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──雨の朝だった。
教室の隅、いつもと同じ場所に、遥は座っていた。濡れた鞄。乾かない制服の裾。誰も何も言わない。いつものように、何も起きていない顔で教室は動いていた。
始業前。蓮司が入ってくる。
笑いながら靴を脱ぎ、教室に響く足音で一直線に遥の方へ。
しゃがみ込む。無言のまま、遥の足元に手を伸ばす。
「結べてねえじゃん」
からかうでもなく、優しくもなく、ただ当然のように。蓮司は遥のほどけた靴ひもを握る。湿った白い紐を、泥のついた床に押しつけながら結ぶ。ぎゅっと、子どもに結ぶみたいに。
遥は反応しない。ただ、視線だけがずっと動かず、前を見ていた。
「おまえの手、濡れてんのにな」
蓮司は呟く。
「……自分で触りたくないんだろ?」
言葉が胸を抉る。でも、遥の表情は変わらない。
蓮司の手の甲に、遥の水滴がひとつ落ちる。
それを見て、蓮司は笑った。
「俺は別にいいよ、汚れてんの、好きだから」
それから立ち上がり、靴ひもの結ばれた靴先を、軽くつま先で叩いた。
「今日もお利口にしてろよ。な?」
授業のチャイムが鳴る。蓮司は、自分の席へ戻っていった。
遥は、結ばれた足を、動かさずにいた。ずっと。
──教室の空気は、誰にも気づかれず、確かにひとつ歪んだ。