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「えっ?」
口の中の馬刺しを、そのまま飲み込んでいいのか一瞬迷った。
「何言ってるんですか? 馬刺しは馬刺しですよ。競走馬が馬刺しになるわけじゃないんですから」
私は冗談として受け流そうと、パタパタと手を振った。
「馬刺しに使われるのは、主に重種馬っていう、体が大きくて筋肉質な食肉用の馬なんです。ペルシュロンとか。競走馬はサラブレッドだから軽種馬だし、肉質が全然違いますよ。脂肪が少なくて筋肉質すぎるから、食用には向かないって聞いてます」
知識を披露して冗談を否定する。けれど健二さんはカウンターに肘をつき、困ったような顔で首を傾げた。
「あれ? 知らないの?」
「何をですか」
「競走馬もさ、普通に馬肉になるんだよ」
声は驚くほど平坦だった。居酒屋の賑やかな雑音の中で、その言葉だけが耳に冷たく刺さる。
「……え?」
「そりゃメインは重種馬だよ。でもサラブレッドだってたくさん食肉に加工されてる。美月ちゃん、競走馬が引退したあと、どうなるか知ってる?」
「えっと……優秀な成績を残した馬は、種牡馬か繁殖牝馬になります。それ以外は乗馬になったり、地方競馬に移籍したり……」
「そう。建前はね」
健二さんはおしぼりで手を拭きながら、淡々と続けた。
「種牡馬や繁殖牝馬になれるのは、全体のほんの一握り。地方競馬に行ったって、そこでもいつか引退する。じゃあ残りの馬はどうなると思う? 毎年、日本で何千頭ものサラブレッドが生まれて、引退していくんだ」
「それは……乗馬になるって、よく引退馬のプロフィールに書いてありますけど」
「毎年3千頭から4千頭も引退馬が出るんだよ。それが全部、日本中の乗馬クラブや牧場で、死ぬまで面倒を見てもらえると思うかい?」
言葉に詰まった。考えたことがなかったわけじゃない。けれど、あえて考えないようにしていた現実を、目の前に突きつけられた気がした。
「乗馬クラブだってボランティアじゃない。エサ代も場所代もかかる。従順で適性のある優秀な馬だけが生き残る。じゃあ、適性のなかった馬や引き取り手のない馬はどうなるか」
健二さんは、私が残していた皿を指差した。
「乗馬用として引き取られたことにして、そのまま肥育牧場に送られるんだよ。しばらく大人しくさせて太らせてから、屠殺場に送られる。サラブレッドの肉は筋肉質で硬いから、缶詰のペットフードや桜鍋用、加工品の馬刺しになる。もちろん、安価な馬刺しとして居酒屋に出回ることもあるよ」
「そんな……」
胃のあたりが急に冷たくなった。さっきまで美味しく食べていた馬刺しが、急に生々しく感じられる。
「あ、ごめんごめん。純粋に馬が好きな美月ちゃんに、こんな話しちゃって。嫌な気分にさせたよね。今の話は忘れて。お口直しにレモンサワーでも奢るから」
健二さんは慌てて謝ってきたが、私は頭を振った。
頭の中で、様々な情報が交錯する。私の愛馬、メルティハート。未勝利戦で勝てず、もし引退することになったら。彼女もいつか、乗馬という名目でどこかの牧場に送られ、太らされて、そして……。
ゾクッとした。恐怖、悲しみ、怒り。色々な感情が押し寄せる中で、それとは全く別の感情が、胸の奥で静かに芽を出し始めていた。