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趣味は短歌を詠むこと。だから高校の国語教師になった。小説は読むのは好きだけど、教科書に載っている小説はそれほど好きじゃない。『羅生門』『こころ』『山月記』など、絶望的な物語を未来ある高校生に読ませるのはどうなのだろう? と疑問を抱えながらいつも授業している。
なんて言いながら僕の詠む短歌に明るいものはない。目のことを詠んだ歌ばかりだから。
教室に十人十色の生徒たち教壇に立つわれのみ義眼
先生の夢はと聞かれ両方の目で見ることともちろん言えず
左目は生まれたときから見えないが今朝また見えている夢を見た
五七五七七のリズムは不思議と僕の思考と波長が合い、胸に秘めた思いを吐露するのにちょうどよかった。
蒼風短歌会という地元の短歌会に所属し、毎月の歌会にも欠かさず出席している。歌詠みの人たちも高齢化が進んでいて、歌会出席者は僕以外みんなおじいさんかおばあさん。
でもそれがいい。若い人たちの集まりに出るとみんな友達や恋人の話ばかり。恋人どころか友達もいない僕には居心地が悪くて仕方ない。僕は僕の歌を見てもらえればそれでいいんだ。
歌会とは要は短歌の批評会。短歌会の事務局はあらかじめ提出された短歌を一覧表にして、歌会当日に歌会出席者に配布する。先入観を排除するために短歌は無記名で掲載されている。全部の歌の批評が終わってから、作者名を明らかにした一覧表が配布されることになっている。
蒼風短歌会の歌会の出席者は毎回三十人ほど。歌会には一人一首だけ提出できる。だから一覧表には毎回三十首程度掲載されている。無記名とはいえ、毎回僕の歌がどれかは一目瞭然だろう。ちなみに、前回の三月歌会はこんな歌を提出した。
見えるなら我慢もするが見えぬ目の痛みに耐えることの理不尽
僕の歌を批評する番になると、 加戸 静香さんというおばあさんが泣きながら僕の歌の感想を語ってくれた。
「誰だって私くらい年を取ると体のどこかが痛むものだけど、まだ二十代なのにずっと消えない痛みを抱えてらっしゃるなんて、なんて気の毒な……」
静香さんに釣られて何人かのおばあさんが泣き出した。
蒼風短歌会会長の 長嶋 哲郎先生が、
「これだけ多くの人が泣いているのだから感動的な秀歌なのでしょう」
とまとめてくれたが、短歌そのものがよくて泣いているわけではないので、秀歌だと褒められても正直釈然とはしなかった。
理不尽だけど、痛みがあるのは仕方ないと思っている。見た目のために装着するものであって、結局義眼とは異物。目に石が入っているのと同じだから。
それが先月のこと。
四月。新年度となり勤務校には新入生が入学してきた。でも僕は三月と変わらず、どことなく乾いた心で歌会の会場を訪れた。そこに人生を変える出会いがあるとはもちろん知らないで――