カップの縁から立ちのぼる湯気が、
小さく揺れている。
少女は両手でそれを包み、
ただ静かに見つめていた。
家の中には、
小さな机と椅子がひとつずつ。
壁際の棚には
本が数冊と、
乾いた薬草の束。
それ以外には、
何もないと言っていいほど
すっきりしていた。
食器もひとり分だけ。
まるで
「もう迎える客もいない」
「長く生きるつもりもない」
と言っているようだった。
少年は向かい合って座り、
少女をそっと見る。
「……そうだ。
まだ、名乗ってなかったよね」
少女はまばたきを一度。
「僕は――
エリオット・ヴァルデン」
名を告げる声は
驚くほど落ち着いている。
「家族は……もういない。
だから、ここには僕だけ」
それを
悲しむでもなく
想い出すでもなく
ごく淡く――
現実だけを置くように、
彼は言った。
「エリオットって呼んでほしいけど……
呼べないよね」
自嘲とも
小さな冗談ともつかない微笑。
「きみは?」
少女は
視線を落としたまま動かない。
返事はない。
「……そっか。
――しゃべれないんだよね」
カップを握る少女の指が
かすかに震える。
それが返答のすべて。
「無理に聞かないよ」
エリオットは息を整えるように
胸へ手を当てた。
その仕草は
なぜか慣れたものに見える。
「ここには必要なものしかないけど……
休むくらいなら、できる」
その声の奥に
“必要なものは、もう多くない”
と言っているような
静かな諦めがあった。
「今日はここにいればいい」
エリオットは
その一言だけを置くように言った。
夕暮れの残光が
窓から淡く差し込み、
少女の影を
静かに床へ伸ばしていた。
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