ゆっくりと、意識が浮かび上がる。
――あたたかい。
柔らかな寝台。
微かに香る薬草の匂い。
「……」
セラフィナは、ゆっくりと目を開けた。
天井。
見慣れた、魔界城の自室。
「……あ」
体を起こそうとして、視界が揺れる。
「無理をなさってはいけません」
すぐ近くで、声がした。
視線を向けると。
そこには、たくさんの顔があった。
魔王。
ノエル。
アルト。
リリア。
そして――
「……クロウ」
包帯を巻いたクロウ・フェルゼンが、寝台の傍に膝をついていた。
その姿を見た瞬間。
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「……姫君」
クロウは、セラフィナの目が開いたのを確認すると、
すぐに深く頭を下げた。
「この度は」
「私の不覚により」
「姫君を、完全にはお守りできませんでした」
「誠に……申し訳ございません」
包帯の隙間から、まだ痛々しい傷が覗く。
震える指先。
わずかに強張った表情。
「……」
セラフィナの喉が、ひくりと鳴った。
「……ちがう」
小さく、声が漏れる。
「ちがうよ、クロウ」
だが、クロウは顔を上げない。
「いえ」
「結果として、姫君を危険に晒しました」
「騎士として、許されぬ失態です」
その言葉。
その姿。
――怪我をしているのに。
――それでも、自分を責めている。
「……やめて」
セラフィナの声が、少し震えた。
「……それ、全部」
「私のせいじゃん」
一斉に、空気が張り詰める。
魔王が、口を開こうとする。
「セラフィナ――」
「ちがう!」
セラフィナは、叫ぶように言った。
「私が……!」
「私が、魔力を持ってるから」
「私が、あそこにいたから」
「クロウが……!」
視線が、包帯に向く。
「……こんなことに、なったんでしょ」
ぎゅっと、シーツを握りしめる。
「……私」
声が、かすれる。
「私が魔法、使わなければ」
「私が強くなければ」
「こんなこと、起きなかった」
「……姫君」
クロウが、ようやく顔を上げる。
その目は、真剣で。
どこまでも、まっすぐで。
「それは、違います」
「違わない!」
セラフィナの感情が、溢れ出す。
「だって、私の魔力に魔獣が寄ってきたんでしょ!」
「私がいるだけで、危ないなら」
「私が外に出なければ……!」
息が、乱れる。
「……もう」
「魔法、使うの、怖い」
ぽつりと、落ちた本音。
部屋が、静まり返る。
「……外に出るのも」
「誰かと一緒にいるのも」
「……また、誰かが怪我するかもしれない」
目に、熱いものが滲む。
「……私」
「怖いよ……」
クロウは、一瞬だけ目を伏せた。
そして、ゆっくりと。
痛むはずの体で、姿勢を正す。
「……姫君」
声は、いつも通り敬語。
だが、どこか震えている。
「姫君が怖がる必要は、ありません」
「私が怪我をしたのは」
「姫君を守ると、決めているからです」
「それを後悔したことは」
「一度も、ございません」
セラフィナは、唇を噛む。
「……でも」
「それでもです」
クロウは、はっきりと言った。
「たとえ、何度怪我をしても」
「私は、姫君の前に立ちます」
「それが」
「私の誇りであり、忠誠であり」
「――愛ですから」
その言葉に。
セラフィナの胸が、大きく波打った。
「……クロウ」
声が、震える。
魔王は、静かに一歩前に出た。
「……セラフィナ」
低く、しかし優しい声。
「お前の力は、恐れるものではない」
「だが」
「今は、傷ついた」
「心も、体も」
セラフィナは、俯いたまま呟く。
「……私」
「しばらく」
「外、出たくない」
「魔法も……」
「使いたくない」
誰も、否定しなかった。
魔王は、ただ静かに頷く。
「……いい」
「今は、それでいい」
「逃げることは、負けではない」
「立ち止まることも、罪ではない」
セラフィナは、ぎゅっと目を閉じた。
(……怖い)
(……私が、私でいるのが)
その夜。
魔界に静かな余波が広がる中。
魔界の姫は。
初めて――
自分の力を、
そして自分自身を、
心から、怖いと思っていた。
そしてそれは。
これから始まる、
さらに大きな物語の、
静かな、始まりだった。






