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夜中、何かが聞こえた気がして、目を覚ました。
最初は寝ぼけてるのかと思ったけど、すぐに気づいた。
(……みこと?)
隣のベッドで、微かに喘ぐような息。
布団がくしゃ、と揺れている。
顔を覗き込むと、うなされていた。
「……やだ……やだ……もう、やだ……」
額にはじっとり汗。
歯を食いしばるようにして、肩を震わせている。
(……夢か。あのときのこと、まだ)
そっと名前を呼ぶ。
「みこと。……起きて。大丈夫、ここにいる」
けれど、みことはなかなか目を覚まさなかった。
代わりに、小さな声で泣きながら、こう言った。
「やだよ……ひとりに、しないで……すち、いかないで……」
胸が詰まる音がした。
(……どれだけ、怖かったんだろう)
みことは、あの頃、俺に何も言わなかった。
苦しくても、咲いても、吐いても、
俺にバレるのをただひたすらに恐れてた。
「怖かった」
そう言って泣いていたときの顔が、今でも思い出せる。
(どんなお前だって、全部受け止めたのに)
夢の中で泣いてるみことの手を、そっと握る。
すると、小さく指が返ってきた。
(……ちゃんと、届いてる)
「……大丈夫。俺はここにいるよ。ひとりにはしないよ」
みことの体をゆっくり抱き寄せる。
細くて、でもあたたかくて、今確かに生きてる。
(怖いなら、怖いって言って。泣きたいなら、泣いて)
「……俺が、全部見てる。全部、聞く」
小さく震える身体を、そっと包み込む。
「だからもう、夢の中でも俺を呼んでいいよ。何度でも助けるから」
やがて、みことがふっと息を吐いた。
睫毛が小さく揺れて、ゆっくりと目を開けた。
「……すち……?」
「うん、ここにいる」
「……夢、見てた。すちが……いなくなって……」
「怖かったね。でも、俺はどこにも行かないよ」
そっと、おでこにキスを落とす。
「おやすみ、みこと。ゆっくり眠って」
「……うん。ありがとう。……すち、大好き」
みことがもう一度目を閉じる。
今度は、穏やかな呼吸に変わっていった。
俺はその夜、ずっとみことの手を握っていた。
夢から目が覚めても、すぐわかるように。
この手が、「もうひとりじゃない」ことを伝えられるように。
(大丈夫。あの頃を越えた俺たちは、もう)
(夢だって、ふたりなら、怖くない)
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別日の夜、ふたりでベランダにいた。
少し肌寒い風が吹いていて、みことは俺の上着を羽織ってる。
手には温かいミルク。俺のはコーヒー。
さっき、また夢を見たらしい。
起こされたわけじゃない。
みことはちゃんと自分で、俺を起こさずに起きて、静かに息を整えてた。
だけど、俺はすぐわかった。
「……なんでわかるの?」
そう聞かれて、苦笑した。
「顔、泣いたあとの顔だった」
「そっか……バレバレだね」
そう言って少し照れたように笑ったあと、みことはぼそりと呟いた。
「……まだ引きずってるのかな、俺」
「うん。引きずってると思うよ」
俺は、否定しなかった。
「でもさ、それって別に悪いことじゃないと思うんだ」
「……うん?」
「引きずるってことは、ちゃんと生きた証拠だから。
痛かった、怖かった、それをなかったことにしないっていうのはさ――
俺は、すごく勇気あることだと思う」
みことが、手元のマグカップを見つめる。
しばらくして、小さく呟いた。
「……夢の中の俺はね、ずっと助けを呼んでるの。
“すち、たすけて”って。でも声が出ないの。
あのころの俺は、ほんとにそうだった」
「声、出していいんだよ。いくらでも。俺、聞くから」
「うん……ありがとう」
夜風が、ふっと頬を撫でる。
「すち。俺さ……もう、あのときのことを“怖かった”って言ってもいいのかな」
「もちろんだよ。今まで我慢してきた分、いくらでも言っていい」
「……苦しかった。すごく、すごく、怖かった。
死ぬのが怖かったんじゃない。
“すちに嫌われること”が怖くて、誰にも言えなかった」
「うん」
「でも、いま、こうして隣にいてくれるから……俺、言えるようになったんだと思う」
俺はそっと肩を抱き寄せた。
「みこと、俺にとっては、今の“怖がってるお前”も、過去の“必死に耐えてたお前”も、
ぜんぶ、愛しいんだよ」
みことは驚いたように目を見開いて、それから――泣いた。
静かに、ぽろぽろと、肩を震わせながら。
でもその顔には、ちゃんと笑みがあった。
その夜、みことは言った。
「……ねえ、すち」
「ん?」
「俺たち、もう“トラウマを消す”必要なんてないんじゃない?」
「……どういう意味?」
「“それがあったから、ここまで来られた”って思えるなら、
抱えて生きてくのも悪くないかな、って」
俺は笑った。
「お前は、ほんとに強いな」
「そう? 俺、自分じゃ全然そう思えないけど……
でも、すちが隣にいてくれるから、ちょっとだけ強くなれる気がする」
「その“ちょっと”がすごいんだよ。ちゃんと進んでる。えらいよ、みこちゃん」
みことは少し照れて、それからこくんとうなずいた。
あの日々は消えない。
でも、もうふたりでちゃんと“言葉”にできる。
それが、過去を思い出に変える、最初の一歩なんだと思う。