テラーノベル
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あたたかみを感じる夕暮れの光が街を包み込み、ビルの影が長く伸びていく。落ち葉をさらう風がひんやりと頬を撫でても、隣を歩く氷室のぬくもりが不思議と心を落ち着かせた。そのおかげで、いつもの学校帰りよりも帰り道はずっと静かに感じる。
「蓮、今日は誘ってくれてありがとう。すごく楽しかった」
言葉にすると、胸の奥がなんとも言えずほっこりする。それを受けた氷室は、ふわりとほほ笑みながら応えた。
「奏が笑ってくれたのが、俺には一番嬉しかったよ」
その言葉の優しさが、じわっと身に沁みる。しばらく沈黙が続いたあと、俺は少しだけ勇気を出して口を開いた。
「蓮……次の約束は、俺から誘ってもいい? 楽しみにしててよ」
氷室は静かに頷いてから、最初は躊躇う感じを見せていたけれど、そこから意を決して俺の手に触れた。利き手を包むその手のひらは少しひんやりしていて――まるで氷室自身から、俺にぬくもりを分けてもらっているみたいだった。
「奏、俺を誘うときは予定をちゃんと確認してから、場所を決めろよ?」
大事なときにドジをする俺を慮ったセリフに、ちょっとだけ笑ってみせた。
「そ、そうだな。氷室って……いや、蓮って、生徒会もあるし塾も掛け持ちしてるし、めっちゃ忙しいもんな」
思わず“氷室”と呼びかけて、慌てて“蓮”に言い直す。まだ名前呼びには慣れないけれど、それがちょっとくすぐったくて、やけに嬉しくて。
そのことを妙に意識してニヤけてしまった俺に、氷室はつないだ手をぎゅっと握りしめながら告げる。
「それでも……奏とデートができる日くらい、なんとか時間は作るつもりだ」
「あっ……で、デートって……!」
(言われてみれば今日って、まさに“デート”だよな……!)
「はわわわっ!」
「なにを今さら、そんなに慌てふためいているんだ」
「やっ、なんかそういう実感が全然なくて。ただ蓮とこうしてるだけで、嬉しくて堪らなかったし」
思わず変な声が出た俺の挙動に、氷室は肩を竦めて笑いながら、俺の手をさらに強く握ってくれた。
「奏って、ほんと無意識で爆弾を投げてくるよな」
「なに言ってるんだよ。俺は投げてないし!」
「……だから“無意識”って言ったんだ。照れるだろ、まったく……」
どこか恥ずかしそうに顔を逸らす氷室の頬が、少し赤くなっていた。
「ふふっ、蓮ってば、かわいいな」
「かわいいのは奏だけで充分だって……もういい加減にしろよ」
お互いに照れ隠しのような言葉を投げ合って、それでも歩幅はぴったり合った。
「じゃあさ、蓮。次のデート、ちゃんと予定を聞いてから決めるね」
「ああ、頼む。……でもさ、テストが近いんだよな?」
「うわ、今それ言うなよぉ……」
思わずぼやくと、蓮はなにか思いついたように口元を緩める。
「じゃあ、次のデートコースは図書館の自習室ってことで、どうだ?」
「え~っ! それデートっていうの? ちょっと味気ない気がするんだけど」
「でも、ふたりきりで過ごせる場所だし。……俺は、悪くないと思う」
そう言って笑う氷室の笑顔につられて、俺も笑ってしまった。
それは、きっと——言葉にしなくても伝わる“ふたりだけの約束”。色づく夕空の下で、俺たちの恋は静かに、でも確かに前へと進む。
それでも駅の改札が近づくにつれて、胸の奥に小さな寂しさが灯った。もっと彼と一緒にいたい、この時間が終わらなければいいのに……そんな想いが、秋風の冷たさと一緒に切なく心に残ったのだった。
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