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場所は変わって、執務室前の廊下。
「……ううーん、そろそろ声を掛けるべきなんだろう。なあ?」
鍛え抜かれた騎士らしく凛とした姿で扉の前に立つイーサンは、隣にいる男──ワイアットに問いかけるが返事はない。
イーサンとワイアットは、アシェルの護衛騎士となって数年。二人の仲は悪くないどころか、互いに背中を預けられるくらい信頼しあっている。
それなのに無視を決め込むということは、自分は絶対に声を掛けたくないというワイアットの強い意志の表れである。
「だよね。うん……だよねー」
口に出してみたものの、ワイアットと同じ気持ちでいるイーサンは、気分を害するどころか、深く深く頷く。
だがしかし、補佐も兼ねている二人は、そろそろ政務を再開しろと言わなくてはならない。
なにせ今は夜会前。盲目王子といえど、押し付けられる仕事は通常の倍で、そのほとんどが、使えない官僚の尻拭いの面倒くさい案件ばかり。
それよりも何よりも、夜会はこれまで水面下で進めて来た計画を実行する日でもある。
一つも失敗は許されない。必ず成功させなければならないから、アシェルはさっさと執務机に戻って山積みのあれやこれやを片付けるべきなのだが、イーサンもワイアットも、そんなド正論を口に出す勇気は無い。
時間ばかりが過ぎていく。とはいえ、焦ったところで無駄だと悟ったワイアットは、ここで的外れなことをポツンと呟いた。
「──それにしても、ノアは俺の事、覚えてないんだな」
しんみりとした口調で肩を落とすワイアットに、イーサンは「なぜ今、それを言う?」と小声でツッコミを入れてみた。
「………積もりに積もって、なんか口からポロっと出た」
「なるほど」
神妙に頷くイーサンは、ワイアットの過去を知っている。
アシェルの側近兼護衛騎士であるワイアットは孤児院出身で、なんの後ろ盾も無く王宮騎士の座についた実力だけの男である。
そんな彼は、実はノアと同じ孤児院の出身だ。
ただノアが物心ついた時にはワイアットは、孤児院を出て騎士の道に進んでいたので、同じ屋根の下で過ごした期間はない。
騎士は全寮制で厳しい縦社会だ。下っ端の騎士は、気楽に帰省できないし、晴れて騎士となっても、やれ遠征だ討伐だと忙しい日々を送ることになる。
そんな事情から、ワイアットは孤児院に帰省する暇なんてなかった。数える程度に、孤児院に顔を出したことはあったけれど、手土産にキノコを持ってこなかったせいなのか、ノアはワイアットのことをまったく覚えていない。
ワイアットはワイアットで、ノアが精霊姫の生まれ変わりだということは知らなかった。ノアが城に連行される直前に、アシェルから知らされて心底驚いた。
誘拐するように城に連れて来たノアと顔を合わせることは、ワイアットにとってとても心苦しかった。
けれど予想に反してワイアットと目が合ったノアは「あ、どうも。初めまして」とペコリと頭を下げられただけで……安堵よりも、落胆の方が強かった。
それでも毎日顔を合わせていれば、思い出してくれるかもと期待していたが、今のところその気配はないし、ノアと同じ孤児院出身だと伝えることは、アシェルから禁じられている。
惚れた女性が、恋愛対象外の先生の暴走を止めるために腕を掴んでも、浮気。
惚れた女性が、恋愛の『れ』の字も感じさせない先生の暴言を止めるためにタックルかましても、浮気。
惚れた女性が、恋愛対象外の騎士と共通点を語り合うのも、浮気。
そんな判定を下す狭小男──それがワイアットの主であるアシェルだ。
「ってか、ノア様がさっさと俺のことを思い出してくれたら、俺はこんなヤキモキしなくてすむのに。あー……もしくは、殿下に惚れてくれたら解禁になるんだけどなぁ」
嘆きなのか愚痴なのか、よくわからないことをぼやくワイアットに、イーサンはうんうんと相槌を打つ。
でも扉越しに聞こえてくるのはアシェルの「頑張れ」というエールだけ。
脈ありの男女の会話なら、もう少し色気があってもいいのに、まったく感じられない。アシェルの気持ちを知っている側近二人は、なんかちょっと切なくなる。
「……ま、まぁ……最悪、グレイアス殿がスパッと解決策を見つけて……あ、噂をすれば」
ワイアットの肩を抱きながら慰めていたイーサンは、そのままの姿勢で視線を横に向ける。
視線の先には、魔術師のローブの裾を揺らしながらテクテク歩くグレイアスと、無表情のフレシアがいた。
「ノア様と殿下はこの中ですか?」
イーサンとワイアットの前でぴたっと足を止めたグレイアスは淡々とした口調で尋ねる。
「あ、はい」
「そうですか……あ、ちょっと待って!お待ちくださいよ!!」
何のためらいもなくドアノブに手をかけたグレイアスを、イーサンは慌てて止める。
「グレイアス殿……空気読みましょうや」
「はぁ?イーサン殿、あなた勤務中なのに酒でも飲んでるんですか??」
今扉を開けたら身の危険があるから、止めてあげたのというのに、この言われよう。イーサンの眉間に皺が寄る。
「……察しの悪い兄で、申し訳ございません」
一方、フレシアは、イーサンが止めた理由をすぐに理解して、深く頭を下げた。