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死屍累々ふたたび――|理世《りせ》が出した課題のデザイン画は、自分の力を最大限に出したものでなくてはならない。
それを全員が、なんとか描き終えた。
私もきっちり仕上げてきた。
出勤してきたら、睡魔に負けて床で眠っている人が何人もいて、持参した寝袋が痛まししい。
「やっとできたっ……」
|紡生《つむぎ》さんは震えながら、机に倒れこんだ。
窓から差し込む眩しい朝日が、事務所内を照らす。
「おお……夜明けよ……。我が人生の夜明け」
そんなことを紡生さんは口にした。
達成感からか、薄っすらと笑みを浮かべている。
紡生さんは体力が尽きたらしく、椅子から転げ落ち、バタッと床に倒れた。
「私の骨を拾ってくれ……|恩未《めぐみ》……」
「はい、回収しまーす」
演技をしている紡生さんを無視して、恩未さんがデザイン画を集めて回った。
紡生さんは悲しい目で恩未さんを見ていたけど、絡む元気はないらしく、ダンゴムシのようにゴロゴロと床に転がった。
「コーヒー、入りましたよ」
コーヒーが入ったカップを全員に配る。
「|琉永《るな》ちゃん。余裕だねぇ」
「はい。リセを思い浮かべたら、どんどん描けるんです」
「これが愛。く……。大事な後輩が、魔王の手におちるとは!」
「紡生。失礼なことを言わないで。麻王理世の手腕はたいしたものよ。やっぱり『|Lorelei《ローレライ》』を有名ブランドに押し上げただけあるわ」
恩未さんはそう言いながら、全員の机にパンを配る。
恩未さんはみんなのために、朝早くから近所のベーカリーに寄って、朝食用の焼き立てパンを買ってきてくれたのだ。
パンの紙袋を空けると、ふわっと事務所内に焼き立てパンの香ばしい香りが広がる。
徹夜組じゃない私までもらってしまった。
「パンを買ってきたから、みんな食べて。ただし、汚さない場所でね!」
もらった卵サンドイッチを食べながら、スマホを見ると、理世からメッセージが入っていた。
『朝、出勤前に寄るから』
昨日の今日だ。
つまり、昨日の理世は、徹夜前提で、デザイン画を仕上げろという意味で言ったことになる。
改めて、理世の恐ろしさを改めて知ったような気がした。
「今から、理世が来るそうです」
「ひっ!」
「ほ、本当に?」
報告しないほうがよかったのか、眠っていた人まで起き上がり、正座していた。
――だ、大丈夫かな。仮眠とったのを見届けてから、言えばよかった。
そう思っていると、事務所のドアが開いた。
「理世。早かっ……え? |啓雅《けいが》さん?」
現れたのは理世ではなく、啓雅さんだった。
恩未さんが啓雅さんの姿を見て、すばやく前に出た。
「INUIグループの乾井専務ですよね? こんな早朝から、アポイントメントもなく、なんのご用ですか?」
「清中琉永がいるだろう」
逃げるべきだったのに、足が動かず、逃げられなかった。
――怖い。どうしよう。
「どこだ! 仕事前にわざわざ寄ってやったんだぞ!」
啓雅さんの声が響く。
水色のシャツにノーネクタイ、既製のスーツ姿。
啓雅さんは不躾にじろじろと事務所内を眺め、そして私を見つけた。
「この間は、よくも恥をかかせてくれたな」
私に仕返しに来たのだとわかった。
あのまま、黙って引き下がるわけがないと思っていた。
|千歳《ちとせ》は転院が決まり、その日のうちに大きな病院に移された。
父と継母には行き先は伏せられており、病院側にも言わないように、お願いしてある。
これで私に弱みはなく、啓雅さんと結婚する理由はなくなった。
借金があると言っていた|清中《きよなか》繊維が、どうなったか知らないが、啓雅さんが自分にとって、なんの利益もない繊維会社と取引するとは思えない。
「勝手に事務所に入らないでもらえますか?」
恩未さんは怒っても、啓雅さんに効き目はなかった。
「うるさい女だ。こっちは婚約者に会いにきただけだ」
「婚約者!?」
「違います! 親が勝手に決めたんです……!」
「だろうね」
紡生さんがよいしょっと起き上がった。
「こんな性格の悪い奴と琉永ちゃんが付き合っていたなんて思えないからね」
「相変わらず、ここの代表は礼儀知らずだな」
「INUIグループさんよりはマシですけど? 何度もこっちのデザインを盗んで、それを大量に生産しようとしていたくせに。とぼけるつもりなら、警察に通報するよ」
「デザイン画を!?」
「大丈夫よ、琉永ちゃん。こっちの人間を誰も買収できなくて、不発に終わったから心配しないで」
恩未さんと紡生さんは、私を背中に隠し、ずいっと前に出た。
「その時の会話をボイスレコーダーで残してあるわ」
「うちのスタッフは全員、『|Fill《フィル》』一筋。なめないでもらいたいね」
女性の割に高身長な二人は啓雅さんと同じくらいで迫力がある。
それに紡生さんの今日の服装は、なぜかパンク系。
いつもスーツな恩未さんは、仕事ができる社長秘書っぽい。
二人に気圧されて、私のそばに啓雅さんは近寄れない。
「う、うるさい。本当にここのブランドの人間は礼儀がなってない。おい! このままでいいと思っているのか!? 俺が立て替えた妹の病院代と父親の借金はそのまま残っているんだぞ!」
妹の病院代と聞いて、いつもはふざけている紡生さんの顔が真顔になった。
「礼儀がなってないのはお前だっつーの!」
ビシッとデコピンする紡生さんに、啓雅さんがぐあっと苦悶の声をあげて頭を揺らした。
「あれは痛い」
「紡生さんのデコピンは最強」
「最悪な男だったねー。琉永ちゃん、あんな男と結婚しなくて正解!」
怖かったねと、他の人たちが頭を撫でる。
「琉永ちゃんは『|Fill《フィル》』の末っ子的存在なんだからね!」
「そうそう! もう水臭いわね。悩んでたなら、ちゃんと相談しなさいよ!」
みんなの優しさに、思わず泣きそうになった。
私は声に出して、啓雅さんにはっきり言った。
「借金はすべて父の借金です。ですから、父に請求してください。私は無関係です」
きっぱりと言うと、啓雅さんが私をにらみつけた。
「冷たい娘だな」
冷たいって、私が?
父と継母が、私にやったことは本来なら、許されることじゃない。
お金が欲しくて私を啓雅さんに売り飛ばしたのに。
親らしいことなんて、なに一つしてくれなかった――それでも私は助けるべきなの?
啓雅さんは私を軽蔑した目で見ていた。