テラーノベル
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黒崎先輩は次の授業があるからと、理科室を出て行ってしまった。
まぁ、いても何の役にも立たないけど。
静かな理科室にホッキスの音だけ響いて、少し寂しさを感じてしまう。
絆創膏の巻かれた親指。
それが目に入る度に、さっきの黒崎先輩のことを思い出して胸が“キュン”と疼いて痛い。
「はぁ……」
口から大きな溜息が出た。
ホッチキス留めの作業が寂しさから、だんだん虚しくなってきた。
事務室に戻っても仕事をさせてもらえない。
何でこんなことになっちゃったのかな……。
私、何かした?
そりゃあ、失敗は多いかもしれないけど、でも私だって私なりに一生懸命やってるのに。
辞めたい……。
でも生活するためには辞めれない……。
ヤバイ。
泣きそう。
ホッチキス留めしているプリントが歪んで見えて、私の目に涙が溜まっていく。
鼻水をすすりながらホッチキスを留めていく。
「うっ……ふっ……」
手で涙を拭うけど、次から次へと涙が溢れてくる。
ヤバイ、黒崎先輩が帰って来るかもしれない。
泣き止まないと、何言われるかわからない。
早く泣き止まないと……。
泣きながらホッチキス留めをしていく。
時計を見ると、もう放課後の時間はとっくに過ぎていて、就業時間も30分を過ぎていた。
黒崎先輩がいつ戻って来るのかわからない。
ハンカチを取り出し、涙を拭いていく。
ホッチキス留めも3分の1も出来ていない。
その時……。
理科室の扉が開いた。
帰って来た!
私は泣いてるのがバレないように下を向く。
「高原、もう帰っていいぞ?」
「でも、まだ残ってるし……」
「それ、別に今日明日いるもんじゃないし、また明日やってくれたらいいから」
「わかりました」
私は持っていたホッチキスを机に置いた。
椅子から立ち上がると、下を向いたまま扉の方に歩いて行く。
早く理科室から、黒崎先輩の前からいなくなりたかった。
「あ、高原?」
「はい」
私は扉の前に立ち止まり、振り向くことなく返事をした。
「送って行くから校門前で待ってろ」
「黒崎先輩、自転車ですよね?」
「バーカ!ちげーよ!今日は車で来たっつーの!」
黒崎先輩、車持ってたんだ。
「いいか?絶対に待ってろよ」
私は返事をしないで理科室をあとにした。
事務室の明かりは、まだ点いていて職員さんが残ってるのがわかった。
入りにくいなぁ……。
でもタイムシートにサインしてもらわないと。
私はドアの前で深呼吸をして事務室に入った。
みんながチラリと一斉に見ただけで何も言わなかった。
自分の机を片付けて、事務室を出てロッカールームに行く。
カバンからタイムシートを出して書いて事務室に戻った。
「あ、あの、宮崎さん?これ、お願いします」
タイムシートを出すと、チラリと見たあと引ったくるようにタイムシートを取りサインして無言で返された。
「お先に失礼します」
挨拶をしたけど、誰も返事をしてくれなかった。
泣きそうになる気持ちをグッと堪えて、事務室をあとにした。
辺りはすっかり暗闇に包まれていた。
校門を出ると、学校の外壁に寄せて停まっている1台の車が目に入った。
綺麗な濃いブルーのスポーツカー。
暗闇でも車内の明るさで、運転席に誰が乗っているのかわかった。
黒崎先輩だ。
本当に車で来てたんだ。
黒崎先輩は私に気付くと手招きをした。
このまま無視して帰ったら、あとで何を言われるか。
私は黒崎先輩の手招きに従って車に近付いた。
運転席の窓が開く。
「乗れよ」
私は素直に助手席のドアを開けて車に乗り込んだ。
「車、持ってるのは本当だったんですね」
「俺、嘘つかねぇもん」
「そうですか」
「いつも自転車だったから……」
「寝坊した時だけ車を使ってるから」
黒崎先輩はそう言ってクスリと笑うと、車をゆっくり走らせた。
学校からアパートまで徒歩10分だから車だと5分くらい?
もしかしたら、そんなにかからないかもしれない。
なのに黒崎先輩は道を聞こうともしないで、車を走らせる。
アパートからどんどん遠ざかっていく。
「あ、あの、黒崎先輩?」
「あ?」
「私の家、どんどん遠ざかってますが?」
「知らねぇよ。お前が言わないのが悪い」
はぁ?
何それ。
普通は道案内して?とか聞いてくるもんでしょ?
「ここで停めて下さい」
「停めてどうすんの?」
「電車で帰ります」
黒崎先輩は私を無視して車を走らせる。
そして……。
「あー、悪いな。車、停めらんねぇわ」
そりゃあ、停められないでしょうねぇ。
高速に乗っちゃったら。
何で高速に乗っちゃうかなぁ。
嫌がらせか!
まぁ、この人ならやりそうだけど。
車の中は会話はなく、私は流れる景色を見ていた。
景色と言っても山ばっかりだけど。
車の中という密室。
隣には黒崎先輩がいて、距離も微妙な感じだ。
私は黒崎先輩が大嫌い。
大嫌いなのに……。
大嫌いなはずなのに……。
でも、何で?
運転している黒崎先輩をチラリと見た。
少し斜めに構えて運転していて、ハンドルを握る長くて細い綺麗な指。
そんな黒崎先輩の横顔を見て胸が痛い。
“ドキドキ”してる。
黒崎先輩の車はインターを降りて、下道を走っていた。
しばらく走っていて車は海の見える駐車場に停まった。
真冬の海だというのに、とても穏やかな海から波の音が聞こえてくる。
ハンドルを抱えるような格好で、真っ直ぐ海を見ている黒崎先輩。
私は黒崎先輩の方を見たけど、黒崎先輩は前を見たままだった。
「黒崎先輩、何で……」
「俺が海を見たかったから」
「だったら別に私を連れて来なくても……」
「お前にも見せてやりたかったの」
「えっ?」
私は黒崎先輩の横顔を見た。
黒崎先輩も私の方を向く。
目が合うけど、なんか恥ずかしくて思わず目を逸らし、私は海を見た。
「なぁ、高原?」
「はい」
「仕事、いつもあんな感じなのか?」
「まぁ……」
私は俯いて、スカートをギュッと掴んだ。
笑われる。
黒崎先輩は絶対に笑う。
「辞めたら?」
「えっ?」
笑われると思っていたのに、黒崎先輩の口から意外な言葉が飛び出して、私は黒崎先輩の方を見た。
「それか実家に帰って見合いして結婚するかだな」
黒崎先輩はそう言って笑った。
「実家には帰れないんです……」
「何で?実家だろ?親と仲悪いのか?」
「そういうわけじゃないですけど……」
「だったら……」
「帰れないんです。てか、帰りたくないんです」
「高原……」
「私、お兄ちゃんの奥さんから嫌われてて、兄夫婦が実家で同居してるので帰りたくても帰れないんです……」
私とお兄ちゃんは10歳も年が離れていて、私が15歳の時に結婚した。
と、同時に兄夫婦が実家で同居する事になった。
昔からお兄ちゃん子の私、お兄ちゃんも年の離れた妹だからか凄く可愛がってくれて、共働きの両親に代わっていろいろ世話をしてくれた。
それが奥さんが気に入らなかったのか、何かと私を攻撃してきた。
冷たい目で見て、友達と電話してる時にはワザと聞こえるように私の悪口。
“気持ち悪い”“ウザい”など言われ、誰にも相談出来なかった。
高校を卒業後、実家から離れた場所で就職して逃げるように実家を飛び出した。
黒崎先輩は黙ったままで、なぜ実家に帰れないのか理由も聞いてこなかった。
「だから仕事を辞めちゃうと生活出来なくなるので頑張らないとダメなんです」
「じゃあ、他のとこを探すとかあるだろ?」
「まだ契約期間だし、今辞めたら周りに迷惑かけちゃうので、契約期間が終わるまでは頑張ろうかなと……」
「お前は優しすぎるんだよ」
黒崎先輩はそう言って私の頭をポンポンとした。
「私は別に優しくなんか、ないです……。それに辞めちゃったら、あの人たちの思うツボでしょ?だったら最後までやってやろうっていう思いもあって……」
そんな話をしてたら涙が溢れてきた。
黒崎先輩の前では絶対に泣きたくなかったのに……。
でも一旦溢れ出した涙はそう簡単には止まらない。
次から次へと、どんどん溢れてポロポロと零れ落ちていった。
「泣け泣け。思いっきり泣け。そんで海を見て嫌なこと忘れろ」
「黒崎先輩……」
「もし、また嫌なことがあったら俺に話せ。全部話せ。絶対に溜め込むなよ。俺が高原の愚痴を全部聞いてやるから」
何でそんなこと言うの?
いつも人を見下した性格悪い黒崎先輩じゃないみたい。
優しくされると調子狂う。
いつもみたいにゲラゲラ笑って人をバカにしてくれたら私も楽なのに……。
胸が痛い。
チクチクズキズキ痛い。
お願いだから優しくしないで。
じゃないと私……黒崎先輩のこと……。
「泣き止んだか?」
どれくらい泣き続けたのかわからないけど、やっと涙が止まった。
私は何も言わずにコクンと頷いた。
「泣き過ぎだろ?」
黒崎先輩がケラケラ笑う。
そんなに笑わなくても……。
「女って、身体のどこにそんな水分溜め込んでるんだ?って思うくらい泣くよな」
黒崎先輩はそう言って“うーん”と背伸びをした。
「そろそろ帰るべ」
そう言って私の頭を撫でる黒崎先輩。
それだけで私の胸は“ドクン”と跳ね上がった。
車をゆっくり走らせる黒崎先輩。
黒崎先輩が側にいるだけで“ドキドキ”する。
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