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※※


私はリビングを出ると、逃げ込むように浴室へと向かった。

鏡に映った自分の顔は明らかに赤く、酒のせいか、それとも羞恥のせいか、自分でもよくわからなかった。

「……どうしてこうなるのかな」

仕事中の自分は冷静だと思っていたのに、プライベートになると、どうも抜けている。

そう思うと、自然とため息が漏れる。

頭を振って気持ちを切り替えると、シャワーを浴びる。

――自分の家に男の人を泊めるなんて。

言葉にしてしまってから、どうしてあんなことを言ったのかと悔やんだ。

初めて家に来てもらうときも、仕事のことしか考えていなかったはずだった。

でも――誠のあの時の少し戸惑った顔が頭をよぎる。

きっと、あまりにあっさりと家に呼んだことに驚いていたんだ。

私はようやくそのことに思い当たり、そして「泊まっていって」と言った自分をひたすら後悔する。

夕食に招待することすら迷っていたのに。

シャワーを終え、髪を乾かしながら、誠が今どんな気持ちでいるのかを考える。

仕事のときはノーメイクでも平気なのに、こうして風呂上がりを見られるとなると……それとはまったく違う緊張感がある。

――何を着よう。

結局、選んだのは黒のシンプルな上下のパジャマ。

洒落た部屋着なんて持っていない。

いつまでも迷っていられないと、気持ちを押し込めてリビングへと戻る。

誠にこの気持ちを悟られてはいけない。

そっと扉を開けると、誠はソファに座ってビールを飲んでいた。

静かな空気。

『おやすみ』――そう言ってしまえば、それで済むのに。

なのに、私は思わず口にしていた。

「ビール、まだある?」

「おっ、出た……」

振り返った誠の言葉が途中で止まり、私は胸がドキンと跳ねるのを感じた。

――やっぱり、変……?

そんな不安がよぎるが、口にはできず、私は冷蔵庫の扉に手をかけた。

「私も、もう少し飲もうかな」

やけっぱちのような明るい声でそう言いながら、内心では泣きたいくらいに恥ずかしさでいっぱいだった。

きっと誠は、呆れてる。

そう思っていたのに――

「ああ、俺もビールいい?」

「うん」

なんでもないふうに応えてくれる誠に、私はそっと安堵する。

少し距離を取って座ると、チラリと彼の表情を伺った。

「ありがとう」

ビールを受け取って微笑んだ誠の顔に、呆れた様子は一切なかった。

その優しさに、少しだけ肩の力が抜ける。

柔らかな笑顔と、ふとした仕草に見え隠れするドキッとするような色気。

そんな一つ一つに、私は確実に翻弄されていた。

女癖がいいとは言えない人だと、そう思っていたはずなのに。

「莉乃? どうした?」

じっと見つめてしまっていたことに気づき、私は慌てて首を振った。

「ごめんね。思いつきでいろいろ誘っちゃって……」

素直にそう謝ると、誠は私の頬を指でムニッとつまんだ。

「俺はいいよ。でも、誰にでもそんなふうに誘うのはやめとけ。危ない男もいる」

「誰にでもなんて、そんなことするわけないでしょ」

そう返した直後、お互いの言葉の意味がじわじわと胸に浸透していく。

なんとも言えない沈黙。

恥ずかしさに耐えきれず、私はあわてて言葉を探して口を開いた――。


「優しい上司だもんね」

「……そうだよ」

誠は私を見ずに答えると、グラスに残ったビールを飲み干した。

その様子を見て、私は新しい缶を手に取り、誠と自分のグラスにビールを注ぐ。

「でも、本当に誠は優しい。いつもありがとう」

自然とこぼれた言葉。

こうして、なんだかんだ私に付き合ってくれるその姿勢が、単純に嬉しかった。

笑顔を向けると、誠が私の髪をぐしゃぐしゃと撫でるように触れた。

「やめてー」

軽くじゃれ合うようになってしまい、私は慌てて誠の手を振り払った。

「まだ少し濡れてる」

ちょっとぶっきらぼうな口調に聞こえたけれど、私は自分の髪に触れる。

「そう? ちゃんと乾かしたんだけどな」

「うん、そうだよ」

乱れた髪を手櫛で整える私に、誠が柔らかい笑顔を向けてくる。

会社では見せないその優しい表情に、私は不意に胸が熱くなる。

――なんでだろう。

誠のことをもっと知りたい、そう思ってしまってる。

「何か映画でも見る?」

誠の言葉に、ハッと我に返る。

その想いを打ち消すように私は答えた。

「そういえば、ネット配信で気になってたのがあるんだけど……」

それから、二人で昔の懐かしい映画を見ながら、ゆったりとした時間を過ごした。


「莉乃、眠いんじゃないか?」

ふと、誠の声がして、私は曖昧に頷いた。

いけない、寝ちゃダメ――そう思って頭を振る。

「うん……」

そう答えつつ、重くなる瞼をどうにも保てなくなっていく。

(ベッドに行かなきゃ……)

そう思って、ソファに沈み込んだ身体をどうにか起こす。

「そろそろ寝ないとね」

「ああ、そうしようか」

誠があくびを噛み殺しながら髪をかき上げる仕草に、私は思わずドキリとする。

なんだか、無防備で、ちょっとズルい。

「明日は起こさなくて大丈夫?」

平静を装って問いかけると、誠は少し考え込むような仕草のあと、私を見た。

「俺は予定ないし、莉乃がいいなら」

探るような瞳。私は小さく首を横に振った。

「私は大丈夫だから。ゆっくり休んで」

「なあ、莉乃……」

少し気だるそうな、でもどこか真剣な声で呼ばれ、私は戸惑いながら返事をする。

「な……に?」

「俺を泊めて、怒る男いないの?」

誠がまっすぐに私の瞳を見て尋ねてくる。

「いたら、誠を泊めてないよ。……誠こそ、たくさん女の人がいるんだから、誰か怒らないの? 泊まるの慣れてるんでしょ」

そう口にした自分の言葉に、自分で驚く。

言いすぎた。完全に嫌味みたいになってしまった。

誠にどう思われたか不安になり、私は残っていたグラスのビールを一気に飲み干す。

「怒るような関係の人はいないし、俺、誰かの家に泊まることなんてないよ」

「え?」

思わず聞き返した私に、誠はハッとしたような顔を見せたあと、少し照れたように苦笑した。

「莉乃は気にしなくていい。明日車取りに来なくて済んで助かるし」

そう言って、そっと私の頭に手を置いて、ぽん、と軽く叩いた。

その手の温かさに、急にアルコールがまわるような感覚に襲われ、私はソファへとまた沈み込んでしまった。

「莉乃? 起きられる?」

「ん……」

なんとか起きなきゃ、と思うのに、身体が言うことをきかない。

誠のやさしい声が子守唄のように響く。

「まったく……無防備すぎ」

くすくすと笑うその声を最後に、私はそのまま深い眠りへと落ちていった。


眩しい光が差し込み、私はゆっくりと目を開けた。

あれ?

私、どうしたんだっけ?

ぼんやりする頭が少しずつ覚醒していくと、私はガバッと勢いよく起き上がった。

――嫌だ!

結局、誠にここに運んでもらったのだと気づき、大きくため息をついた。

あれほど飲みすぎて眠り込んではいけないと思っていたのに、あっさりと寝落ちし、誠に抱き上げられても目を覚まさなかったなんて――自分自身に驚かずにはいられなかった。

……やらかしてないといいけど。

そう思いながら、そっと部屋を出てリビングへ向かう。

まだ静まり返ったその空間に、誠の姿がないことを確認し、ひとまず安堵した。

キッチンでミネラルウォーターを一杯飲み干すと、手早く着替えとメイクを済ませて、朝食の準備に取りかかった。

昨日はかなりお酒を飲んでしまったこともあり、身体が和食を求めていた。

お粥を炊きながら出汁をとり、豆腐とねぎのお味噌汁を作る。

作り置きしてあった高野豆腐と大根の煮物も温め、あとは誠が起きてきてからにしようと決める。

そして、コーヒーメーカーに豆をセットし、スイッチを入れると、部屋中に芳醇な香りが広がっていく。

どうしてこんな、変な関係になっちゃったんだろう。

カップに注いだコーヒーを手に、私は窓際へと立ち、朝の空をぼんやりと見つめる。

初めは――顔が良くて、お金があって、女癖が悪くて。

最低な人だと思っていたのに。

だけど、一緒に過ごすうちに、誠の人柄に触れてしまった。

ただの上司ではない、ちゃんとした「人」としての誠を見てしまった。

気づけば一緒にいる時間が心地よくて、楽しくなっている自分がいる。

男なんてもうこりごりだと思っていたのに。

しかも、あんなハイスペックな人――絶対に手に負えるわけがないのに。

私はただの部下で、ただの一般人。

誠の周りには、いつだって華やかで色っぽくて、自信に満ちた女性たちがいる。

私なんか、きっとその枠にも入っていない。

大きなため息をついたそのとき、不意に背後から気配を感じた。

「どうした? そんなにため息ついて」

「っ!」

完全に自分の世界に入り込んでいた私は、突然声をかけられて驚き、手にしていたカップを落としそうになる。

「危ない」

誠がそっと私の手を包むようにして、カップを受け止めてくれる。

「おはよう」

まだスエット姿のまま、サラリと額にかかる髪。

完全に“オフモード”の誠に、私は思わずドキリとする。

「おはよう……」

なんとか挨拶を返しながら、乱れた鼓動を誤魔化そうと視線を逸らした。

「すごく綺麗な景色だな」

誠はそんな私の様子にも気づかないように、隣に並んで窓の外へと目を向ける。

都心からは少し離れているこの場所。穏やかに流れる川と、緑に囲まれた風景がそこにある。

「この景色が好きなの。……それより、よく眠れた? というか、私、昨日……」

記憶が曖昧なことが不安で、声をかければ、誠はクスリと笑った。

「大丈夫。電池切れみたいに、ぐっすり眠ってただけ」

その言葉に、羞恥で顔が熱くなるのがわかる。

……ぐっすりって。どれだけ無防備なんだ、私。

「本当に……ごめんなさい」

俯きながらそう呟くと、誠は柔らかな笑みを浮かべて私を見つめてくる。

その笑顔は反則。視線を外そうとした瞬間、誠が覗き込んできた。

「それぐらい、全然迷惑でもなんでもないよ。莉乃の寝顔、可愛かったし」

「誠っ!」

イジワルそうに笑いながら言ったその一言に、私は思わず声を上げる。

誠はさらに、私の頬を軽く撫でてから、ふっと笑った。

「顔、洗ってくるな」

そう言ってリビングを出ていく誠の背中を見送りながら、私は胸の奥がじわっと熱くなるのを感じていた。

……やっぱり、この人に触れられても、嫌じゃない。

そういえば、この前出かけたときもそうだった。

距離が近くても、手を繋がれても――嫌じゃなかった。

それどころか、誠の言葉や仕草にドキドキしてる自分がいる。

――いつから、こんなふうに思うようになったんだろう。

頭では「上司と部下」と理解しているのに、心がそれを超えて揺れている。

その現実に戸惑いながらも、私は誠がリビングに戻ってくる気配を感じ、小さく息を吐いた。

そして、ゆっくりと彼に視線を向けた。


「誠、朝食食べられそう? 私は食べようと思うけど」

まったく食に興味がない彼に、伺うように問いかけると、誠は笑顔で「食べる。ありがとう」と答えた。

その言葉に少し安心しながら、私はお味噌汁と煮物を温め、シラス入りの卵焼きを作る。

海苔や漬物を添え、焼き魚も悩んだが――昨日はけっこう飲んだし、これくらいでちょうどいいだろうと判断した。

ダイニングテーブルに料理を並べ、お茶を淹れて出すと、誠は見てすぐに笑ってくれた。

「すごいな、旅館の朝食みたいだ」

「本当? パンの日も多いんだけど、お酒を飲んだ翌日は和食が食べたくなるの」

少し照れくさくて、言い訳のように言ったけれど、誠は気にする様子もなく席に着く。

「白米とおかゆ、どっちにする?」

「俺は白米で。……っていうか、それも選べるのが驚きなんだけど」

素直な驚きに思わず笑みがこぼれる。

お茶碗によそって渡すとき、指が触れて――思わずドキッとする。

何を中学生みたいに……と自分をたしなめながら、私も向かいに座った。

「あ、この味噌汁、うまい」

「意外と家庭的でしょ? 私」

動揺を隠すように、少し強気なトーンで言ってしまった。

ふと視線を向けると、誠の瞳が一瞬揺れたように見えた。

少し間が空き、何か言わなきゃと私が言葉を探していると、先に誠が口を開く。

「莉乃、今日の予定は?」

「え? 特に……考えてないかな」

窓の外を見やりながら答えると、意外な提案が返ってきた。

「お礼って言ったらなんだけど、昼は俺にごちそうさせてくれないか?」

――まだ今日も、一緒にいられるってこと?

そう思ってしまった自分に驚きながら、私はそっと誠を見た。

本当に「お礼」だけの雰囲気で、他意はなさそう。

それに安心しつつ、私はゆっくりと頷く。

「いいの? 気にしなくていいのに」

「もちろん。こんなに世話になったんだから。せめてものお礼」

そう言って笑う誠は、卵焼きを口に運びながらどこか満足そうだった。

「じゃあ、片付けちゃうね。ゆっくりしてて」

「俺も手伝うよ」

二人並んでキッチンに立ち、洗い物をしながら交わすたわいもない会話。

ほんの数週間前までは考えられなかったような、穏やかな時間。

片づけが終わると、特にすることもなかったので、私はコーヒーを淹れることにした。

湯気の立つマグカップをぼんやりと見つめていると、不意に声がかかる。

「すごい綺麗な景色だよな。あの川沿い、桜?」

誠は窓際に立ち、外を眺めていた。

相変わらず、何気ない仕草ひとつにも色気がある人だなと思う。

カップを手に、私もそっと彼の隣へ。

コーヒーを渡しながら口を開く。

「春にはすごく綺麗に咲くの。桜。とっても好きな景色なんだ」

満開の桜が咲き誇る川沿い――あれを見て、この場所を選んだようなものだった。

「もう何度か見たの? ここにはどれくらい住んでる?」

「買ったのは、就職が決まってからだから……2年ちょっとかな」

少し考えてから答えると、誠は静かに「会社からは少し離れてるよな?」と言った。

その一言にドキッとする。

本当なら、もっと都心の便利な場所に住めばいいと思われても仕方がない。

「そうだね」

それだけを返すと、誠は特にそれ以上を問うこともなく、ただ外の景色を眺めていた。

「……都心の雑踏がないし、すごく落ち着くよな。こんなにゆっくりしたの、久しぶりだ」

その穏やかな笑顔に、私もようやく肩の力が抜けて、そっと笑みを返した。

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