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誰も知らない、高嶺の花の裏側2
第5話 〚視線の残り香〛
昼休みの終わり。
澪は、一人で廊下を歩いていた。
向かう先は、いつもの図書室。
教室のざわめきから少し離れたくて、
本の匂いに包まれた場所に行くのが、
澪にとっては小さな逃げ場だった。
(今日は……静かに読めそう)
そう思った、その時。
「……白雪」
背後から、低い声がした。
澪は、足を止める。
振り返ると、
そこに立っていたのは――恒一だった。
「……何?」
声は冷静を装っているけれど、
心臓が、わずかに速くなる。
恒一は、澪との距離を保ったまま、
廊下の窓に視線を向けた。
「席替えさ」
ぽつりと、言う。
「橘と……隣になったんだって?」
澪は、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……そうだけど」
それだけ。
それ以上、説明する必要はない。
恒一は、澪の方を見た。
表情は、いつも通り――静かで、穏やかそうで。
でも。
「運、いいよね」
その声に、
ほんのわずかな棘が混じる。
「一番後ろで、窓側で、隣が橘」
くす、と小さく笑った。
「……羨ましいよ」
澪は、その笑顔を見て、
胸の奥が、少しだけ冷たくなる。
「私は、たまたま」
短くそう答える。
恒一は、それ以上踏み込まなかった。
「そっか」
そう言って、一歩下がる。
「じゃあ、邪魔した」
それだけを残して、
恒一は澪の横を通り過ぎていった。
澪は、しばらくその場に立ち尽くす。
(……何だったんだろう)
嫌なことを言われたわけでもない。
触れられたわけでもない。
なのに、
胸の奥に、薄く何かが残る。
澪は、気持ちを切り替えるように、
再び歩き出した。
*
図書室は、静かだった。
澪は、いつもの席に座り、
本を一冊手に取る。
ページをめくる音だけが、
規則正しく耳に届く。
(……落ち着く)
文字を追いながら、
さっきの会話を、頭の隅に追いやる。
――その頃。
廊下の角で、
恒一は立ち止まっていた。
無言。
表情は、もう笑っていない。
ぎゅっと、拳を握りしめる。
視線の先――
教室の中。
澪の隣に座る、橘海翔。
楽しそうに、
クラスメイトと話している姿。
恒一の目が、
静かに、しかし確実に変わる。
怒鳴らない。
暴れない。
ただ、
奥底から滲むような感情。
(……許せない)
誰にも聞こえない心の声。
“隣”
その二文字が、
胸の中で何度も反芻される。
恒一は、ゆっくりと背を向けた。
その目に宿ったものは――
もう、嫉妬だけではなかった。
*
図書室で、
澪はページを閉じた。
不思議と、
頭も、心臓も、痛くない。
ただ、
言葉にできない違和感だけが、
静かに胸に残っていた。
――それはまだ、
予知にはならない。
けれど。
何かが、
確実に、動き始めていた。
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