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生き残ったあなたへ
僕たちは勝った、あの戦争で日本は勝ったのだ。誰もが勝利に湧いている。領土、莫大な賠償金、国際地位、全てを手に入れた。
はずなのに、僕の元に大切なものは何も残らなかった。残されたのは有り余る報奨金のみ。
「あんな紙クズ…何に使うんだよ。」
光に包まれた静かなバルコニーで一人、ぽつりと呟く。宝の持ち腐れでしかない。僕達は第二次黄海海戦で勝利し、それが決定打となって大陸軍は降伏、あの海戦に参加した隊員や隊員の遺族は、報奨金に2000万円をもらった。
だからなんだと言うのか、僕は二十歳にならずして、家族を全て失った。隊の友人も多くがこの世を去った。
スマホのフォルダに写った戦友達に語りかける。
「卑怯だろ…お前ら、俺一人置いて先に二階級も昇進しやがって…」
頑張って笑顔を作ろうと思ってるのに、表情が言うことを聞かない。目頭が熱くなる。きっと僕の表情は今、涙でぐちゃぐちゃだろう。こぼれた涙も、バルコニーの遥か下、深い光の中に消えていった。
「静かでよすね、ここ…」
隣から聞き慣れない声に語り掛けられ、僕は急いで顔を反対側にそらし涙を拭う。
「私も好きなんです、ここ。寂しい時、いつもここに来ると少し落ち着くから」
突然女性に話しかけられ、動揺してしまった僕は一瞬黙ってしまった。無視をした様になってしまわないよう、必死で声を絞り出す。
「そ、そうですね。今日は風も涼しいし、いい日です。もう夏も終わりですね」
「…嘘、」
「え?」
振り返ったそこには、一人の女性が立っていた。肩をさらけ出したワンピースに雪のように真っ白な髪の毛をなびかせた女性が。
「だって君、酷い顔してる。目が涙でいっぱいですよ…相当辛いことがあったんですね。」
恥ずかしかった。どうやら僕の目は、僕が思ってる以上に涙で赤くなっていた様だ。国民を守る誇り高き兵士でありながら、こんな見ず知らずの若い女の人に心情を見透かされて、その上心配までかけてしまったことが無性に恥ずかしかった。
「い、いや…これは、なんでもないんです。すいません、こんな所で男が一人泣いてたら変ですよね。」
精一杯の謝罪と平静を取り繕うとする僕に、彼女は意外な事を言ってきた。
「その服、自衛隊の方ですよね」
「…どうして、わかったんですか?」
「私の兄も、そうだったんです。儀仗隊でした、でも戦争が始まる時に海上自衛隊の隊員数が足りないからという事で海上自衛隊に本人から移転しました。その白い制服は飽きるほど見ました。もう、彼はここにはいませんけどね。」
すぐにわかってしまった、彼女の言う『ここ』が『この世』を表しているということ。
「お兄さんは、どこで?」
「………」
「っあ、いや、すいません。こんな質問、良くないですよね」
やってしまった、無神経にこんな事を質問するのはあまりにも非礼極まりない。
「いいんですよ、もう3年経ちますし私も踏ん切りが着いてきたところです。彼は尖閣諸島で亡くなりました。」
尖閣沖海戦。三年前、開戦直後に尖閣諸島の沖で大陸軍と海上自衛隊、米海軍の連合軍が総力を上げて制海権を奪い合った大海戦だ。日本は何とか周辺海域の制空権、制海権を死守する事に成功はしたものの、前線を張った自衛隊は多くの護衛艦と航空機、隊員を喪失。対する大陸軍も空母を失う血で血を洗う戦いとなり、以降も終戦までの三年間、尖閣諸島の西側諸国と大陸軍の奪い合いは続くことになる。
「ありがとうございます…」
「はい?」
「あなた達がいなければ、きっと私達も今頃生きていないでしょう。あなた方には悪いのですが、本当は戦争が始まった時、誰もこの国があの巨大な国家に勝てるなんて思ってなかったんです。
かく言う私も、最初の3日で兄を失ってからは、半分自暴自棄になってしまいまして…高校も休みがちになり家では半狂乱になった父親が『俺も入隊して戦う』と暴れるのを必死に母と止めたのを覚えています。」
皆、必死だったのだ。防衛費のために膨らむ増税に加え、近所でも多くの知り合いが次々と戦地に行っては写真と白箱だけになって帰ってくる。
そんな生き地獄のような世界に三年間も浸され、一日でも早くこの地獄が終わる事を望む停戦派の国民と、多くのものを失ったからこそ何としても戦争に勝ち、莫大な賠償金や国際地位を得る事を主張する交戦派の国民の間で連日デモ隊の衝突が発生。
最終的に日本政府は諸外国との交渉の末、進み続ける事を選んだ。結局、日本の考え方は前大戦の時と何ら変わらなかった。唯一あの戦争と違うのは『勝った』という結果が残った事。
「俺、これからどうすればいいんでしょうか…」
こんな情けない事を会ったばかりの人に言うのはあまりにも気が引けたが、それ以上に僕の喪失感と不安感は限界寸前だった。残った報奨金だけじゃ、この先長くは生きられない、いやそれ以前に長く生きようとすら思わないが、
「お兄さん…」
「…はい…」
「生きるしかないんです。どれほど多くを失っても、命が続く限り自ら死ぬ事は許されない。残された人は先に逝ってしまった人の分まで生きる。生き残った人には生き残った理由があると私は小さい頃、曾祖母に教えられました」
「やっぱり、そうですかね…」
僕の脳裏に、旧友達の言葉が蘇る。毎日夢に出てくる光景、僕の前で息絶える寸前、彼はこういった。
「『生きろ、生き抜け』か…」
「それは…」
「俺の戦友が残した言葉です。ありきたりな遺言でしょう。でもそんな言葉があの時、俺の心にはっきり絡みついて響いたんです。全く、なんて事してくれたんでしょうね…こんな事言われたら、死のうにも死ねないじゃないですか…」
「遺言というのは、人によって言う事はそれぞれですが大抵は家族や恋人への感謝や愛、自分の人生で1番誰かに伝えたい事を聞いてくれる人にできる限り多く残そうとします。でもその人はそれを言わずしてまであなたに『生きろ』と言った。生き残ったあなたへ。それだけ、あなたの事を信頼していたんでしょう。それなら、生きないとですね、精一杯」
「できますかね…」
「できますよ。あなた達はまだ若い、疲れきったこの国をもう一度再生していくのはあなた達です。きっと君ならできますから」
違和感、なぜこの人はしきりに『あなた達』や『君』というのか、若さでいえばこの女性も似たようなものなのに。
確かめたかった、この時間、この瞬間、この人に『私達ならできる』と言って欲しかった。それを聞いて安心したかった。この異様な不安感から解放されたかった。
「そうですね、俺達は頑張るしかない。一緒に生き抜きましょう、この国で。」
「…はい」
彼女はそう言って少し物悲しそうに、寂しそうに笑って、去ろうとした。
ダメだ、ここで行かせたら僕はきっと、いや必ず後悔する。なんだ今の表情は、どうしてそんな顔をする。その答えが知りたい。たかが五分、たった五分喋っただけの見ず知らずの赤の他人の言葉の真意が、こんなにも知りたい。ただひたすら知りたくなった。
分かっている。人には言いたくないことも時にはある、それでも、今この時だけは…
「君、名前は…」
彼女は、一瞬戸惑ったような顔を見せ、ぽつんと呟いた。
「春海…椎奈春海です」
それは、凪の上に、一粒の雫が落ちたような声だった。
「じゃあ、また明日包帯を変えますので。朝九時に来ますね」
「…はい」
「ではおやすみなさい」
病棟に戻り、患者服に着替える。
「はぁ…」
『きっと君ならできますから…』
僕の脳裏に、彼女に言われた言葉が駆け巡る。戦友に加えてあの人にまであんな事を言われてしまった以上、いよいよ生きる続ける以外無くなってしまったわけだが。
「こんな体で、何ができるんだよ…」
僕達の乗っていたむらさめはあの戦いで対艦ミサイル攻撃を受けて大損害を被った、僕が左手を失ったのもその時だった。こんな腕じゃ、部隊に戻る事は愚か、就職する事もままならないかもしれない。幸い、利き手である右手が残ったため、私生活は不便ながらも何とか送れている。
「何とか…事務仕事関係でどこかに雇って貰えるかな…」
ダメだ、いくら考えても今はしょうがない。
「…もう、寝るか。」
時刻はいつの間にか日を跨いでいた。もう館内も外も真っ暗で、目に見える明かりといえば僕の枕元の間接照明と窓越しに見える軍港基地のライトアップぐらいだった。僕はベッドの明かりを消して布団に潜る。初めて使う病院のベッドは護衛艦備え付けの二段ベッドよりも万倍寝心地は良かったが、いつも着ていた海上迷彩の作業着よりも薄い病衣は未だ残り続ける冬の冷えた風がよく通り少し肌寒いのだった。
「はい、じゃあこれで包帯の交換は終わりです。当たり前ですが、腕を過度に動かすのは控えてくださいね。今の貴方は兵士でもありますが、同時に怪我人なんですから…」
「はい…」
「では、朝食を持ってきますので、少々お待ちください。」
翌朝、腕の包帯を変えてもらった僕は、朝食を取った後少しこの病院周辺を散歩することにした。
「船の上とは違って、揺れないから寝心地良かったな。」
「そうか…無事に休めているようで何よりだ。」
男の声だった、幾度となく聞いたその声に僕は自らに話しかけてるのが誰であるのかすぐに分かってしまった。
「艦長!」
「調子はどうだ、治りそうか?」
「はい、お陰様で」
「そうか、それはよかった。」
永田一佐、僕達の乗艦したむらさめの艦長であり、入隊時からあの戦いまで、僕達の指揮を取り続けてくれたベテランの上官だ。
「はい…それで、今日はどう言った御用件で、」
聞いても無駄だ、永田一佐が何を伝えに来たかなんて、正直わかりきっている
「今日はな…君の今後の扱いについて、上の司令を伝えに来たんだ。鳩島、来なさい」
一佐がそういうと、花束と手箱を持った女性が入ってくる。
「航海長…航海長も来ていたんですね。お怪我は大丈夫ですか。」
「えぇ、私は大丈夫。あなた達のような若手が手足を失っているのに、私達先輩が軽傷程度でへこたれている訳にはいかないからね、二葉…」
「それで…それは、」
そう言切る前に、艦長が口を開いた。
「二葉静志朗一等海士、本日をもって護衛艦むらさめでの任を解く。今までお疲れ様…」
…驚きはなかった。無理もない、こんな体では船に乗る事はもう困難、やむを得んだろう。
「はい…分かりました。あとの事はよろしくお願い致します。」
「それで…今後の君、正確には君達なんだが。上層部の希望としては、本戦争で負傷した隊員の中でも入隊して間もない若手隊員に限り、本人の要望次第で海上自衛隊に残る事を許可してくれるそうだ。と言っても、洋上ではなく軍港基地での事務仕事らしいがな。本来であれば体を欠損すれば退職なのだが。」
「あなた達はまだ若いし、体力や筋力に至ってはこれからが全盛期でしょ。何より君達新隊員の中には、まだ自衛官として不完全燃焼と思っている隊員も多いらしいわ。どうする、二葉。あなた、このままここで働きたい?」
これを僥倖と言っていいかは分からなかったが、家族も戦友も失い、職さえ失ったと思っていた僕にとって、この話はまさに渡りに船だった。僕の答えは当然決まっている。
「やります!やらせて下さい!」
「ふふ、国家への忠誠心が強いあなたならそう言うと思ったわ。」
「よしわかった。君の残るという意思、しっかりと上層部に伝えておくよ。それと、もう二つほど上から君へのプレゼントがある。」
艦長はそう言うと、持っていたバッグから1枚の紙を取りだした。
「感謝状。二葉静志朗一等海士、右は本戦争における優秀な活躍と勲功を成し遂げた。これを称え右の階級、一等海士の海士長への昇進を命ずる。また、本件における勲功を高く評価し、旭日双光章を授与する。」
航海長が手元の手箱を開く。
「あの海戦に参加した全隊員に、生存戦死を問わず授与されるそうだわ。私達含め、初めての戦闘勲章よ。」
航海長が開いた箱の中には汚れ一つなく綺麗に輝く旭日双光章が、深紅の布団に寝かされていた。
「本当は授与式で海上幕僚長直々につけてもらうものだけど、生憎今は戦後すぐ。上も政府もバタバタで、数百人分のまとめた授与式をやる時間はないそうなの。だから、今ここで艦長につけてもらいなさい。」
今気づいたが、艦長にも航海長にも同じ物が軍服の胸元につけられていた。
「俺達のこれは、あの海戦で生き残った者の証だな…チェストの上にある制服、上の服だけでも着られるか、」
「は、はい…ですが、この手では…」
「私が着るのを手伝ってあげるわ。」
「本当ですか、ありがとうございます。」
僕は艦長にチェストの上の白い制服をとってもらい、航海長手伝いの元、きちっと制服を整えた。
「…なんか、下がこれだとすごく不恰好ですね、」
「ははは、そうだな。だがまあいいじゃないか。それでは付けるぞ、」
僕は艦長に勲章を付けてもらい、艦長と航海長に続いてあの海戦前の出港いらいの敬礼をした。
「入隊してたった一年なのに、本当に立派になったわね」
「本物の戦場を見てきた若者だ、成長のスピードも早いさ…」
僕の心から家族と戦友を失った悲しみが消える事はこれからもないだろう。しかし、この時の勲章と花束、そして二人の上官の労いの言葉は、戦争が終わってから重く霞がかり続けていた僕の顔を初めて笑顔にさせた。
「いい顔だわ、それじゃ私達はもう行くわね。」
「この病院にも、君と同じで入院中の自衛官達が何人もいる。数ヶ月も入院していれば、おそらく何度も顔を合わせるだろうな。まあ、病衣では相手が戦友か見分けるのは難しいだろうが。」
「はい、貴重な時間なのに本当にありがとうございました。」
「何を言うのよ、後輩達の奮闘を讃える時間、別の道へ見送する時間は、私達上官にとって何より大切なものよ。それじゃ、また退院後、本部でね。」
「お気をつけて…」
僕は深々と下げた頭を、二人が居なくなるまで上げなかった、こぼれそうになる涙を、見られたくなかったからだ。