テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
それから十分ほど後。
出口の自動ドアが開き、眩しい夏の太陽の下へ吐き出された柊吾の顔は、見事なまでに真っ白だった。
足元がおぼつかず、ひざが軽く笑っている。出口へ向かう途中で腰に回されていた手がゆっくりと離れたとき、思わず覚えてしまった名残惜しさに一人で戸惑いながらも、柊吾は慌てて瑞樹と数歩距離を取った。
隣を見ると、瑞樹が口元へそっと手を当て、肩を小刻みに震わせている。
「っ、そ、そんなに笑うことないでしょう!?」
恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤にしてむくれる柊吾。
すると瑞樹は堪えきれずに小さく吹き出し、指先で眼鏡の位置を直しながら、困ったように目を細めた。
「……すみません。あまりにも、可愛かったものですから」
低く柔らかな声で直球に落とされた言葉に、柊吾は反論を喉の奥に詰まらせた。
胸がどくりと大きく跳ね上がり、一瞬呼吸の仕方を忘れたように絶句してしまう。からかい半分ではなく、心の底から愛おしそうに思っているのだとまっすぐ伝わってくる眼差しに射抜かれ、柊吾は熱くなった顔を両手で覆い隠すしかなかった。
「……っ水族館、行きましょう」
顔を隠したまま絞り出せたのは、逃げるような一言だけだった。
瑞樹は優しく「はい」と答え、今度はからかう素振りも見せずに、柊吾のたどたどしい歩幅へぴったりと合わせて歩き出した。
重厚な自動ドアをくぐり、水族館の建物へ足を踏み入れると、外のギラギラとした陽射しと賑やかな喧騒が一気に遠ざかった。
館内はほの暗く、巨大な水槽から漏れる青い水の光が、床や壁にゆらゆらと幻想的な模様を描いている。さっきまでの賑やかなテーマパークとは打って変わり、静けさに包まれた別の世界へ紛れ込んだかのようで、柊吾はすっと息を吐き出し、少しだけ肩の力を抜いた。
「涼しい……」
「さっきより、少し顔色が戻りましたね」
「お化け屋敷のせいです」
「すみません」
謝っているのに、瑞樹の目元はまだ少しだけ笑っている。
「もう笑わないでください」
「努力します」
「絶対、笑ってますよね」
「どうでしょう?」
そんな軽口を交わし合いながら、二人はゆったりとした足取りで大きな水槽の前へと進んだ。
天井近くまで広がるガラスの向こう、青や黄色の色鮮やかな小さな魚たちが、きらきらと光を反射しながら美しい群れをなして横切っていく。ゆっくりと明滅する青い水光が二人を優しく照らし、さっきまで照れとパニックで激しく火照っていた柊吾の頭を、しずかに冷ましてくれた。
息を潜めるように生きてきたこの四年間。人目を忍び、母の介護と自分の閉塞感に押し潰されそうな毎日の中で、誰かと軽口を叩き合い、からかわれてむくれたり笑い合ったりする時間が存在するなんて、思いもしなかった。
ふと横目を向けると、揺らめく水の光を浴びながら、瑞樹がどこか愛おしそうな眼差しで魚たちを眺めている。
その横顔を盗み見ながら、柊吾は自分でも気づかないうちに、口元を小さく緩ませていた。
言葉にして確かめるまでもなく、ただこうして肩を並べて歩き、くだらない会話を重ねているだけで、胸の奥から溢れ出してくる温かな心地よさ。今までずっと身体を縛りつけていた重苦しい緊張が、青い光の海へとすうっと溶けて消えていくようだった。
#ふかいわ
junp_Sn-Fk.
7,267
コメント
1件
おお、お化け屋敷の後の水族館……この流れがもう素敵すぎます!柊吾が真っ白になってるのに瑞樹に「可愛かったものですから」って言われて真っ赤になるシーン、破壊力ありすぎて声出ました。水族館の静けさと青い光が、さっきまでの照れと興奮をそっと冷ましてくれる感じがすごく心地よくて。柊吾が「息を潜めるように生きてきた四年間」と振り返るあたり、胸がぎゅっとなりました。二人で軽口を叩き合える時間が、彼にとってどれだけ特別なのかが沁みます。瑞樹の横顔を盗み見て口元を緩ませる柊吾、こっちまで温かい気持ちになりました。かんなさんの繊細な心理描写、本当に好きです。