曲を作ることは、俺が俺として存在してもいいんだと認めてもらうために必要なことだった。そうすることでしか俺は存在理由を得られなかったから、ただひたすらに、ひたすらに曲を作った。満たされない時ほど俺の脳内にはメロディーが溢れた。そうやって1週間、ろくに飲まず食わずで制作に打ち込んでぶっ倒れた時、初めて涼ちゃんに怒られた。
「おねがい、もっと自分を大切にしてよ……」
俺はその言葉に強い反発心を覚えた。
「自分を大切にしたいから作ってんだよ、俺は、俺の作る曲を認めてもらうことでしか自分に存在価値を見いだせない。人は馬鹿で、残酷で!どんどん新しいのを作らなきゃ忘れられる。忘れられるのが一番怖い……!」
気づけば俺はぼろぼろ泣いていて、涼ちゃんはそんな俺を抱きしめていた。人の体温を温かいと思ったのは初めてだった。今までは他人の体温なんて、ただそこにあるだけの事実でしかなかったのに。
「忘れない」
涼ちゃんは俺を強く強く抱きしめて言った。
「仮に元貴が曲を作れなくなったとして、それでも俺は今までに元貴が作った曲のことを忘れないし、元貴のそばにいたいって思うよ。それだけ元貴のことが大事なんだ。世間が忘れたとしても、俺はずっとそばにいる」
涼ちゃんは知る由もないだろうけれど、あの日から俺の世界は少しだけ、でも確実に変わった。相変わらず承認欲求を満たすために曲を作り続けていたけれど、それがなくなっても大丈夫だなんて少し思えるようになった。それは彼のおかげだった。彼がそばにいてくれる限り、俺は追い詰められるようにして曲を描く必要がなくなった。逆に彼がそばにいることで溢れてくるメロディーがあり、それは俺を制作へと駆り立てた。
そう、あの日から俺にとって彼は唯一無二の愛すべき人になったのだ。
だから、彼がもう俺の元に戻ってこないと悟った時、もう俺に存在価値はなくなったのだ。死んでしまおう、と思った。ここで俺が死んでしまえば、この事件は未解決のまま容疑者死亡で迷宮入りだ。人は馬鹿で、残酷だ。こんな事件でも、時間が経てばいつかは忘れる。少し時間はかかるかもしれないけれど、君を自由にしてあげられる。
……そう思ったのに、俺は失敗した。自殺が未遂に終わったと知り、病院の白すぎる天井をぼんやりと見上げていた時、昨日の刑事が面会を希望している旨を看護師に伝えられた。俺はすぐさま了承し、自分が首謀者だと伝えた。これでいい。事件は解決だ。細かいことなどは、依頼したものだからよく分からないで通せるだろう。ところが翌朝、もう一度あの刑事が俺の病室を訪ねてきた。
「昨晩、藤澤涼架さんが署に自ら出頭され、今回の事件について、自分が首謀者であると主張しています」
俺は思わず驚いて息を呑みそうになるのを必死に堪え、僅かばかり眉根を寄せるだけに抑えた。
「……大森さん、貴方が首謀者であるというのは嘘ですね?今回の事件が藤澤さんの狂言だと気づいていて、庇うために昨日嘘の自首をした。違いますか?」
この田村という刑事はなかなかに鋭く、こちらの発言ひとつひとつの真偽を見極めようとしてくる感じがある。こういった形で対峙していなければ、仲良くなってみたかったタイプの人間だな、と思った。
「……涼ちゃんが、みつかったんですか?」
口元にゆっくりと笑みを乗せていく。
「質問に答えてください、大森さん」
あぁもう煩いな。なぜ涼ちゃんが姿を現したのか、今考えてるとこだってのに。舌打ちをしそうになりながら、必死に表情を保って刑事に笑いかける。
「さっきの質問ですか?それなら答えはNOです。僕が首謀者だ。涼ちゃんがどうやって逃げ出してきたかは分かんないけど、きっと僕を庇おうとしてるんでしょう。本物の誘拐より狂言の方が罪は軽いし」
俺は必死に頭をフル回転させながら考える。なぜこのタイミングなのか。俺が自殺未遂した事を知って?だとしたら誰から……若井か。誰かしら協力者は居るのだろうと思っていたけれど、ミセスという船も壊してしまう今回の計画について、彼が若井に相談していなかったとは考えにくい。そうなれば、今も状況把握のために連絡を取っていた可能性はある。
彼が俺の元に戻ってくるつもりはないと知ったとき、もともと俺を犯人に仕立て上げるつもりだったのだろうと思った。それも復讐のひとつなのだろうと。どちらにせよ死ぬつもりだった俺にとって別にそれはどうでも良かったし、むしろ俺に疑いが向くように演技してきたことが丁度よかったくらいだと安堵したほどだ。しかしこうなって姿を現したところをみると、涼ちゃんにその意図はなかったらしい。あくまで俺の元を離れるため?それにしては大がかりな気もするが……。いや、今回の事件の目的はそれだけじゃない気がする。俺を犯人にして社会的制裁を与えるのが目的でなかったとすれば、今回の事件をきっかけについてまわる悪評と好奇の目によってアーティストとして活動できなくなるのを目論んだのだろうか。そうだとしたら、彼の目に、俺はあの日のままの姿で映り続けていたことになる。……つまり、俺がどれだけ彼を愛しているかが、彼には伝わっていなかったのだ。俺は思わずくつくつと笑いをこぼす。演技でもなんでもなく、これは心の底から込み上げてきたものだった。だが、丁度いい。納得いかなそうにこちらを睨みつける刑事に愛想良く笑いかける。
「刑事さん、僕が首謀者です。何度聞かれたって嘘偽りなくこれが答えだ」
男の表情は苦々しいものへと変わった。申し訳ないけれど、俺は涼ちゃんを「庇い」ぬくことに決めたのだ。
お願い、どうかそれで気づいて。
俺の不器用だった君への愛に。
「若井さんが、今回の計画について全て話してくれましたよ」
その言葉に、今まで全くこちらの言葉に耳を傾けようともしなかった藤澤はサッと顔色を変えた。
「……違う」
久しぶりに声を出すせいか、彼のそれは随分と掠れていて小さい。
「違います、若井は嘘をついてる。全部、全部僕が一人でやったことです」
やはりそうか、と田村は内心ため息を吐く。藤澤は若井が協力者であることを隠すため、下手に発言をして矛盾が生じないように計画に関してはだんまりを決め込んでいたのだろう。
「刑事さん、本当に僕一人で計画したことなんです、若井は関係ない、信じてください」
焦っているせいか声は上擦って、その瞳は潤んでいる。
「証言が三者三様じゃあね……」
はぁ、と田村がため息を吐くと、藤澤は怪訝そうに身を乗り出した。
「三者……?」
「大森さんがね、貴方が出頭したのとほぼ同時刻に自分が首謀者だと自白されたんですよ」
はぁ?と藤澤は訳が分からないと言わんばかりに声を上げた。
「なんでそんな……」
「彼には今朝、藤澤さんが出頭されたことをお話しましたが、その際にも自分が首謀者で間違いない、と」
誰の話が本当なんですかねぇ、と田村はわざとらしく呆れたような口調で話す。藤澤は動揺をあらわにしてしばらく目を泳がせていたが、やがて再び口を開いた。
「大森と、話をさせてください」
田村は苦々しく顔を歪める。何を言ってるんだ、と思っているのが口に出さずとも伝わってくるようだった。しかし、藤澤はそれに怯む事無く
「僕が首謀者で間違いありません。でも大森はこのままだとその主張を続けるでしょう。それだと警察の皆さんも困るんじゃないですか?」
頼りないようにみえて、今回の事件を計画したと主張するだけあってか、こんな状況下でも頭は回るらしい。しかし上に話を通そうものなら、容疑者同士を面会させるなど却下されるのは目に見えている。どうしたものか、と田村は悩ましげに腕を組んだ。
彼が自殺を図った理由も首謀者を名乗っている意図も、俺にはさっぱり分からない。どちらも自らが犯人の汚名を被るという点で共通しており、それはまるで俺を救おうとしているようにみえる。
でもどうして?彼にとって俺は、彼に好意的な人間であり、自分の行動に対する反応を実験的に楽しむための存在なのだと思っていた。それならば庇う必要はない。それともそれに対する罪悪感から罪を被ろうとしているのだろうか。分からない。
俺はきっと、彼と話をする必要がある。
用意してもらった変装用の帽子と太ぶちの眼鏡はあまりにも似合わなくて、マスクをかけると余計に目立つような気すらした。田村刑事の後に続きながら病院の廊下を歩いていても、誰かが自分に注目しているような気がしてしまい、何となく帽子を深く被り直す。
「ここです」
ある病室の前で彼は足を止めた。
「事前に大森さんにも話は通してあります。病室に入って3歩のところで立ち止まってください。決して接触しないように」
俺は黙って頷く。それから、彼に促されて病室のドアに手をかけてゆっくりと引いた。
「元貴」
真っ白な病室の中に彼は居た。ベッドの背もたれを起こして、そこに背を預ける様にして座っていた。手首を切って自殺未遂を図ったと聞いているが、それ以上に2ヶ月前より随分とやつれてみえる。ろくに食事も睡眠もとっていないのだろう、曲を作れなくなった彼に生きる気力などないのかもしれなかった。胸の奥が鈍く痛む。罪悪感なんて抱かないと思っていたのに。
「……涼ちゃん」
ぱっと華やぎかけた表情は、俺の後ろにいる田村刑事の姿を認めると途端に無機質なものへと変わる。
「もう会ってくれないと思ってた。せっかく逃げ出せたんだからそのままで良かったのに」
元貴はどちらとも取れるように言葉を選んでいるのが分かる。
「ね、田村さん。僕、涼ちゃんとふたりで話したい」
無邪気さを装って、彼はにこやかに刑事に話しかける。しかし刑事はかぶりを振った。
「ダメだ。ただでさえこっちはタブーをやらかしてるんです、これ以上のリスクは冒せない」
ちぇっ、と彼は子どもっぽく舌打ちをする。今回は俺が「計画」について詳細を明らかにするとし、失踪時のルートを説明するために現場に行く、というフリを装って元貴の病室に連れてきてもらっていた。
「ここでの会話は全部『無かったこと』にしてもらうことにしたんだ、お互いのためにも。その代わり俺たちは結論を一致させる必要がある」
俺の説明に元貴は「結論?」ときょとんとして首を傾げてみせる。
「単刀直入にきくよ、元貴……なんで嘘をつくの」
「嘘?嘘なんてついてないよ」
「元貴」
わざとらしく首をすくめる彼に、思わずたしなめるようにその名前を呼ぶ。すると、彼は苦しそうに、でも嬉しくてたまらないといわんばかりに微笑んで俺を見た。
「涼ちゃん」
「なに?」
「涼ちゃん……どうしよう俺、嬉しいの。涼ちゃんが俺の名前呼んでくれるの、もう二度と聞けないと思ってたから」
俺は思わず眉根を顰める。まるで俺のことが愛しくてたまらないといわんばかりの彼にかつての記憶が重なる。そうだ、こんな風に彼は俺への愛を嘯いて……そうやって人の愛をおもちゃみたいに扱うんだ。
「そんなこと聞いてないんだけど」
冷たく言い放つと、彼は苦笑して俺から目を逸らした。栄養失調の気があるのだろう、病院着から伸びる、痩せて随分と細くなった腕には点滴が繋がれている。
「涼ちゃんこそさぁ、いいじゃない、俺が首謀者だって認めてくれたって。どうせ俺にはもう存在価値ないんだもの、最後にそれくらいさせてよ」
なんだよそれ、と思わず俺は吐き捨ててしまう。
「曲が作れないから?それで存在価値がないって?」
「……うん」
彼は目を逸らして俯くと、そのまま頷いた。
「……結局元貴はそれだ。曲を作ることが一番で、それで自分自身の価値を確かめるのが大事なんだ。まるで変わってない。人の気持ちなんて……」
俺は言葉に詰まってしまう。鼻の奥がツンと痛んで、俺も慌てて俯いた。病室は床まで白い。なんだか目がちかちかする。
「違うよ」
黙ってしまった俺に、彼は静かに声をかけた。
「何が違うの」
「……全然違うんだよ」
彼の声は少しだけ震えていた。そっと顔を上げると、とても苦しそうな表情でこちらをみつめる彼と目が合った。
「俺ね、涼ちゃんのこと好きになってから全然違くなったよ。だって、曲が作れなくても涼ちゃんがそばにいてくれるって言ってくれたから。涼ちゃんがそばにいてくれれば、俺には生きる理由ができたんだから」
「じゃあなんで浮気なんか……っ!」
「だって嬉しかったんだよっ」
彼は縋るように叫んだ。
「俺、涼ちゃんが自分と同じように俺のこと好きでいてくれてる自信なんてなかったの。でも俺の浮気にめちゃくちゃ傷ついてる様子を見て、あぁ俺ちゃんと涼ちゃんに愛されてるんだなって。そう思ったら、俺の浮気に傷つく涼ちゃんをみて確認したくなっちゃって」
「……それで浮気を繰り返してたってわけ?」
ふざけるなよ、と小さく声に出したつもりのその言葉は思ったよりも病室に大きく響いた。
「ごめんなさい、俺が悪かったのちゃんと分かってるんだ。でもやめられなかった、涼ちゃんが傷ついた態度をとるのは間違いなく愛されてる証拠だったから」
あぁそうか、同じなのかと俺は気づく。彼が曲を作って自分の存在価値を確かめたのと同じように、浮気をすることで俺の愛情を確かめていたのだ。けして人の感情をおもちゃのように扱うつもりではなかったのだ。……今気づいたって遅いんだろうけれど。
「ごめんなさい……」
元貴の声はがらんとした空洞によく響く。
「……許せない」
「うん、分かってる。だから俺……」
「俺はずっと元貴のことが一番で。でも傷つく俺を見て楽しんでるんだと思ってた、だから俺のこと愛してるってのも嘘なんだって思って。でもじゃあ何?元貴の一番もちゃんと俺だったの?」
声が震えた。青白い顔をした元貴が、何度も何度も頷いてみせる。
「許さない、許さないからっ」
叫んで身を乗り出した俺の肩に留めるように田村刑事の手が触れた。分かっている、と言うように俺は彼に頷いてみせる。それでもどうしたって許せないという感情は治まることなく俺の中でぐるぐると渦巻いている。
「なら元貴は死ぬ理由がないよ、だって俺は……忘れられないんだから」
「涼、ちゃん……」
元貴がわずかに前のめりになった。ベッドから降りようとして、事前の田村刑事からの言いつけでも思い出して自制したのかもしれない。しかし、その目に微かになにか希望を見出すような光が宿る。気に食わなかった。彼の思い通りになんてさせてやるものか。
「俺は」
息を吸う。
幕が上がる前ってきっとこんな感じだ。
「俺は、元貴の作る音楽のことは忘れられない……元貴のことは忘れたとしてもね。この2ヶ月でそれを実感したよ。俺の中で、元貴の音楽はどうしたって消えてくれない」
君に呪いをかけよう。忘れ去られるのをもっとも恐れている君に。これがいま、俺ができる精一杯の復讐だった。
「残念だけど俺も馬鹿で残酷な人間のひとりだからさ、曲のことは忘れなくてもいつかは元貴のことは忘れちゃうかもね」
彼の瞳に哀しみと絶望の暗い影が落ちる。
「ねぇ元貴、俺に忘れられるのが怖い……?だったら曲を作り続けなきゃいけないね。俺がどこに居たってその名前が聞こえてくるくらいにさ。勝手に途中でやめたり、死んだりしたら来世までだって許さない」
うああ、と元貴が獣のように嗚咽して前のめりに突っ伏した。布団を掴む手の指には痛々しいほどの力が込められている。
全て俺個人の狂言だったとなれば、元貴と若井は被害者だ。そうした「真相」が明らかになれば、ミセス3人では無理でも、2人でなら活動はできるだろう。
「田村刑事、話は終わりです。我儘を聞いてくださってありがとうございました」
「待って、涼ちゃん……っ」
俺は元貴の方には一瞥もくれず、行きましょう、と言って部屋を後にした。入れ違いに外に控えていた事情を知る看護師が駆け込んでいく。俺の名を叫ぶ彼の声は廊下にまで響き渡った。
長らく世間を騒がせた失踪事件は思わぬ形で解決し、大きな話題となった。被害者と思われた藤澤が全ての計画をした狂言であり、その動機は「忙しくなる仕事についていけなくなり逃げ出したかった」というものだった。これは、彼が新たに書いたシナリオだった。大森と若井に音楽活動を継続させるための。藤澤自体の罪もそんなに重いものではない。しかし、彼につけられた世間イメージは確実にこれからの彼の活動を阻むはずだったが、それに関して彼が何か心の内を明らかにすることはなかった。
大森は活動再開後、異常なまでのスピードで次々と新曲を公表し、話題をかっさらっている。田村があの時感じた違和感は正しいものだったのだ。彼は確かにずっと演技をしていた。それは、自己保身ではなく藤澤を守るために。あの写真がどういう意味を持ったのかは結局聞けずじまいだったが、写真をみて取り乱した時と、その後病室で音楽のことを思いついたように話し出した時、おそらくあれだけが彼が田村にみせた本当の彼の姿だった。
※※※
本日は作者の都合により早めの更新とさせていただきました。
最終話いかがでしたでしょうか?
お気軽に感想などいただけたら嬉しいです!
コメント
13件
1日遅れですが…すっっごい感動しました( ߹꒳߹ )いつもコソコソと読ませて頂いているのですがいつも素敵な小説ありがとうございます(◍´꒳`◍) 今回は2人がお互いに想いあって、憎みあって出来たのかなー?と思っています…最終話の本当に最後の方にランダム再生でメイプルが流れてきてさらに大号泣してしまいました… 更新ありがとうございました🙏お疲れ様でした✨
えぇ!もう天才すぎるって!! 最初のもやがかかったような謎が多くて引き込まれていく感じからこのだんだんとすべてがつながって、そこにあらゆるリアルな感情と動作が織り込まれてて、、、 あらためていろはさんの作品って唯一無二で、大好きだなって感じた、、! 素敵な作品をありがとうー! これからも楽しみにしてるね✨
もう何でこんな神作品を書けるのか分からない、いつのまにか見入ってしまってたそれぐらい書き方や表現の仕方が神…もう1人1人の性格や考え方がリアルなんよ!明るい話!って感じではないのにめっちゃ楽しめました何かもう生まれてきてくれてありがとう