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あれから空色の傍について、夜中まで一緒に病室にいた。
何度も説得を試みたが、頑なに家族への連絡は避けたいと言った彼女は本物のアーティスト思考でその考えを覆すことはできなかった。
だから俺も頭に思い浮かんだメロディーを形に起こし、彼女に届けるのが使命だと思った。
空色は俺(はくと)の歌だったら喜ぶだろう。自信はある。
彼女が眠りに就いたのを見届けてから自宅へ急いだ。溢れ出すメロディーを、言葉を、形にするために。
俺が地獄の最中で苦しんでいた時、彼女の洗練された美しい手紙と文章が俺を救ってくれた。だから今、その時に受けた恩を彼女に返す時。
空色はたった一人で地獄の苦しみを味わっている。この苦しみは夫婦二人で乗り越えるものなのに、旦那の夢やサファイアのライブを成功させるために、誰にも頼ず一人で抱えようとしている。
早速俺は自宅のレコーディングルームに改造した部屋に滑り込んだ。
パソコンの電源を入れて音楽ソフトを立ち上げる。六年も全然曲が書けないから無用の長物なのに、金をかけてハードウェア全般を常に最新にしておいた。ピアノの調律もレコーディングルームの清掃も最新機器も――今日この日に利用するためだったのだ。
いつかを夢見ていてよかった。空色のためになるのなら、どんなことでもしてやりたい。
私利私欲や金銭が絡む歌ではなく、純粋な気持ちだけで曲を書くことができる幸せを実感した。
あの白い部屋は絶望の部屋。気が狂いそうになる想像――浮かんだメロディーに歌詞を乗せ、キーボードに打ち込んであっという間に曲を完成させた。
歌いまわしを決めて軽く録り歌ってみた。ワンフレーズをチェックしたが悪くなかった。全然歌っていないからあまり思うように歌えないかと思ったけれど、ピアノや歌も数か月前から練習を再開しているから遜色なし。人に聴かせても恥ずかしくないレベルや。
早速録音できるようにマイクを立て、一発録りでピアノバック録り。パソコンに取り込んで軽くミックスし、周波数を整えた。続いて歌詞を書きあげて自分のヴォーカルを録音し、再びパソコンに取り込んだ。ピアノに声を合わせてミックスしてバランスを整え、マスタリング――きちんとした音源として聴くための音圧など調整を行う最終作業――を行った。
夜中から始めて気が付くと朝になっていた。完成したCDに『白い華』とタイトルを付け、シャワーを浴びて少軽く仮眠して準備を整えた。
はやる気持ちを抑えながら病院へ向かった。空色の気が変わって旦那に連絡を取ってくれればいいけれど、あの調子では無理だろう。頑なに自分の意思を貫きそうだ。
面会の手続きを行い、彼女が入院している個室へ向かった。ノックをしたが返事がなく、眠っているのかと思ったが不安だったので一言声を掛け、中に足を踏み入れた。
「おはようございます律さん。少しは眠れましたか?」
ベッドの上で憂う彼女に声をかけた。
「あれ、新藤さん………あの…お仕事は?」
「今日は有給を取っておりまして。私用があったのですがもう片付きましたので、ずっと律さんの傍についています。あ、ちなみに明日も休みなので、明日も見舞いに来るつもりです。ご迷惑でなければの話ですけれど」
本当は大栄にはほとんど行かなくてよくなっていた。空色の担当になって最後の物件の引き渡しが済んだら大栄を辞めることが決まったし、他の引継ぎはきちんと終わらせてある。ただ、空色夫婦にそのことはまだ伝えていない。きちんとマイホームを納品して最終的な作業を行ったら打ち明けるつもりだった。
有休を消化するために今週は全部休みを取った。空色についてやれるように、と。
「えっ……そんな、私のことは気にしないでください。新藤さんもお忙しいのにご迷惑をおかけしたくありません」
「一人だと何かと不便で淋しいでしょう。私を光貴さんの代わりの小間使いとでも思って頂ければ結構です」
「とんでもないです! これ以上ご迷惑はかけられません」
「私がいると、やはり迷惑でしょうか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「よかったです。実は心配でして」
これは俺の我儘や。お前の傍にいたいし放っておけない。邪魔だと思われてもいい。空色を失うことを考えたら、なんでもできる。