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#夢
凪川 彩絵
「……具体的に聞かせてちょうだい」
「指輪は、すでに用意しています。――婚姻届も記入済みです」
はっきりと言い切った。
「婚姻届……?」
「はい」
「……でも」
「証人欄のことでしたらご心配なく。十八歳以上の知人は、なにもあなたたちだけではありません。頼めば書いてくれる人間はいくらでもいます」
「まだ……出してはいない、のね?」
「ええ、瑠璃香のご両親への挨拶を済ませていませんので」
それを済ませたら誰が何と言おうと止まるつもりはない。
そんな強い意志を込めて、晴永は清香を真正面から見据えた。
「――先方からOKがもらえたら……あなたや社長が何と言おうと、俺は瑠璃香との結婚へ向けて前進します」
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
清香は何も言わない。
ただ、じっと晴永を見ている。
「……許嫁の件はどうするつもり?」
「関係ありません」
即答だった。
「俺が選ぶ相手は、あいつだけです」
祖父や目の前の母親が何と言おうと――。
家柄や利害で伴侶を選ぶ気はない。
「おじいさまがあなたの彼女に何も言わないとでも?」
清香は、まるで晴永がそれを内緒にしたまま瑠璃香を絡め取るとでも言いたげな口ぶりをする。
自分が母親からそんな人間だと思われていたことがなんだか無性に腹立たしかった。
晴永は大きく吐息を落とすと、じっと清香を見据える。
「――最初から隠すつもりはありませんが?」
清香の視線がわずかに動く。
「家のことも、許嫁のことも、全部、彼女に話します」
はっきりと言い切る。
「その上で、あいつが俺を選んでくれるなら――」
わずかに間。
「それが、俺の答えです」
逃げる気なんてない。晴永は瑠璃香に拒絶されることも全て覚悟のうえで、彼女を選ぶと言っているのだ。
「だから」
静かに続ける。
「それを弱みに俺たちを揺らすつもりでしたら無駄です」
視線を逸らさない。
「俺が背負っているものを瑠璃香に全部受け入れてもらえてから……俺は――いや、俺たちは……前に進みますので」
沈黙。
清香は、しばらく何も言わなかった。
ただ、晴永を見ている。
測るように。
見極めるように。
やがて――。
「……そう」
小さく息を吐いた。
「分かったわ」
それだけだった。
肯定でも、否定でもない。
「もういいわ。――仕事に戻りなさい、新沼課長」
まるで興味を失ったかのような口調。
晴永の眉がわずかに寄る。
「それだけですか?」
「ええ」
視線はすでに書類へ落ちている。
「業務時間中でしょう? 今朝の報道のことで、あなたの部下たちも混乱しているんじゃなくて?」
それ以上、話すつもりはないらしい。
自分たちが蒔いた種だろうに、その回収は晴永にしろ、と言いたいようだ。
(試されてるのか?)
晴永は数秒だけ立ち尽くし、やがて小さく息を吐いた。
「……失礼します」
踵を返す。
そのまま扉へ向かい、部屋を出た。
重厚な扉が閉まる。
その音が、静かに室内へ落ちた。
***
足音が遠ざかり、やがて完全に消える。秘書の山根には、呼ぶまで部屋前で待機するように言ってある。
もし晴永以外の訪問者があっても、山根ならうまく対処してくれるだろう。
再び訪れた静寂の中で、清香はしばらく動かなかった。
机の上に置いたままの指先が、わずかに力を失う。
「……本気、なのね」
ぽつりと零す。
視線を落としたまま、小さく息を吐いた。
あの目。
逃げる気のない目だった。
――あの頃の自分たちに、よく似ている。
ふ、とわずかに目を細める。
「……なら……仕方ないわね」
つぶやきは、誰に届くこともない。
清香はゆっくりと手を伸ばし、机上の電話機ではなく、その横へ並び置かれた携帯電話を手に取った。
操作する指に、迷いはなかった。
呼び出し音が、静かに響く。
数回。
やがて、相手が出る。
「――もしもし、晴留 ?」
わずかに間を置いて。
「久しぶりね」
その眼差しは、いつもよりどこか柔らかかった――。
コメント
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はれる? パパかな?