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3話 おかしな人
今日は珍しくぐっすり眠れた。
よく寝たせいか、体がやけに軽い。…まぁ、いいか。
【おはよう!!今日暇?暇だよね!とりあえず12時に桜駅に来て!よろしくね!!】
朝からスマホがけたたましく震える。
なんなんだこの人。すべて勝手に決めている……まぁ、いいか。
【勝手に決めないでください。とりあえず今から向かいます】
うるさいのに、不思議と嫌じゃない。
むしろ、そのうるささが心地いい_そんな感じだ。
今日はやけに日差しが強い。
「ほんとにどうかしてるよ…あーもう疲れた」
自転車のペダルを全力で漕ぐ。耳の奥で蝉の声とチェーンのきしむ音が混ざり、頭の中がぐらぐらする。
駅前に着く頃には、汗でTシャツと背中がじっとりと張り付いていた。
「すごい汗だね、大丈夫?水いる?」
「だ、大丈夫です。…あ、水ください」
差し出されたペットボトルの冷たさが、掌から腕へと伝わっていく。
「ごめんね、こんな日に呼び出して…迷惑だった?」
「暇だったんで、大丈夫です」
「そっか、よかった!」
笑った先輩は、蝉の声の中で妙に眩しく見えた。
_カシャ。
気づけばシャッターを切っていた。
「あ……ごめんなさい!」
「大丈夫だよ。その写真、捨てないでね」
やっぱりおかしな人だ。普通は、撮られたら怒るのに。
改札を抜け、ホームへ。
夏の熱気に包まれたレールの向こうから、電車がゆっくり近づいてくる。
車内に入ると、冷房の風が汗を一気に冷やし、体がほっとする。
「今日、どこ行くんですか?」
「拓真くん、気になるの?」
「…まぁ、はい」
返事の代わりに、先輩はカバンから二枚のチケットを取り出して突き出してきた。
「じゃーん!プラネタリウム!! すっごく綺麗って有名なんだよ!」
その目は、まるでおやつを貰った犬みたいに輝いていた。
窓の外を、夏の景色が後ろへと流れていく。
青々とした田んぼ、入道雲、遠くで揺れる旗。
電車の揺れに身を預けながら、俺はふと「やりたい事100」のことを思い出していた。
ホームを降りた瞬間、むわっとした外の熱気が押し寄せてきた。
けれど、駅前にそびえるガラス張りの建物を見た瞬間、暑さなんて頭から吹き飛ぶ。
「ほら、あれ!すごくない?」
先輩が指さす先、透明な壁の奥には巨大な球体のドームが見えた。
青空を映しているようで、まるでそこだけが夏から切り取られたみたいだ。
「……本当にあるんですね、こういうの」
「でしょ?今日のは特別上映なんだって。寝たら損だよ!」
笑う先輩の横顔は、ガラス越しの光を浴びて一層まぶしかった。
自動ドアが開くと、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
暗い館内から、わずかに甘い香りと低い音楽が流れてくる。
「じゃ、行こっか!」
先輩が軽く腕を引く。
俺はその手の温もりを感じながら、光から影へと足を踏み入れた。
館内のざわめきが、ふっと遠のいた。
天井の明かりが一つ、また一つと消えていく。
暗闇がゆっくりと広がり、隣の席の先輩の存在だけがやけに近く感じられる。
「……始まるよ」
小さく囁く声とほぼ同時に、頭上のドームに淡い光が差し込んだ。
ひとつ、ふたつ_星の粒が夜空に浮かび上がり、やがて満天へと変わっていく。
息を飲む。
星が生まれる瞬間に立ち会っているようで、胸の奥がじんと熱くなる。
そのとき、横から微かな音がした。
……寝息?
ちらりと横を見ると、先輩は背もたれに身を預け、まぶたを閉じていた。
小さな呼吸に合わせて肩が上下して、髪の先がかすかに揺れる。
なんでこんなところで……と思いながらも、スクリーンいっぱいの星空と、すぐ隣の寝顔の両方から目が離せなくなる。
そして気づけば、俺のまぶたも重くなっていった。
はっとして顔を上げた。
天井の星は、もう全部消えていた。
代わりに、薄明かりの中で人の気配がざわめいている。
「1つ達成できたね!拓真くん!」
「これもやりたい事100だったんですね」
「そうだよ!」
「次は何をするんですか」
そう言うと、先輩は目をまんまるにして俺を見た。
「ええ!次も一緒に達成してくれるの!」
「先輩がいいならですけど…」
会場を抜けると、むわっとした夏の熱気がまとわりつく。
その熱が、胸の奥まで入り込んでくる。
_俺はその時、初めて自分の気持ちに気づいた気がした。