僕の手元で沙良のためだけに開発したスペシャルブレンドが温かい蒸気とともに溶け合って、空気に甘く柔らかい香りが広がっていく。
淹れている僕自身が眠くなりそうなくらい、優しい香り。
(……でも、眠るのは沙良だよ?)
ホカホカと湯気のくゆるティーポットとカップをトレイに乗せてリビングへ戻ると、沙良は両手を膝の上で組んで、所在なさげに僕を見つめてきた。
ソファの端っこ。まるで、部屋全体に対して遠慮しているみたい。
「はい。僕の特製カモミールブレンド。……ちょっとだけ、大人味かも」
「え?」
「リラックス効果があるって言われててね。……ほんの少しだけ、香りづけにブランデーを入れてあるんだ。ほんとに気付かないくらいだから、安心して?」
飲めば眠くなるだなんて、口が裂けても言えないね。
沙良は驚いたように僕の顔を見て、それからそっとカップを受け取る。
両手で抱えるようにして、鼻先に近づけ、ふわりと香りを吸い込んだ。
「……あ、いい匂い……。なんだか……落ち着きます」
その言葉を聞いて、僕はゆっくりと微笑んだ。
(キミがハーブティーを、――中でもカモミールティーが特に好きなこと、僕は知ってるよ?)
「よかった。今日はいろんなことがあったもんね。どうか沙良がリラックスできますように」
願いを込めるみたいに僕がつぶやけば、沙良が小さく頷いて、カップへそっと口をつけた。
温かさに頬が緩み、身体から緊張が解けていくのが分かる。
僕は沙良と一緒のものを飲んでいるふりをしながら、カップ越しに沙良の動向を丁寧にじっくりと観察する。
ふぁ、と小さく沙良があくびをして、目が少し虚ろになってきた。
「沙良?」
そっと彼女に呼び掛けて、沙良が手にしたままのカップを優しく引き取ってテーブルの上に戻せば、「朔夜、さ……?」と小さくつぶやいて、懸命に眠気と戦っている。
「眠くなっちゃった?」
沙良の頬をそっと撫でて問い掛ければ、沙良が小さくうなずいた。やがて、ソファへもたれ掛かるようにして、瞼がゆるく落ちかけては開かれる、というのを繰り返す。
「……すごく、あったかくて……なんだか……ほわほわします……」
(――ふふ。効いてきたね)
ほくそ笑む僕のすぐそばで、沙良が目を閉じたまま、ぽつりとつぶやいた。
「……私って、ほんとダメな子ですよね……」
不意にこぼれたその言葉に、僕は沙良の顔を見つめた。
「どうして?」
「昔、先生から怖いことを言われて……ちゃんと自分を守ろうと思って地味にして、人と関わらないようにして……。そういうことをする人の心理も知ろうとして……色々勉強もしました。でも結局、またこんな目に遭って……。周りから暗いとか冴えないとか言われても自衛のためだって頑張ってきたのに……全部無駄でした。なんだかもう、自分でも何がしたかったのか分からなくなっちゃいました……。こんな私が、誰かに愛されるなんて、有り得ない気がします」
沙良は俯いて、肩をすくめたまま震えていた。
――でも、それは違う。
沙良が取る必要のない心理学系の授業をやたら取っていた理由は、ストーカーの気持ちを知って……対処法を模索していたからだったんだね。
そう知った僕は、沙良を外に出すべきじゃないという思いを強くした。
沙良がそんなバカなやつらのことを学ぶ必要なんてないんだよ?
――僕が守ってあげるんだから。
僕はそっと沙良の手を取って、指先を絡めた。
「有り得なくなんかないよ? 現に僕はキミが好きだって散々伝えたはずだけど?」
沙良がぽやんとした表情を僕に向けてくる。その瞳の奥に、僕の言葉の真意を推しはかろうとするかのような光が見え隠れする。
「沙良はちゃんと、愛されていい子なんだ。誰がなんと言おうと、僕はそう思ってるよ?」
「でも……」
「一年生の頃、僕は沙良とたまたま同じグループになったよね? あれ以来ずっと……僕はキミのことが気になって見続けてきたから知ってる。――沙良が、どれだけ真面目に勉強を頑張ってるか。どれだけ努力家で女の子らしい可愛い子なのか。例え誰にも気付かれていなかったとしても……僕は、僕だけは……ちゃんと沙良の魅力を知ってる。沙良を悪く言うクラスメートたちや、あんな気持ち悪い男がキミの価値を決めていいわけがない」
「……朔夜、くん……、ありが、とう」
涙に潤んだ瞳で沙良が僕を見つめ返してくる。その目が段々と揺れて、涙が一粒、こぼれ落ちた。
僕はその涙をそっと親指でぬぐって、ゆっくりと顔を近づける。
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