コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ユージーン・フィールズは、人気のない学園の裏庭で簡素なベンチに腰掛け、待ち人の来訪を待っていた。
同級生であり、同じ生徒会メンバーであるクリス・ランカスターから話があると呼び出しを受けたのが数日前。何の話かは分からないが、待ち合わせ場所がこんな場所ということは、少なくとも生徒会の話ではないだろう。さらに、他人には聞かれたくない話と考えられる。
直前の予定が想定より早く済んでしまったため、待ち合わせの時間より随分早く来てしまったが、こうして一人静かに思考に耽るのも悪くはない。
ユージーンは目を瞑り、先日、前世の妹だと分かったルシンダのことを思い浮かべた。
ルシンダが前世の妹だと分かった時の気持ちは、とても一言では言い表せない。
嬉しさと驚きと喜びと安堵と、さまざまな感情がぐちゃぐちゃに入り混じって、とにかく抱きしめて離したくなかった。
ルシンダ、いや、瑠美の兄、桜井悠貴として生きていた前世では、実の両親は出来のいい悠貴だけを溺愛し、母曰く、「うっかり生まれてしまった平凡な」瑠美には冷たかった。平凡とは言っても、それは両親の基準の話でしかない。瑠美は優しくて素直ないい子だった。
両親は、瑠美に義務として金銭的な援助はするものの関心は寄せなかった。
瑠美も最初は両親に構ってもらおうと一生懸命だったが、やがて諦めたのかテレビゲームに没頭するようになった。現実逃避の一種だったのかもしれない。
悠貴と瑠美の仲は良好だったけれど、仲良くしようとすると両親の瑠美へのあたりが強くなるので、両親が見てないところでフォローすることしかできなかった。
あの日も、瑠美を喜ばせたくて両親に内緒でテーマパークに連れて行った。
散々遊び倒して帰路についていたときのこと。並んで横断歩道を渡っていたら、居眠り運転なのか心臓発作でも起こしたのか、信号を無視したトラックが猛スピードでやって来た。
咄嗟に瑠美を庇ったが、トラックの前ではそんなことをしても無意味だっただろう。瑠美を突き飛ばしたほうがまだ助かる可能性があったかもしれない。今思えば完全な判断ミスだ。瑠美を抱えた体に強い衝撃を感じ、前世での記憶はそこで途切れている。
そして気づけば訳の分からない世界に転生していたのだ。
ユージーンには転生の影響なのか、生まれた直後から前世の記憶があり、周囲のことも理解できた。だから、生まれてすぐに彼は絶望した。
何もできない赤子なのに自意識だけはしっかりあることの辛さ、そして周りから聞こえてくる会話で自分の境遇を悟ったのだ。
この世界でも、また実の親に恵まれなかった。
ユージーンは国王の第一子として生まれたが、実母が王宮の侍女で地位が低かったこと、そして出産とともに命を落としてしまったことで、その存在は微妙なものとなった。半ば存在を隠すように、王宮の片隅でひっそりと育てられた。
さらに翌年、王妃がアーロンを産んだことで、ユージーンはアーロンの将来の即位を脅かす邪魔者として扱われることになった。
何度か暗殺されかけたこともあったが、そんなユージーンを救ってくれたのが、現在の義両親であるフィールズ公爵夫妻だった。王弟夫妻であるこの二人は、当時、夫人の持病のために懐妊が絶望的だとの診断を受けたことから、ユージーンを我が子として引き取りたいと申し出てくれたのだ。
このとき、ユージーンは三歳だった。
フィールズ公爵家に引き取られるにあたって、諸々の理由から、ユージーンは養子ではなく、王弟夫妻の実子であることにされ、事情を知る者には緘口令が敷かれた。そのため、今でも世間には、ユージーンは公爵家の実子であると思われている。
公爵夫妻は愛情深い人たちで、ユージーンを可愛がってくれた。ユージーンも、これでやっと幸せになれるのだと信じていた。
……けれど、それも束の間の夢だった。
なんと、それからすぐに夫人の懐妊が判明したのだ。
それからは持病のある夫人が安全に出産できるよう、公爵邸では夫人とお腹の子供の健康が最優先事項となり、公爵も忙しい身の上であるので、夫妻がユージーンに構ってくれる時間は少なくなった。
そして無事に出産できた後も、待望の実子であり、まだ何もできない赤子に両親は付きっきりだった。それは仕方のないことだし、年齢以上にしっかりしているユージーンなら少し放っておいても大丈夫だと思われていたのかもしれない。
ユージーンが夫妻から邪険に扱われることはなかったし、弟が大きくなってからは家族四人で過ごすことも多くなった。ユージーンのことも変わらず可愛がってくれた。
それでも、この中で自分だけが血の繋がっていない余所者なのだと思ってしまい、自分などいなくなったほうがよいのではないかと堪らない気持ちになった。
前世の記憶を持つ異端の存在で、王宮では邪魔者扱い、公爵家は気を許せる場所だけれど、辛い場所でもある。
心に巣食う孤独感をどうしても消し去ることができず、自身の境遇にうんざりした。
こうなったらいっそのこと第一王子を蹴落として国王の座を簒奪してやるのもありかと思っていたけれど……ルシンダが、前世の妹が現れてそんな気持ちは掻き消えてしまった。
瑠美がいてくれるなら、この世界でも、この自分でもやっていける。そんな気がした。
それに、前世で瑠美が抱えていた孤独感を、今ならもっと理解してやれる。
前世で足りなかった愛情を、今世でたくさん与えてあげたい。
瑠美に、彼女が愛されるべき人間なんだと分からせてあげたい。
そのためなら、今の自分が持てるすべてを使って、瑠美の力になろう。
◇◇◇
物思いに耽っていたユージーンは、正面から足音が聞こえてくるのに気づき、伏せていた目を開けた。
目の前には、思った通りの人物がいて、固い表情でこちらを見つめている。
「やあ、クリス」
「……ユージーン、お待たせしてすみません」
「さほど待っていないから大丈夫だ。それで、話とは何かな?」
ユージーンが立ち上がってクリスに問う。
しばらくの沈黙ののち、クリスは静かに口を開いた。
「……文化祭の日、あなたとルシンダが生徒会室で抱き合っているのを見ました。すぐに立ち去ったので会話は聞いていません。……失礼ですが、ルシンダとはどういった関係ですか?」
「……見られていたのか」
ユージーンは予想外のことに一瞬戸惑ったが、転生云々の話は聞かれていなかったことですぐに落ち着きを取り戻し、質問への答えを返した。
「君がルシンダと出会うずっと前から知っているんだ」
「それは……ルシンダが孤児院にいたときに出会ったということですか?」
ルシンダが孤児院にいて、十歳の頃に引き取られたことは調査済みだった。
ルシンダとも話し合って、自分たちが転生者であること、つまり前世で兄妹だったことは秘密にしておくことに決めた。
自分は公爵家令息で、非公式だが国王の実子。ルシンダも元孤児の伯爵家養子で微妙な立場だから、面倒ごとは避けたいし、転生などという怪しげな話で正気を疑われたくもなかった。
「まあ、そうだね。僕がまだ小さい頃、孤児院にしばらく通っていたことがあって、そこで出会ったんだ」
孤児院を訪問していたのは事実だ。「しばらく」と言えるほど回数は多くないし、ルシンダがいたのとは別の場所だったが。
あの時は正直、退屈で仕方なかったけれど、こうしてルシンダとの仲を誤魔化す口実になったのだから苦労もしてみるものだ。
「まさかルシンダが伯爵家の養子になっていたとは思わず、最初は分からなかったけれどね。あの日、お互いに気づいて、ようやく感動の再会となった訳だよ。ルシンダは僕のことを兄のように慕ってくれていたから、思わず二人で抱き合ってしまって。恥ずかしいところを見られたな」
ユージーンは笑顔で作り話を語りながら、クリスの反応を探った。不満げな顔をしながらも、一応納得はしているように見える。
「……まあ、今は君がルシンダのお兄さんだからね。僕のことはルシンダの幼馴染みたいに思ってくれればいいよ」
義兄であるクリスの前で兄ヅラをするのも悪いかと思って、そう付け足すと、クリスはユージーンのほうを見ることもなく、ぽつりと呟いた。
「──ルシンダの兄、か……」
「え?」
「……いえ、話は分かりました。失礼します」
そう言って、くるりと背を向けて去っていくクリスは、どこかいつもと様子が違うように思われた。
一体どうしたというのだろう。やはり兄役を取られたようで拗ねているのかもしれない。
申し訳なくはあるが、クリスは分別のあるしっかりした男だから、そのうち落ち着くだろう。
それよりも、ルシンダの友人であり、もう一人の転生者でもあるというミア嬢にも挨拶をしなければ。
そう思いながら、ユージーンも裏庭を後にした。