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恭介はいつも通りの朝を過ごしていた。席についてから、コーヒーを飲みながら今日の予定を確認する。
すると恭介めがけて男が走ってくる。それが誰なのか、どんな理由で恭介の元へ来るのかも分かっていたから、恭介は思わず大きなため息を漏らす。
「おいっ! 聞いたぞ篠田!」
昨日は合コンだと豪語していた一年上の先輩の松尾が、すごい剣幕で恭介の机を叩く。見た目は爽やかな好青年だが、空手をやっていたらしく、暑苦しい性格が難点だった。
「沙織ちゃんと別れたらしいじゃないか……昨日の合コンに沙織ちゃんが来ててびっくりした……というか、なんでおれは同じ部署で毎日一緒にいるお前じゃなくて、先月別れた元カノから知らされてるんだよ!」
肩を掴まれた上、ブンブン振り回されて目が回りそうだった。
「いや、別に言うほどのことじゃないかなぁと思って。ほら、僕たちは会社に仕事しに来ているわけですし」
「……お前、そんなこと言って、俺に言うといろいろ詮索されるから面倒とか思ってるだろ」
言葉に詰まる。図星だった。恭介はため息をつくと口を開いた。
「別に松尾さんだからじゃないですよ。たまたま言うタイミングを失くしただけで、わざわざ時間作ってまでプライベートなことを話す必要はないかなって思っただけなので」
恭介は万人受けする笑顔で松尾を見た。
「……まぁそうだな。確かに俺たちは仕事をしに来ている。さすが営業の篠田スマイルは伊達じゃないな。で、別れた理由は何なんだ?」
なんだ、全然納得してないじゃないか。
「別に……まぁ告白されて付き合っただけで、付き合ってみたら違うなって感じただけです」
「……たまたま同じタイプの女と付き合うんだ?」
「たまたまです」
「元カノを引きずってるって噂は?」
「ないですね」
「じゃあその好みの原点になったような女は? 片想いしてたとかさ」
その時に恭介の動きが止まる。それを見て松尾はピンとくる。今まで元カノの話までは聞いていたが、こいつのはそれ以前のものだったのか。
「まぁ……似たようなタイプの友人はいましたが……」
「それって……!」
「松尾さん、そろそろ仕事しましょう」
恭介が笑顔で諭したので、松尾は黙った。そしてしばらくしてから、再び口を開く。
「なぁ、お前って今日は内勤?」
「そうですね、最近は外回りが多くて仕事が溜まってたので、今日はそれを片付けようかなと」
「ならさ、今日俺の仕事に付き合わない? いつも同行してる宮前が有休だから一人で行こうと思ってたんだけど、沙織ちゃんと別れたならお前を連れて行かないとな」
「……意味がわからないんですけど。俺仕事が……」
「いいからいいから! 後で俺も手伝うからさ!」
恭介に対抗して、松尾は満面の笑みを向ける。
「……わかりました」
何か魂胆があるのはわかっていたが、先輩には逆らえずについていくことになった。
松尾の運転で連れてこられたのは、いくつものオフィスが入るビルだった。
「ここの五階にある、オーブっていう若い女性向けのアパレル会社なんだ。主にルームウェアとかを取り扱ってるんだけどさ、そこの受付にめちゃくちゃかわいい女の子がいて、絶対にお前好みだと思うんだよ〜」
やっぱりそういうことか。この理由で散々連れ回された。
エレベーターが止まり、廊下を左方向へ歩き出す。えんじ色の絨毯を進んでいくと、目の前に”aube”の流れるような字体の社名が見え、白が基調の入口が見えてくる。
松尾が受付の女性に話しかける間、恭介は松尾の後ろに立っていた。
「JPFの松尾でーす」
確か受付の女性って言ってたよな。恭介は松尾が話している女性を見たが、ショートカットでボーイッシュなイメージの女性だった。
だとすると隣に座っている女性だろうか。下を向いて何か書き物をしているようで、一向に顔を上げようとしなかった。
「あら、松尾さんじゃない。ちょっと待っててね〜」
かなり親しいのか、松尾は手を振って女性を見送る。すると今度は隣にいたもう一人の女性に声をかける。
「|畑山《はたけやま》ちゃ〜ん、元気してる?」
「元気ですよ」
「相変わらず素っ気ないな〜」
「何度も言ってますが、私は女性担当です。男性は|日比野《ひびの》さんにどうぞ」
畑山……? 恭介は時間が止まったような気持ちになった。しかも今の声と話し方……心臓が早く打ち始める。まさか……。
恭介は一歩前に出ると、受付カウンターの前に立つ。その様子に気付いた松尾と女性が顔を上げた。
その瞬間、女性が目を見開いて固まった。
「おっ、篠田。こちらがお前に紹介したかった畑山さん。なっ、お前の好みにドンピシャだろ?」
恭介と畑山は見つめ合ったまま、お互い動けなかった。
そんな中、恭介は精一杯の笑顔で話しかける。
「あの……JPFの篠田恭介と申します。失礼ですが、お名前を伺っても?」
すると畑山はにっこり微笑む。
「いえいえ、名乗るほどのものではございませんので、私のことはお気になさらず」
「ん? 畑山ちゃん、どうしたの?」
「そんなこと言わずに是非教えてください」
「私は女性担当なので、用件は日比野にお願いします」
席を立とうとした畑山を、恭介は腕を掴んで止めた。
「待てよ……お前、畑山|智絵里《ちえり》だろ……」
「……違います」
「えっ、なんで畑山ちゃんのフルネーム知ってるんだ? 智絵里なんてかわいい名前、絶対に忘れないよなぁ」
「……えぇ、絶対に忘れないですよね。なぁ、智絵里」
恭介は睨みつけるように智絵里を見る。智絵里は慌てて顔を逸らした。
「お待たせー」
その時日比野が戻ってきたため、恭介は驚いて手を離してしまった。そのタイミングで智絵里はダッシュで逃げ出す。
「あっ、おいっ……! 智絵里!」
「智絵里ちゃん⁈」
残された恭介は呆然と立ち尽くす。なんで逃げるんだよ……。やっぱりあいつは俺に会いたくないのだろうか。そう考えると苦しくなった。
「ま、まぁ篠田、とりあえず仕事しようぜ。話はその後聞いてやるからさ」
松尾に促され、恭介は渋々仕事に戻った。
あの後、どこを探しても智絵里を見つけることは出来なかった。
会社に戻った恭介は、力が入らず椅子に座ったまま動けなくなる。
やっと見つけたのに、その途端に拒絶されてしまった。ただ勤務先がわかったことは収穫だった。
「ほい、お疲れ様」
松尾は恭介に缶コーヒーを渡すと、隣の席に座った。
「お前と畑山ちゃんって知り合いだったの?」
「まぁ……高校の時の同級生です」
「もしかして今朝言ってた友人って……」
恭介は頷く。隠してもどうせバレるだろうし、ただの友人なら隠す必要もない。
缶コーヒーを開けて一口飲むと、恭介は肩を落とした。
「高二、高三と同じクラスで仲が良かったんですよ。でも三年の終わりくらいから急に様子がおかしくなって、卒業したら音信不通です」
「付き合ってたわけ?」
「そういう恋愛感情はお互いなくて、純粋に友人の一人って感じ」
「でも確実に畑山ちゃんが、お前の好みの原点だよな。だってそれ以外にいないだろ。でも驚いたよ。お前の好みだろうなぁとは思ったけど、まさか本人だとは」
「いや、だから恋愛感情はなくて……」
「何言ってんだよ。友達から始まる恋なんていくらでもあるんだぞ。むしろその方がお互いを知ってるから付き合いやすいらしい」
「……いやだから、なんで付き合う前提なんですか」
「わかんないけどさ、居心地が良すぎて、恋愛感情まで到達しなかったんじゃないかと思ってさ。今ならそういうの抜きにして考えられるかもよ。どうする? 日比野さんに頼んで、飲み会とか開いてもらう?」
「あはは。たぶんあいつ来ないですよ。そういうの好きじゃないと思うし」
「……お前、すごいな。そうなんだよ、いくら誘っても反応なし」
さすが智絵里。相変わらずなんだな。それを聞いて恭介は少し安心した。
* * * *
智絵里は会社が入るビルから逃げ出し、隣のビルの中にある喫茶店にいた。レトロな雰囲気が人気で、昔からの常連客が長時間入り浸っている。
アイスティーを頼み、年季の入ったソファに体を沈める。まだ心臓がバクバク鳴っている。
まさかこんなところで恭介と再会するなんて思っていなかった。私が唯一後ろめたさを感じている人物が彼だった。
恭介のことだから、きっとまた来るに違いない。だって極度の心配性のお節介焼きだから。イヤイヤ言いながら、構ってくれるからつい頼りにしてしまっていた頃が懐かしい。
ただ《《あの日》》だけは頼ることが出来なかった。そして逃げ出してしまった……。
きっと恭介を傷付けた。それがわかっているからこそ、会ってはいけないと思うの。
その時、智絵里のスマホに日比野からのメッセージが届く。
『二人とも帰ったから戻っておいで』
智絵里はスマホを握ったま下を向く。
恭介、大人になってたなぁ……。私の心はあの日で止まったまま。今も闇の中にいるのに。