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流れゆく星達を見送りながら、桔流が帰路を辿った翌日。
花厳のスマートフォンのディスプレイには、桔流の名が表示されていた。
仕事を終えた直後にスマートフォンを確認した花厳は、その表示を見るなり少しばかり動揺した。
そして、“桔流には恋人が居た”という事実に、自身がどれほどのショックを受けているのかを改めて自覚した。
(情けないな。まったく)
そんな自身に苦笑しつつ、意を決した花厳は、ディスプレイに表示された桔流の名をタップした。
すると、画面上に桔流との過去のやりとりが表示されると共に、最下段には、冒頭を見ただけでも礼節に丁寧な性格である事が分かるような――桔流からの新着メッセージも表示された。
そんな文面に桔流らしさを感じながら、花厳は新しいメッセージを読み始める。
そして、そのメッセージを一通り読み終えた花厳は、ただ黙し、喜ぶでもなく、悲しむでもなく、
(――これは……どうしたものか……)
と、しばし考え込んだ。
― Drop.006『 Ice and a litttle water〈Ⅰ〉』―
樹神から瓊本酒を頂戴した翌日の昼過ぎ。
桔流は、花厳へのメッセージを送信すると、その後は花厳からの返信を待ちつつ、バーの出勤時刻までの時間を潰した。
そんな出勤時刻までは、およそ五時間ほどあったのだが、その間。
桔流が送信したメッセージには、――花厳がメッセージを確認した事を報せる“既読”マークが表示される事はなかった。
しかし、桔流は、それに対して特に何を思うでもなかった。
何せ、桔流は主に夜が勤務時間だが、花厳は主に日中に仕事をしている身だ。
そのため、日中に私用の連絡がつかない事など、珍しくもない。
そのような事から、元々気長に返信を待つつもりであった事もあり、桔流は、一向にメッセージが確認されなくとも特に気にせず、その日はそのまま出勤した。
そして、それから数時間後。
一度目の休憩時間を迎えた桔流は、休憩所も兼ねている更衣室に入ると、スマートフォンを確認した。
すると、スマートフォンのディスプレイには、花厳の名が表示されていた。
(――あ、返事来てる)
どうやら、仕事中に返信が来ていたらしい事を確認した桔流は、適当な椅子に腰かけ、ディスプレイに表示された花厳の名をタップする。
そして、数秒程度で表示されたメッセージを確認した桔流は、
「ん?」
と言って、首を傾げた。
花厳から送られてきたメッセージには、桔流が綴った挨拶への返礼文に加え、桔流が提案した食事の誘いに関する返事が添えられていたのだが、桔流は、その内容に疑問を感じた。
(コレ。どういう意味だ?)
花厳から送られてきたメッセージの中、桔流が疑問に感じたのは、
『素敵なお誘いをありがとう
でも、俺なんかが家にお邪魔したりして大丈夫?
怒られないかい?』
という部分であった。
(まだ知り合って間もないのに、早々に家に上がるのは気が引けるって事か……?)
しかし、そうであるとすれば、――“俺なんかが”、――“怒られないかい?”という言い回しは違和感がある。
(実家だってんならまだしも、俺が一人暮らししてるのは、花厳さんも知ってるし……)
では、誰に“怒られる”というのか。
(あと考えられるような相手がいるとしたら……、隣人とか……、大家とか……? ――もしかして、壁薄い家に住んでるかもって心配してんのか……?)
もしそうであるならば、何となく合点がいく。
だが、そのような心配であれば、桔流には無用である。
何せ桔流は、本業も兼業も、給料には恵まれている。
そのため、25歳という年齢にしては、大分と良い条件の物件に住んでいるのだ。
そんな桔流は、その旨を踏まえ、手早く返事を送信した。
すると、タイミングが良かったのか、花厳からの返事はそこから数分で返ってきた。
『分かりずらくてごめんね
怒られないかっていうのは、恋人さんにって意味だったんだ』
「――恋人?」
すぐさま折り返されてきた返信に更に疑問が深まり、桔流は思わず声を出して復唱した。
そして、ハッとして耳を澄ませた。
(聞かれて……ないよな……)
とある事情から、かれこれ長い間恋愛というものを避けてきた桔流が、たったの一度でも“恋人”などと呟いたと知れれば、同僚たちがこぞって問い詰めてくるに違いない。
そのような事から、周囲に人の気配がないか耳をそばだてた桔流だが、しばらくして安堵の息を吐いた。
そして、改めてスマートフォンと向き合い、メッセージを打ち込んだ。
『そういう心配だったんですね
こちらこそ、察しが悪くてすみません
でも、そういう事なら大丈夫ですよ
俺、恋人いないんで』
花厳を安心させるため、普段より少し多めに絵文字を交えたメッセージを打ち終えると、桔流はメッセージを送信した。
そして、自身の返事がメッセージ欄に表示されたのを確認すると、
(どこまでも相手に気を遣っちゃう人なんだな)
と、苦笑した。
💎
その頃――。
(なんだ……違ったのか……)
桔流からの返信を確認した花厳は、すっかり脱力していた。
桔流と初めて二人きりで食事をした時。
会話の中で、桔流は、花厳と同じバイセクシャルである事を知った。
そして、いつからか花厳は、そんな桔流に自覚もないままに惚れていた。
それゆえに、花厳は昨晩。
桔流が酷く親しげに接していたがために、あのカラカル族の青年が桔流の恋人であると思った。
だが、それは誤解であった事が、今しがた判明した。
花厳は、それに安堵した。
そして、
(まったく、何をホッとしてるんだか……。――これは自分で思ってる以上に、重症かもな)
と、自身に呆れながらも今一度スマートフォンと向き合った花厳は、桔流からの誘いを喜んで受ける旨を伝えるべく、メッセージを綴った。
💎
数日後――。
翌日の予定が互いにフリーとなっているその日の夜。
桔流は、仕事終わりの花厳と待ち合わせ、自宅へと招いた。
家に招かれるなり、向かい合って食事をするのに程よい上品なテーブルに案内された花厳は、早々にキッチンに立った桔流を見るなり、
「せっかくの休日なのに、料理をさせるのは申し訳ないな」
と気遣ったが、桔流は嬉しそうに笑って言った。
「好きな事は、疲れないんですよ。――だから、申し訳ないなんて思わなくて大丈夫です。――招いておいて、お待たせしちゃうのは、こちらこそ申し訳ないんですけど」
そして、桔流が苦笑すると、花厳は微笑んで言った。
「とんでもない。こちらは何もしてないのに手料理を振る舞ってもらえるんだから。――それに、美味しい料理は、待っている時間も楽しいものだからね」
すると、桔流はまた嬉しそうに言った。
「ふふ。花厳さんは、いつもお上手ですね」
桔流は、生粋の料理好きであった。
そんな桔流は、それから、花厳と談笑しながら手際よく調理を進め、様々な料理やつまみを美しく盛り付けていった。
そして、最後の一品を仕上げると、
「これで最後かな?」
と、花厳が声をかけた。
「あ、はい! そうです」
それに桔流が頷くと、花厳はにこりと笑んで、キッチンのワークトップから丁寧に皿を持ち上げ、テーブルへと運んだ。
そんな花厳に、
「結局、手伝ってもらっちゃってすみません」
と、濡れた手を丁寧に拭いながら、桔流は言った。
花厳はそれに、笑顔で応じる。
「いやいや。流石に椅子に座ってるだけっていうのは、俺も心苦しいからね」
そして、最後の一品をことりとテーブルの中央に置くと、花厳は続けた。
「お疲れさまでした。――短い時間でこんなに沢山作れるなんて、本当に凄いね。頂くのが楽しみだよ。――ありがとう」
すると、花厳の向かいの椅子を引いた桔流は笑顔を返し、
「ふふ。こちらこそ。――お待たせしてしまってすみませんでした。――どうぞ、花厳さんもかけてください」
と言いつつ、花厳に着席を促した。
花厳はそれに応じ、
「ありがとう」
と、礼を言うと、桔流の向かいの椅子に腰を落ち着けた。
そうして花厳が着席したのを確認すると、桔流は言った。
「お口に合うといいんですけど」
すると、花厳は目を細めて笑み、言った。
「心配いらないよ。桔流君のお手製だから。――口に合わない方が難しいんじゃいかな」
そんな花厳の言葉に嬉しそうにした桔流は、
「ふふ。そうだといいんですけど。――あ、いきなり瓊本酒でも大丈夫ですか?」
と言い、本日の主役――樹神から賜った上質な瓊本酒を手に取り、花厳に示した。
花厳はそれに、変わらぬ笑顔で応じる。
「うん。大丈夫だよ。ありがとう」
「いえ。――それじゃあ」
そして、そう言った桔流が、きんと冷やされた純白の酒瓶から丁寧に瓊本酒を注ぐと、美しい空色の装飾が施された小ぶりなグラスが、澄み渡った清酒でとくとくと満たされてゆく。
花厳は目を細め、その贅沢なひと時を堪能した。
それから、一つ目のグラスが清酒で満たされた頃。
花厳がゆっくりと声をかけた。
「注ぐよ」
すると、桔流は、ひとつ苦笑するなり、
「ありがとうございます」
と、遠慮がちに礼を言い、花厳にそっと酒瓶を手渡した。
花厳は、それに、
「いいえ」
と言い、丁寧に酒瓶を受け取ると、桔流が寄せてくれたグラスに瓊本酒を注ぎ始める。
その間。
花厳は、目の前の美しいグラスについて、桔流に尋ねた。
「これ。凄く綺麗なグラスだね。――どこかのお土産?」
すると、桔流は嬉しそうに言った。
「ふふ。ありがとうございます。――実はこれ。ガラス工芸家の親戚が、俺の成人祝いに作ってくれたものなんです」
そんな桔流の言葉を受け、ことりと酒瓶を置いた花厳は、
「そうだったのか」
と言うと、眼前で凛と佇むグラスを改めて眺めた。
「素敵なお祝いだね。――本当に、凄く綺麗だ」
そんな花厳に、桔流はまた嬉しそうに笑った。
そして、それから花厳と桔流がそっとグラスを渡し合うと、二人は互いにグラスを持ち、
「お疲れさまです」
「お疲れさまです。――頂きます」
と労い合い、優しくグラスを合わせ、乾杯をした。
きんと冷やされ、煌めく微細な水滴を纏ったグラスに口をつけると、ひんやりと澄んだ甘味が、舌を満たしながら、心地よいふくよかな米の香りと共に心をも喜ばせた。
その贅沢な幸福感に、二人は感嘆の息を吐く。
そして、今度はそんな主役に合わせて用意された色とりどりの品々と合わせ、一口、二口とグラスに口をつけると、さらなる至福が二人の五感と心を大いに喜ばせた。
二人は、そんな幸福感を共に満喫する。
その間。
花厳は、桔流が作り上げた多彩な品々を味わっては、ひとつひとつを絶賛した。
桔流はそれに、
「大袈裟ですよ」
と、言ったが、花厳に料理を喜んでもらえた事は素直に嬉しかった。
桔流は、幼い頃から自身が作ったもので誰かを喜ばせるのが大好きだった。
また、それは大人になってからも変わらずで、――バーで働く中、自身が作った酒や料理で客たちが笑顔になってくれる事が、今の桔流の何よりもの喜びとなっていた。
その上、バーでは客の反応をダイレクトに受け取る事ができ、直接声をかけてもらえる事も多かった。
桔流がバーの仕事を本業として譲らないのも、そのような環境で働ける事に幸せを感じていたからだ。
そして、その幸せに満たされてさえいれば、例え心の底に深い傷があったとしても、笑顔でいられ続ける。
その幸せが日々を満たしているからこそ、桔流は今。
こうして、誰かと笑顔を交わし合えているのだ。
「――そうだ。桔流君」
そして、そんな桔流が、笑顔を交わし合い、食事を楽しんでいると、ふと思い出したようにして花厳は言った。
「この間は、変な事を尋いてしまってごめん」
花厳の言葉に、桔流は首を傾げる。
「変な事って?」
花厳はそれに、苦笑しながら応じる。
「ほら。食事に誘ってくれた時。――俺、“恋人に怒られないか”って、余計な事を尋いてしまったから」
「あぁ。ふふ。その事ですか。――それなら別に大丈夫ですよ。気にしないでください」
すると、申し訳なさそうにする花厳に対し、桔流は穏やかに笑った。
そして、思い出したように続けた。
「あ、それと。――今後また、うちに誘った時も安心してくださいね。――俺、この先もずっと、恋人ができる事ないんで」
「え?」
そんな桔流の言葉に、はたと眉を上げると、花厳は不思議そうにしていった。
「そうなのかい? 全然、そんな事なさそうだけど。――それだけ美人さんだと、告白される事も多いんじゃない?」
「ふふ。ありがとうございます」
対する桔流は、花厳のさり気ない褒め言葉に礼を言うと、手元にあるグラスの淵をゆるりと指で撫で、続けた。
「――確かに、告白される事はまぁまぁあるんですけどね。――ただ、なんていうか、俺……、恋愛とかって、向いてないんですよね……」
花厳は、そう言った桔流の言葉に何かしらの含みがあるように感じ、しばし話を掘り下げる事にした。
花厳は、何気なく問う。
「“向いてない”って……、――例えばそれは、恋人が居るのが面倒くさいとか、そういう感じかい?」
「――えっ。あぁ。えっと~………………、――……そういうわけじゃ、ないんですけど」
花厳の問いに、何かを考えるようにしながら、桔流は続ける。
「――付き合うの、は……、――……いい……んです。――でも……俺……、――……あ、そう! ――自分から誰かを好きになる事がなくて! ――そもそも、“好き”ってどういう感じか、いまいちピンと来ないんですよねぇ~。――うん。そんな感じです。」
桔流が目を伏せながら視線を巡らせ、何かを取り繕うようにして言葉を並べ切ると、そんな桔流を訝しむ様子もなく花厳は言った。
「なるほど……。――じゃあ、告白されて付き合ってみても、一向に相手を好きになれないまま時間だけが過ぎてしまう――みたいな感じなのかな?」
「は、はい。そうです、ね……。――多分……」
「――で、色々あって結果お別れ、か」
「そ、そうっ。――そんな感じです」
ゆっくりと話す花厳に対し、桔流は妙に駆け足気味な応答をした。
しかし、花厳はそれも気に留める事はなく、続けた。
「――まぁ、桔流君がまだ好きになっていない相手から告白されるわけだもんね。――好きになる前に好きになられて、好きにならないといけない事ばかりが続いたら、それは、分からなくもなるか……。――桔流君みたいな子は、子供の頃からモテただろうし」
「あ、あぁ。まぁ……」
そんな花厳の憶測は、大いに当たっていた。
実際のところ、桔流はこれまでの人生で、数えきれないほどの告白を受けてきた。
「――俺、小学生の時に人生で初めて告白されたんですけど、思えば、その後からずっと、誰かのカレシ、カノジョだった気がします」
そんな話の中、なんとなくげっそりとした様子で過去をチラつかせた桔流に、花厳は笑って言った。
「ははは。女の子は、おませな子も多いからなぁ。――桔流君は、小学生の頃からかっこよかったんだね」
桔流は、それにひとつ唸る。
「う~ん。どうなんでしょう。――かっこいいからっていうか、運動が得意な子がモテる法則の方が強かったかもしれません」
そして、桔流がひとつの見解を述べると、花厳は妙に納得した様子で、
「あぁ。なるほど……」
と、言った。
と云うのも、――花厳がまさにそうであったからだ。
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