるの
知ってる?」
🇺🇸「知らないなぁ」
モブ2「行こうよー!絶対楽しいよー!」
親父に聞いたらダメだと言われるだろう
でも親父と一緒ならいけるだろうという希望もあった
🇺🇸「お父さん…俺花火見たいんだけど」
🇬🇧「花火は家の窓からでも見えるでしょ?
ダメです」
あっさりと断られた
まぁわかってたことだ。でも俺が腹が立ったのは
🇬🇧「さぁカナダ。花火を見に行きますよ!」
🇨🇦「やったー!楽しみー!」
確信犯だった
親父はとっくに俺のことなんぞ愛してない
カナダだけしか愛してないんだ。俺のことは子供なんかと思ってないんだ
俺は絶句した
数時間後、カナダと親父は満喫したそうな話し声で
帰ってきた
その日から俺の親父への不信感はさらに強まった
そして俺は求め、いつか来るのを待った