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2035年現在、日本にはいくつかの居住区層に分けられている。
そのうちの一つが、東京23区の上空を浮遊する都市【浮遊層】である。
そこは莫大な富と権力を持つ者のみが住まう地区であり、そんな富裕層の頂点に座す人物は『金貨の君』と呼ばれていた。
そんな彼がある日、戯れにこう言った。
「特別なVRゲームを作ってみよう」
そのゲームは現実のあらゆるものを取引きできる画期的なシステムが導入されていた。ゲーム内で稼いだ【仮想金貨】を使えば、現実で買い物ができたり、人間の感情や身体部位などの臓器売買も行える。
「このゲームからは際限なく人間の欲望が生まれる。莫大の富を無限に築ける可能性だってある。だからゲームを極めれば、私のような『金貨の君』になれるかもね?」
世間が沸いた。
『浮遊層』は享楽的に、『地上層』は副収入のチャンスに。
そして『地下層』の人々でさえも、一攫千金と一発逆転に。
人々はこのゲームに夢見て、自らの寿命と、感情と、命を賭けて、【仮想金貨】稼ぎに邁進するのだった。
そのゲームの名は【転生オンライン:パンドラ】。
現実に絶望し、生きながら死んでる人々にとって、来世こそはと希望を抱ける理想郷……なのかもしれない。
金の亡者がこじ開けるのは金貨の詰まった宝箱か————
あるいはパンドラの箱なのか————
◇
早く家に帰って休みたい。
「……いや、ダメだ。どんな時も地道にコツコツと」
定時はとっくに過ぎたけど、会社のデスクに座って自分を鼓舞する。
彩りのない毎日がどんなに灰色であっても、コツコツと足元を固めていればきっと報われる。
だから目の前の仕事をこなし続けるのみ。
「おーい、河合! 1人で何ブツブツ言ってんだ? キモいぞ。そんな暇あるならこのゴミ出してこいよ」
濃厚な煙草の匂いをまとわせた男性が、僕のデスクにグシャリと大きなゴミ袋を置いた。
喫煙エリアで休憩を満喫していたらしいその人物は、親が大企業の経営者をしているから入社できた成宮さんだった。
いやいや、僕は成宮さんが見落とした採算表を入力している最中ですよ、と喉まで出かかった言葉を呑み込む。
「成宮さん、そのゴミは清掃員さんが回収しに来るので————」
僕が片付けるのは無駄な作業ですと、やんわり主張しようとしたけど、彼はその整った顔立ちにねばついた笑みを浮かべて遮る。
「ゴミ出しぐらいできるだろ、なにせお前はこの部署のでっけえ粗大ゴミなんだしよ」
彼は常に余裕があり、そして自信家だ。
激しい就活戦争なんてのは顔パスの余裕だし、彼の親が経営する会社との取引で、この部署は大きな利益を上げられたのだから自信満々だ。
いいなあ、と憧れる部分もある。
「河合もかわいそうだよな~。年収300万円とか! そんなお前に年収800万超えの俺が! ゴミ出しっていう、ありがたーい仕事を与えてやるってわけよ。なあ? お前に俺のご機嫌とり以外の長所ってあんの?」
成宮さんは近くを通った女性社員二人へ急に話しかけた。
「河合さんの取り柄? えっと、高身長……というか進撃の河合さん? 巨人?」
「ちょっとやめなってぇー。でも202cm? は、おっきすぎるよねー」
僕は成宮さんと一緒にクスクス笑う女性社員たちから逃れるように席を立つ。
ここで成宮さんの機嫌を損ねて得する人なんていない。だから僕の味方もいない。
「…………承知いたしました」
しぶしぶと彼の要望に頷きつつ、僕はゴミ袋を片手に歩く。
そんな折、総務部のスペースから出てきた女性が話しかけてくる。
「河合くん、ちょっといい?」
「あ、金尾さん」
金尾暮美、僕より一つ上の26歳。
その整った顔立ちは他部署の男性からも人気が高く、社内ではほとんど絡まない高嶺の花だ。
そんな彼女が珍しく僕に話しかけてきた。
僕はゴミ袋を片手に、暮美の後をついてゆく。
人気のない自販機のスペースで彼女が振り返ると、その表情は少しだけ不機嫌だと伺えた。
「はあー……でっかい粗大ゴミねえ」
暮美は僕を上から下まで見つめて、呆れたように呟く。
「ま、あながち間違ってないわね?」
「えっ?」
僕はてっきり慰めてくれるものだと思っていた。
なぜなら社内には秘密にしているけど、僕たちは交際し始めて二カ月が経っていたからだ。
「あーこれだから察しが悪くてイラつくのよねえ。あんたって奴は」
「どうしたんだよ……暮美」
「別れたいって言ってるの」
「え、急に……僕が何かした?」
「何もしてないわね。私、成宮さんと付き合うことになったの」
「え……?」
「いい加減理解しろよ。図体ばっかり大きくなっちゃって、脳みそに行く栄養でも取られたのかしら?」
暮美は呆れるように、僕に説明する。
「真央。あんたはいつもうじうじしてて、私の言いなりになりそうだったし? 部署も花形だから将来性もそこそこありそうで? 専業主婦にしてもらえそうだったから交際を申し込んだの」
「え……じゃあ『小さなことでもコツコツ頑張る姿に惹かれた』って言ってくれたのは……」
「方便よ。で、実際に付き合ってみたら、いつでもどこでも優柔不断でつまらない男だなって」
彼女の言葉が胸に突き刺さる。
「近くにもっといい物件がいるんだし、そりゃあねえ? 結婚を見据える26歳の女が取る選択なんてこんなものよ?」
あ、あ……そうか。
うん、まあ納得だ。
優柔不断でウジウジしてる自分が悪い。
年収が低くて、成宮さんより将来性のない自分が悪い。
彼女が望む自分になれなかった自分が悪い。
悔しい、な……。
「はあー? そのデカい図体で泣くとかみっともないっての。このあと成宮さんと高級ディナーの約束があるから、それじゃあね」
河合真央、25歳。
初めてお付き合いした女性にフられた瞬間だった。
僕は懸命に涙を堪えながら、ゴミ処理区域まで一人歩いた。
「……僕は『でっかい粗大ゴミ』か。ははは」
『ゴミはゴミ箱へ』って言葉を思い出し、自らの足でゴミ処理区域に向かった事実に空しくなった。
◇
ようやく労働から解放され、22時に帰宅。
それから急いで夕飯と風呂を済ませると、時刻は23時を回っていた。
『やっほ、お兄』
『うん』
家事が落ち着く頃になれば、歳の離れた妹からの作業通話に誘われる。
もはや日課のごとく繋げているけど、我が妹ながら毎日毎日よく頑張っていると思う。
『芽瑠は今夜も漫画を描いてるのか? それとも動画編集?』
『どっちも。今が頑張りどき』
実は妹の芽瑠は現役中学生でありながら、『よめるめる』というペンネームで漫画家&インフルエンサーをしている。
『誰でも読める! 楽しめる!』をモットーに、SNS上で『よみかわ』という黄泉の国から来たハムスターたちが冒険するマンガを描いており、これが大人気を博している。
アニメ化はもちろん映画化もして、グッズまで爆売れらしい。
この間なんか100均でも『よみかわ』グッズを見かけてびっくりした。
しかも漫画家ご本人も美少女ときたものだから、メディアは一斉に取り上げ、今ではティーン向けのファッションモデルや商品宣伝動画などをアップして活躍しまくっている。
『芽瑠はすごいな。頑張り屋さんだ』
『お兄を見てきたから。コツコツ、がんばる、当たり前』
はははっ。
自慢の妹に褒められるのは嬉しいけど、今は虚しさの方が勝ってしまう。
『お兄、元気ない?』
しかも11個下の妹に、ちょっとの作業通話で心配されるほど声色に出てしまっていたようだ。
我ながら情けない兄だ。
『仕事、たいへん?』
『うん。まあそこそこ。でも芽瑠ほどじゃないから』
『んんん……お兄、仕事やめる。私が養う』
『いやいや。何言ってるの』
『本気』
『ダメだって』
『じゃあ、息抜き、する?』
『どんな?』
『ゲーム。【転生オンライン:パンドラ】』
『あー……確かリアルマネーを稼げるってゲームだっけか?』
『実は私、『よめるめる』は、【転生オンライン:パンドラ】の公式アンバサダーに選ばれた……!』
『……なんと』
とんでもないことを淡々と言ってのけた妹に戦慄してしまう。
『正式な案件依頼、マネージャーさん、交渉頑張ってくれた。月にゲーム内SSを4枚、プレイ動画を2本アップ。1000万円入る』
『ぶほぉっ、月収1000万!?』
『手伝って?』
息抜きと言いつつも、しっかりと仕事の案件をこなそうとする我が妹は……やはり仕事熱心だった。
『可愛い妹に頼まれたんじゃ仕方ないな。付き合うよ』
『やった』
そしてわざとこんな風に『お願い』しながら、僕が息抜きをするって流れを作ってくれる妹には感謝しかない。
そんなわけで、僕は妹から支給されたゲームデータなどをPCにDLしてゆく。
あとはVRメガネと接続すれば、ゲームスタートだ。
『初期の街は【剣闘市オールドナイン】に設定して。私と同じエリア』
『りょーかい』
さっそくログインしてみるとキャラクタークリエイト画面に移った。
:【転生オンライン:パンドラ】へようこそ:
:あなたは、身分【不殺の魔王】を引き当てました:
あれ?
自動でおおよそのキャラクリが仕上がってる……?
僕の視界に移ったのは、紅玉色の瞳が印象的な銀髪の少女だった。
身長は130cmにも満たない幼さで、そのくせ出るところは出ているといったロリ巨乳さんだ。
『ん、身長を135cm以上にクリエイトできない……?』
:身分に応じてキャラクターデザインに制限があります:
なるほど。
そういう仕様なのか。
まあキャラが女の子でも男の子でも僕は気にしないし、確かこのゲームってキルされたら、別のキャラに転生するって話だからそういうものなんだろう。
僕は深く考えずにキャラクリを終えていた。
芽瑠が待っているだろうし、さっそく冒険の舞台を選ぶ。
:転生人として、最初に活動する【黄金領域】をお選びください:
:【黄金郷リンネ】、【剣闘市オールドナイン】、【創造の地平船ガリレオ】、【世界樹の試験管リュンクス】、【芸術古都ミケランジェロ】:
『えーっと。じゃあ、【剣闘市オールドナイン】で』
:かしこまりました:
:人類に残された最後の生存圏、【黄金領域】の発見と開拓を目指す者に幸運を:
:パンドラの脅威に祝福を:
ちょっとだけ不穏なアナウンスだったけど、ファンタジー系のゲームをするのは久しぶりなのでワクワクしている。
『冷めた現実よりも……醒めない夢を見せてくれるゲームに期待しちゃうよな』
って思っていた時期が僕にもありました。
『ひぃぃぃぃぃぃ……助けてえええ!』
『やめろ、化け物め! ぎゃっ、死ぬううう! 』
『ため込んだ仮想金貨が全部パアになるうううう』
様々な人間が、白い草原の下から這い出たゾンビによって喰われていた。
というかあれって転生人だよな?
『えぇぇ……』
目の前にはどこまでも色のない大草原。そして墓標のように点々と突き立つは、ビルと同等の高さを誇る巨剣。
視界の隅には【白き千剣の大葬原】と表示されており、どうやら【剣闘市オールドナイン】はここから近いらしい。
うんうん、とってもファンタジーな光景だと思う。
だけど、あっれー?
このゲームってかなり殺伐としてる!?
というか阿鼻叫喚の地獄絵図だぞ!?
『やっほ、お兄』
そんな風に僕が、ゾンビたちに喰われるプレイヤーたちの姿を腰を引きながら呆然と眺めていると、聞きなれた声がした。
そちらを見れば、現実の芽瑠に瓜二つな銀髪姫カットの美少女が、無表情で挨拶をしてきた。
頭上には『メルLv12』【身分:絵描き姫】と表記されていて、事前に芽瑠に聞いていた通りのキャラがいた。
『あ、うん。メルだよな?』
『うん。お兄はマオLv1……身分、【不殺の魔王】? 聞いたことない身分。もしかして激レア身分、引き当てた?』
『そんなことよりメル……このゲームってもしかしてさ……』
『ん? 見ての通り、死にゲー』
さも当然のように淡々と告げる妹に、僕は盛大につっこんだ。
『これじゃあぜんっぜん、息抜きにならないよね!?』
『これは仕事。仕事、手伝って、言ったよ?』
可愛く小首を傾げる妹は、いつもの無表情をわずかに崩して微笑んでいた。
その顔が——『少しは元気でた?』と問いかけるように。