|新藤《しんどう》|鈴々《りり》先生 著
「部長どうしてですか!? 俺のこと、好きだって言ったのに……! 女性と付き合うなんてひどいじゃないですか!」
「俺達の仲を悟られないようにするためだ」
|葵葉《あおば》は泣いていた。
気持ちはわかる。
けれど、社内で噂になれば、俺もお前もおしまいだ。
古い体制のわが社は男同士の恋愛に寛容ではない。
会社だけではない。
世間もか――俺はどうなってもいい。
けれど、葵葉、お前が傷つくのだけは耐えられない。
「わかってます。部長が好きでもない女と付き合うのは俺のためだってこと。すみません。動揺してしまって」
「謝らなくていい。逆の立場なら、俺は嫉妬で狂っていただろう」
「部長っ……」
「部長じゃない。葵葉。俺のことを名前で呼んでくれ」
「が、|凱斗《がいと》っ……」
葵葉の涙を指でぬぐった。
俺の手を濡らし、受け止められなかった涙は雨粒のように落ちていく。
「もう泣くな。今日は二人でなにかおいしいものでも食べよう?」
「はい。俺っ、作ります!二人で食べようと思って鍋の材料を買ってきたんです」
「そうだな。二人で過ごそう」
この熱くて甘い夜を――
【続】
スッ、タッーン!
ふ~、やれやれ。
なんとか、甘い夜までいったわ。
よしよし! 盛り上がりは最高潮。
とりあえず、ここで一区切りにしておこう。
次は甘い夜か――ここから先、なにも思い浮かばない。
はぁっとため息をついた。
土曜の夜、一野瀬部長からデートのお誘いメッセージが届いた。
頭の中はそのことでいっぱいで集中できない。
葉山君と付き合っているくせに、平気な顔で私とも付き合うの?
二股?
いや、まだ二人が恋人同士と確定したわけじゃない。
一野瀬部長の考えがわからない。
デートのお誘い――正直、恋愛スキル低すぎな私はどうしていいかわからない。
着ていく服は?
持っていくものは?
バナナはおやつに入りますか?
悩む……すごく悩む……
椅子の上に正座をし、ぐるぐると回転してみる。
バランスを崩して転がり落ちそうになっただけで、なにも思い付かなかった。(※危ないので良い子は真似しないでください)
「私の恋愛……恋愛ねぇ……」
死んだ魚のような目でパソコン画面を眺めた。
二人の熱々お鍋マンション目撃事件(長い)のおかげでかなり進んだ。
甘い夜で止まっちゃったけど、ストックはできた。
しばらく毎日更新できそうだ。
とりあえず、小説のほうはこれでヨシとして――問題は別にある。
リアル男女間の恋人同士としての私の振る舞い方だ。
「ぜんっぜんわからない……。メールの返信ですら業務連絡になってるし」
これは私の恋愛ジャンルへの知識不足が原因だということはわかっている。
今の私に足りないのは、男女間の恋愛知識ではないだろうか。
一野瀬部長の前で、彼女(仮)としてふるまうには、彼女(仮)としての動きを頭に叩き込めばいいのでは?
それさえ、マスターしてしまえば、いちいち動揺せず、あの筋肉を楽しめるのではないだろうか。
知識不足――そうだ、そういうことだったんだ。
ガタッと椅子から立ち上がった。
「行かなくちゃ! 本屋に!」
慌てて服を着替え、バッグを手にした。
いつものBL売場ではなく、私が今、向かうべきなのは男女の恋愛があるマンガや小説売場だ!
要はマンガや小説で、彼女(仮)の動きを学べばいいってことよ!
BL小説を書くまで、たくさんのBL小説を読んできた私。
そのせいか、なんでもおいしくいただける雑食タイプに成長した。
つまり、男女の恋愛ものをたくさん読めば、ありとあらゆるシチュエーションに対応できるエキスパートになれるはず!
――さあ! いつもの調子で狩っていくわよ!
ノーメイクだったけれど、急ぎ足で本屋に向かって、三階に駆けあがった。
恋愛マンガのあるコーナーとBLマンガがある階は同じである。
しっかりBLマンガをチェックし、名残惜し気に通り過ぎる。
用がなくてもチェックしてしまう場所――それが、BLコーナー。
習慣って恐ろしい。
BLマンガコーナーから周り、目的の少女マンガ売り場へたどり着く。
くっ……! 眩しい……!
これが男女の恋愛マンガが置かれているコーナーの力!
たしかにBLエリアとは、また違った輝きがある。
滅多に訪れないエリアだけど、嫌いではない。
むしろ、今となっては私を救う場所。
我が砂漠のオアシスよ!
すっと両腕を広げた。
「ここが知識の宝庫……!」
残念ながら、ミニ鈴子たちは出てこなかった。
ジャンル違いだからか、いまいち気分が乗らないらしい。
最近の人気作は……
「し、しまった! どれを読めばいいの!?」
ブランクがありすぎて、なにを選んでいいかわからない。
これは完全に恋愛迷子。
いろいろ手に取るも迷って具合が悪くなってきた。
「情報量が多すぎて貧血がおきそう」
ぐらぐらしていると、店員さんが近寄ってきた。
「なにかお探しですか?」
パンダのエプロンをした私の友、救世主(勝手に)。
いつもの見慣れた店員さんだった。
先日は黙々とBL本にカバーをかけてくれた優しい店員さん。
私が普段と違うジャンルの売り場にいたから不思議に思ったのかもしれない。
そうだ!
店員さんはエキスパートだよね。
スーパーでもどこになにがあるかわからない時は聞いている。
ここはさらりと尋ねてみようか。
「あの、すみません。おすすめの恋愛マンガか小説ってなにかないですか?」
「おすすめですか? そうですね……」
いつもの慣れ親しんだ店員さん。
BL売り場はあなたが仕切っていることを私は知っている!
いわば、この階の|首領《ドン》。
首領よ、私が買いたくなるような素敵なPOPをいつもありがとう。
それにこないだ私が購入したBL本もきっと把握しているだろう。
うんうん、私に恋愛初心者マークがついているのが見えますよね?
さあ、私にふさわしい恋愛教本をプリーズ!
じいっと期待をこめた眼差しで店員さんをみた。
店員さんは『うーん』とうなった。
「どのような恋愛をお求めなのかにもよります」
「えーと、相手には(男の)本当の恋人がいて、ヒロインは隠れ蓑的な存在の彼女なんです。でも、ヒロインは彼女としてふるまわなくてはいけない……そんなストーリーを希望します!」
「けっこう具体的ですね」
実際、リアルに起きていることだから、具体的にもなる。
相手は男だけど。
「それなら、こちらの小説なんてどうですか。婚約者同士の二人ですが、男性には好きな人がいる……でも、一途に思うヒロイン。そんな話だったと思います」
『さあ、これをお読みなさい』とばかりにスッと小説を手渡された。
それを迷うことなく手にした私。
地獄にいた(いろんな意味で罪人な)私は一本の蜘蛛の糸にすがる気持ちだった。
御曹司とヒロインの政略結婚がテーマの小説だった。
両親に決められた結婚相手。
反発するヒーロー。
ヒロインは相手が自分を好きではないとわかっていても、初恋相手を諦め切れない。
私は形だけの婚約者。
切ない恋に苦しむヒロイン。
健気なヒロインに惹かれていく――そんな話らしい。
「これにします」
「ありがとうございます」
店員さんはにっこりと微笑んだ。
あなたは私の救い主だよ。
私が求めていたものに間違いない。
これを読んで学ぼう。
高校時代の恋愛観を捨て去り、大人の恋愛観を取り戻す!
戦利品を手にした私は、いそいそと自分の部屋へ帰った。
さっそく読もうと思ったけれど、まずは腹ごしらえから。
『俺を激しく愛してくれよ!』を書き続けていたせいで、朝から何も食べてなかった。
「何食べよっかな」
冷蔵庫を開ける。
昨晩の一人鍋の残りの材料が入っていた。
「なんだよ、冷蔵庫の中まで一人アピールしてこなくていいよ」
しかも残り物。
雑炊にでもしようかな。
いや、それでは日曜日の特別感がまったくない。
せっかくの日曜日だ(もうサ〇エさんが始まるけど)。
集中力を高めるため、目を閉じた。
「気分は和洋中……どれでいく? 私はなにを作りたいのだ! 私に降りてこい! 料理の神よ!」
カッと目を見開く。
冷蔵庫に半端になったカレールウがあるのが見えた。
「カレー、一択でした」
よし決まった。
一人鍋で余った野菜と肉を入れる。
薄い和風だしで煮て、アクをサッととった。
そして、カレールウ!
鍋のシメ用のゆでうどん一人前をドボンッといれてかきまぜる。
「鍋の余り物具材で作るカレーうどんの完成!」
野菜もたんぱく質も糖質も一度にとれるバランス抜群のカレーうどん。
カレースパイスが香る中で、その存在感を誇示するうどん。
「カレー味はすべてを包み込むわね。失敗しらずのカレールウよ……」
カレールウを考えた人は天才に違いない。
絶妙の配分、癖になる味。
子供から大人まで大好きな国民的カレールウの残りもの鍋。
これはリピート必至ね。
猫動画をテレビで観つつ、カレーうどんを食べた。
最高の癒しですね。
「はー、おいしかった」
空腹が満たされて、気持ちが落ち着いてきた。
心と体がカレーうどんであったまり、準備は万端。
さーて。買ってきた本を読もう。
いそいそと本を手にし、ゴロゴロとベッドに寝転がる。
「どれどれ……」
ぱらり。
ページをめくる。
「これが恋する乙女……」
ほう。オフィスラブ。
健気なヒロインちゃんに揺れる男心。
なるほど。
素直で可愛いヒロインだ。
間違ってもBL小説は書いてないし、部屋に大量のBL本もない。
ちらりと横目で棚を見る。
パンパンの棚が、やがて腐海に沈みそうになっていた。
収納が厳しい。
床が抜ける前になんとかしなくてはならない。
――いやいやっ! 今は小説に集中よ!
二人の距離がぐっと近づくイベント。
鉄板の二人きりの残業シーンにエロはなかったけど(心が汚れてるな)、ラブはあった。
一生懸命なヒロインにヒーローは心が大きく揺れ動かされる。
「この距離感、最高!いいぞ、もっとやれ!」
なお、私は酔っぱらいの親父のように絡みながら読むスタイルである。
物語は最高潮。
興奮のあまり、ゴロゴロとベッドの上をハイスピードで転がって――そして、背中から床へと滑り落ちた。
「ぎゃふっ!!」
あー……天井が見える。
そして、背中が痛い。
「い、痛ぁー……」
勢い余ってベッドから転がり落ちてしまった。
私は痛みと自分のマヌケっぷりにしばらく呆然としていた。
誰もこの失態を見ていない。
これが一人のいいところ。
一人静かにもそもそとベッドに戻り、そっと続きを読む。
何もなかった。
うん、何事もなかったよ。
二十八歳、|新織《にいおり》|鈴子《すずこ》。
今になって必死に男女の恋を学んでいます――
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