テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「何言ってんだ、無理じゃねぇだろ。 お前今まで総務に直接来たことあったか? なかったろ、用がありゃ全部事務が来てた」
「え、そうでしたっけ?」
八木の言葉を交わすように言って「覚えがありませんけど」と、更に付け加えてせせら笑う。
「こいつと何の関係もなかった頃なら、コピー機の件なんかでお前が二階に足を運ぶことなんざなかったろーよ。 意味わかるか」
息を呑む音が聞こえたが、結局何も返してこない坪井を今度は八木が鼻で笑って言った。
「はは、図星かよ」
それには黙っていられなかったのか坪井が口を開く。
「そーですねぇ、図星かどうかは置いといて八木さんも」
坪井が、こっちにも言いたいことがあると言わんばかりに切り返す。
「ただの上司にしては距離近過ぎません? 女の子直に触って担ぎ上げるとか」
「……論点ずらしてまで未練がましくないか? お前何がしたいんだ」
「別に、未練はないんですけど。 素直にそう思って聞いただけで」
部屋の温度が下がってきているように錯覚しそうになる。
穏やかな会話とは到底思えず、しかも自分の体調管理のズボラさで八木を巻き込んでしまっている罪悪感。
真衣香は「八木さん」と背中を叩き、この場を離れたい意思を、訴えるしかなかった。
が、しかし八木は黙っていなかった。
それどころか、とんでもないことを言う。
「……はっ、距離が近いねぇ。 上司がそんなことすんのがおかしいっつーんなら、じゃあ俺はマメコに惚れてんだろうな」
「な、に言って……っ」と、耳を疑いながら真衣香が反論しようとするも、喉に引っかかり、また咳をして途切れさせてしまった。
八木が背中をポンポンとさする。その間に真衣香の方へ顔を近づけ「ちょっとだけ合わしとけ」と囁いた。
「は? いやいやいや、何言ってるんですか、おかしいでしょ。 そんな売り言葉に買い言葉の延長で」
坪井の声がうろたえている。
そりゃそうだ……。と真衣香は心の中で同調した。何を〝合わせて〟いろというのか、わからない。
「お前には言われたくねぇな。ま、とりあえず、別れたって言うんならこいつと関わる前の生活に戻れ、いいな」
「……前に、って」
繰り返すように坪井が呟く。その声に被せるようにして八木が言った。
「手離すってそーゆうことだろが。 わかってねぇなら下手な遊びしてんじゃねぇぞ。 それも、割り切った考えなんて微塵も持ってない女相手にな」
言い切った八木に、次こそ坪井の反論はなかった。
「俺が一番気にいらねぇのはそこだ」と捨て台詞を吐き、八木が歩き出して、ガチャリとドアノブをひねる音が響く。
その時、微かに鼻をかすめたのは柑橘系の爽やかな香り。
(……坪井くんだ)
真衣香はそう思ったけれど、ついに八木の肩に顔を埋めたまま姿を見る勇気は持てなかった。