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「エトワール――――――――ッ!」




後数㎝、手が届いたら良かっただろうか。後数秒早く来ていれば良かっただろうか。

伸ばした手が届くことも、最後に彼女がどんなかおをしていたかも、俺には分からなかった。ただ目の前が真っ暗になっていく気がして、ようやく見つけた一番星が暗闇に飲まれてしまったそんな感覚に、俺は酷く酔っていた。

愛しの人が宙を舞っていた。赤い花弁をまき散らしながら。




「ああああああああああああああああああああッ!」




大切な人を失った。好きで、大好きで、愛していた人が俺の目の前で還らぬ人となったのだ。






「遥輝、いい加減寝てくれ。このままじゃ、お前がしんでしまう。ものにも当たるな、お前、手が傷だらけだぞ」

「死んでもかまわない。エトワールの裁判の結果が変わるまでは死ねないが」

「……遥輝」




謹慎処分を喰らった。あのクソ老害は死ぬべきだ。俺が殺す。今すぐに殺す。

しかし其れができないのは、部屋に閉じ込められてしまったからだ。あのこの身体の持ち主が作った隠し部屋にはどうやらいけなくなってしまったようで、皇帝には私室で大人しくするようにと、外側から魔法をかけられてしまった。飲食にも排泄にも何も困らない部屋。だが、軟禁と変わらない。未来の皇帝に対し、このような仕打ちはどうかと思った。権力は嫌いだが、こういう時に自分に力があればと思ってしまう。

軟禁されたのは、あのパーティーの夜からだ。




「クソ……」

「気持ちは分かるけどさ……」

「黙ってろ、灯華」

「……」




親友にも当たってしまい、俺は、顔を一掃し、一旦落ち着くことにした。深呼吸したところで落ち着くわけがなかったが。

ルーメンは、俺を気の毒そうな顔で見た後、視線を逸らした。ルーメンは何も悪くない。此奴も此奴で立場がある。俺は、共も守らねばと思っている。守るものがいささか多いだけだ。




(どうする?いや、どうにも出来ない……どうしようもないが……)




出来ることなら何でもする。しかし、エトワールが死刑になったと言う事実を覆すことは出来ないようだった。再審もなし。クソみたいな裁判。あれを裁判というのだろうか。裁判に参加できなかったのは、勿論ここに軟禁されていたからなのだが。

皇帝は、よほどエトワールのことが嫌いらしい。だからといって。




「……俺は、何も出来ないのか?」

「……」

「なんでこうなった?」




何故こうなったか。俺には分からない。災厄を打ち返し、混沌が眠りについた世界。エトワールの言葉を借りるならエンディング後の世界であるはずなのに、そこで多くのハプニングが起った。エトワールは、忙しくしながらもその小さな問題を一つ一つ解決していった。二人の時間が余り取れなかったのは寂しかったが、エトワールが前向きに頑張っている姿を見ると、自分も頑張れる気がした。


だが、いつからか、同じ顔を持つもう一人のエトワールがあらわれてからおかしくなった。俺は、そいつは偽物だと思っていた。だが、エトワールがいうには、本来の魂の持ち主だと。直接詳しく聞いたわけじゃない。俺の元の身体の持ち主も何処に行ったのか分からないままだから、そう言うこともあるのだろうと。

そうして、そのもう一人のエトワールが、彼女を傷付け始めた。

まさか、エトワールが、フィーバス卿の元に向かっているとは知らず……そして、それさえ読んでいたもう一人の奴にそれらを利用されたのだ。そして今に至ると。


何処で間違ったのか。いや、世界を救った時点でこうなると決まっていたのか。俺には分からない。だが、無力で情けなくて、どうしようもなくて……愛している人の死がすぐそこまで迫っている状況で、俺は正気ではいられなかった。

俺以外はこの部屋に出入りすることが出来る。ルーメンも気にして、俺のところに来てくれる。彼から情報を貰っているが、ルーメンも立場があるため、俺の味方ばかりは出来ないだろう。それは、それで正しい選択だと俺は思っている。ルーメンまで処されてしまうということになれば、俺はこの国を見捨てるだろう。

皇位継承の義も、予定をずらされてしまった。だから、俺には決定権がない。

エトワールを救うことが出来ないのだ。




「うっ……」

「お前、本当に寝ろって。寝不足で顔色悪いぞ。それに、その手」




ポタリポタリと床を染めている血は、自分の手から流れ出したものだった。部屋には、ものが散乱している。正気を失って暴れたためだ。こんな姿、エトワールには到底見せられない。もっと落ち着いていれば、こんなことにはなっていないのだろうが……




(ダメだ、何をいっても言い訳だ……)




何も出来ない無力さから、俺はものに当たった。胸に開いた空虚感と、その周りに渦巻く殺意は消えはしなかった。どうすれば、エトワールを救えるかと考えたが、ここから出られないのだから、話にさえならない。

あの性格の悪い皇帝のことだから、処刑日には俺をここから連れ出すのだろう。そして、彼女の死を俺に見せると……




「俺は、彼奴のいない世界でどうやって生きていけばいい」

「まだ死んでいないだろう」

「煩い……分かってる、分かってるんだ。でも、どうしようもないだろう」

「諦めるのか」

「なら、方法をいえ。エトワールを助けられる方法を吐け」

「……」

「…………」




場の空気が最悪になった。俺のせいだ。


ルーメンは、気まずそうにまた視線を下に落とした。俺の為に色々考えてくれているのに、俺は親友に当たってばかりだ。

エトワールは俺に何も話してくれなかった。彼女のなりの優しさだと理解しているが、頼って欲しかった。それはずっと心の中でモヤモヤしていることだった。確かに、俺とトワイライトが結婚することは回避できなかった。それから、彼女は離れていった。思いは通じ合っているはずだと思っていた。だが、やっぱりダメだった。

エトワールは俺を応援していてくれた。自分と国の未来を天秤にかけて、俺を後押しして。エトワールはどれだけ自分が素敵な女性か理解していない。俺は絵、そんな彼女を見ていることしか出来なかった。昔の自分に戻ったようだった。一人彼女に恋い焦がれてきたあの頃のように。


やっと恋人同士になれたと思ったのに……まだ、俺達は何処かすれ違っていた。

好き故に、すれ違っていたんだ。






「……あ、あ…………」




断頭台の上で、殺された彼女を思い泣き崩れる俺は民にどんな風にうつっただろうか。無様で滑稽な時期校庭に移っただろうか。でも、周りの評価なんて関係無い。俺は今死んだも同然だった。

血だまりに落ちたエトワールの首を直視することが出来ず、嘔吐き、俺はその場にうずくまった。後から、ドタドタとルーメンが断頭台へ上がってき、俺の背中を撫でた。彼の身体も震えていて、泣いていたのかも知れない。無力さに、絶望に。




「殿下」

「…………俺は、エトワールを……俺は」




夜会、暴走し、操られたように動いていたエトワールは俺を殺そうとした。しかし、あと一歩の所でその手を引いて、自ら剣を突き刺し、俺にその剣が刺さらないようにと耐えてくれた。俺は彼女に守られた。きっと、エトワールはこの断頭台の上で俺を探していたんだろう。彼女の絶望の表情を遠くから見ていたから分かった。俺だって早く彼女の元に行きたかった。だが、行く手を阻まれていた。もう少し、早くこの場に来ていればエトワールを助けることが出来ただろうか。いや、そうだったら、早くに皇帝が執行、と指示していただろう。どちらにせよ、俺にとって最悪のタイミングで死刑を執行しただろう。

俺は顔を上げて皇帝を睨み付ける気力すらなかった。目の前の悲劇が受け入れられなかった。大切な人がそこで死んでいる。もう俺に笑いかけてくれることはない。俺の名前を呼ぶことも、怒った顔も、泣いた顔も。




「な、んで……俺は、俺は……俺は、エトワールを」




自分が殺したようなものだと思った。俺のせいで。俺がもっとしっかりしていれば、こんな結末にはならなかった。

もう籍を入れ、そうして、皇位を譲り受け、皇帝になり新たにこの帝国の皇帝となり、ラスター帝国をより豊かに、誰もが幸せになれる国を作っていこうと前を向けたときに……こんな絶望が。

彼女に感化されたものは多いだろう。彼女に救われた者も多いだろう。彼らは今何を思っている? 彼らは、ただその場に立ち尽くして、彼女を見ていただけなのか。誰か、助けてくれれば良かったんじゃないか。いや、これも言い訳。俺が何も出来なかったから。その責任をなすりつけるのは良くない。


だったら、どうすれば良かったんだ。




「……えと、わーる…………すまない、すまなかった……俺が、俺が不甲斐ないばかりに」




溢れた涙が視界を曇らせた。群衆の声が遠くに聞える。背中をさすっているであろうルーメンの感覚が何処か遠くに感じる。そんな時、耳にはっきりと足音が聞えた。一定のリズムを刻みこちらに歩いてくる。俺は自然とその音に反応し顔を上げた。




「初めまして、かしら。皇太子殿下」

「……お前は」

「エトワール・ヴィアラッテアよ。アンタが愛した、エトワール・ヴィアラッテア」

「違う……貴様か、貴様がエトワールを」




あらわれたのは、白銀の美少女。容姿も声も、エトワールとそっくり……いや瓜二つ、彼女そのものだった。だが、その邪悪な笑みと、人を心底見下し、嫌っているような目は、彼女のものじゃなかった。


此奴が、エトワールを死に追いやった……


俺はそう思って立ち上がろうとしたが、何故か身体が動かなかった。その場に這い蹲って、顔だけ彼女を見ているような状況。視線を動かせば、周りの時は止っていた。先ほどまで、俺の背中を撫でていたルーメンの手も止っている。




(禁忌の魔法?時を操る魔法は、禁忌のはずだが……)




時を操る魔法は禁忌の魔法だ。この状況はそれだ。時が止っている。なのに、どうしてこの女は動けているのだ。平然としていられるのだ。




「新しい世界が始まるわ。私が愛される世界が」

「貴様が愛される世界などどの次元を探してもない。地獄に落ちろ」

「あら、酷いことをいうのね。私の皇子様は」

「いつから、貴様の皇子になった。俺は、貴様のような女は嫌いだ」

「もう、そこの彼女は生き返らないわよ」

「……っ」




女は、エトワールを指さした。俺は恐ろしくてエトワールをみることができなかったが、女はクスクスと笑っていた。人が死んだというのに、どうして笑っていられるのか。それも、同じ顔の人間が死んでいるというのに、どうかしている。

殺意を心に秘めながらも、何も出来ない子の状況に酷く絶望していた。今すぐ腰の剣を抜いて、この女を殺せれば、少しは気が楽になるんじゃないかと。エトワールの仇を討てるんじゃないかと思った。だが、それすら叶わない。

女は、俺の頬に手を当てた。振りほどきたくても振りほどけない。




「彼奴の身体は元々私のものだったの。だから、返して貰うだけ。ね?泥棒されたんだから、奪い返すのは悪くないでしょ?」

「やり方が悪人のそれだぞ」

「何と言われようとも構わないわ。私は、私だけの世界を創造する。そのためにアンタの存在が必要なの」

「……」




つぅ……と、女は俺の唇をなぞった。その細い指を噛みちぎってやろうかと考えたが、エトワールと同じ姿の女、どうも抵抗があった。彼女を傷付けるようで出来ない。別人だと分かっていても。




「彼奴が死んでくれたおかげで、世界を巻き戻すことが出来る。禁忌の魔法は、魔道士がその魔法を使った時点で死ぬけれど、同じ魂なら……ね?分かるでしょ。私は、何もしなくてもいいの。私は死なない」

「……人の死を使ってそんなことが許されると思っているのか」

「許しなんて必要ないわ。此の世界のルールに従ってやっているだけだもの。それに、もういいんじゃない?まき戻った世界では、彼奴はいないの。いるのは私。アンタももうすぐ全て忘れるわ。彼奴との思い出も何もかも」




女はそういってまた笑う。


この悪魔を誰か殺して欲しかった。エトワールを殺したのはこのためだったのだと。此奴の存在にもっと早く気づいていれば、殺していれば、こんなことにならなかったのかと。

後悔してももう遅い。

女は、もう片方の手で俺を挟むように、頬に手を当てる。俺はがっしりと固定された顔で、女を睨むことしか出来なかった。




(俺が、エトワールとの記憶を忘れるだと?笑わせるな)




「忘れるわけがない。俺は、貴様など、好きになるわけがない。天地がひっくり返ってもあり得ない」

「ふふっ、それはどうかしら」

「……」

「皇太子殿下は、人の心を操る魔法ってご存じ?」




女は、ニタリと笑った。

その瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。体中、蛇に這いずり回られているようなそんな感覚に、逃げろと全細胞が叫ぶ。まさか、と俺は目を見開いた。女はぺろりと舌なめずりをした。




「察しがいいわね。そういうことよ。アンタは、私を好きになる。私しか見えなくなる。彼奴との記憶は忘れて、私だけのものになるの」

「やめろ……」

「忘れないって豪語していたじゃない?そんなに愛しているのなら……真実の愛とやらがあるのなら忘れられずにいるんじゃ無い?まあ、そんなものはないけれどね。魔法で人の心なんて幾らでも操れるのに」

「貴様、本当に人間なのか」

「聖女、じゃないかしら。偽物の」




と、女は自傷気味にいうと俺に顔を近づけてきた。額がくっつき、俺の頬は引きつった。それでも、逃げられず、目も痛いぐらいに見開かれる。


助けを呼ぼうにも、時が止っているため、ルーメンにすら助けを請えない。




「リース・グリューエンは私の恋人になるの。私だけを愛し、私に害をなすものを殺す、そんな愛のある冷たい男にね」

「……ぁ、く、そ……」

「私だけを愛して。私だけを見て。そしたら、貴方も満たされるわ……私が、なくなった穴を埋めてあげる。愛してあげる」




女が口づけをする。吐き気が込み上げて、動機が激しくなる。こんな女と、こんな女と……

何度も心の中で、エトワールに謝った。謝っても許されないかも知れない。この謝罪さえも聞き入れて貰えないかも知れない。俺も、謝って気が晴れるわけなかった。

女は既に自分のものにしたかのように愛おしそうに何度も口づけをする。俺は目を閉じることも許されなかった。


自分の中から、何かが抜けていく感覚と、塗りつぶされていく感覚におそわれる。これまであった大切な記憶が、エトワールとの思い出が黒い絵の具で塗りつぶされていく。俺に「好き」と伝えてくれたあの笑顔が、声がもう思い出せない。暗闇にあった一等星が消えていく。闇の中で手を伸ばしても、その星は俺の元から去って行く。

行かないでくれ、消えないでくれ。


俺の、俺の記憶。俺の大切な記憶。俺から、エトワールを奪わないでくれ。


そう叫んでも俺の願いが届くことはなかった。目の前が真っ暗になり、塗りつぶされた記憶に何かが上書きされていく。俺は、誰を愛していたのか。誰に執着していたのか、恋い焦がれてきたのか。それでもはっきりと、けど、かすかに、消えそうに誰かがいった。




『別れよう! 別れて! もうアンタなんて知らない、最低、最低ッ!』




(ははっ、懐かしい記憶だな……)




まるで走馬燈だ。

最初に間違えたと思ったのは、俺が彼奴の大切なライブチケットを破ったこと。

それでも、ずっと追いかけてきて、追い続けてきて、愛を伝え続けてきて、俺は彼奴から貰ったんだ。




『好き、大好きだよ。リース』

「ああ……俺もだ、エトワール」




消えてしまった星に俺は、愛を伝えた。彼奴に届けばいいなと思った。いや、届いて欲しい。きっと、最後の言葉だ。




「愛してる」




俺はそのまま意識を手放した。

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