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花厳は幼い頃から運動能力が高く、運動においては常にクラスで一番だった。
さらに云えば、礼儀正しく、人当たりの良さもピカイチだったため、大人達からの評判も非常に高かった。
それゆえ、“運動の得意な子がモテる法則”の後押しもあり、花厳の少年時代は常にモテ期であったのだ。
― Drop.007『 Ice and a litttle water〈Ⅱ〉』―
そんな花厳の華々しい幼少期を、直感という名の千里眼で見抜いたらしい桔流は、ズバリ言った。
「――で、そう言う花厳さんも、かなりモテたクチですよね」
「えっ……」
花厳はギクリとする。
そして、桔流の目が――以前、花厳の職業を追及していた時と同じ、あの“狩人の目”になっている事に気付くと、花厳はぎこちなく言った。
「そ、そんな事ないよ」
しかし、今の桔流に下手な誤魔化しは効かない。
「ふ。誤魔化そうとしても無駄ですよ。――滲み出てますからね」
「ハ、ハハハ」
だが、花厳も、今回ばかりは負けるわけにはいかなかった。
いかにしても、桔流の話を掘り下げたかったのだ。
そんな花厳は、
「――ま、まぁ、俺の話は置いておいて」
と、なんとかその場を宥め、スポットライトを桔流へと戻す。
「その、――桔流君はさっき、“その後からずっと、誰かのカレシ、カノジョだった”――って言ってたけど。――カレシとカノジョ。そのどちらの立場であっても、過去に付き合った人は誰も好きになる事ができなかったの?」
そんな花厳からの問いで、改めて舞台の主役に戻された桔流は、ひとつ唸る。
「う~ん。そうですね……」
実のところ、桔流が同性と付き合うようになったのは、大学生になってからの事だった。
「高校生の頃までは、女の子としか付き合った事なかったんですけど」
高校時代の桔流にとって、友人や家族と過ごす時間も、非常にかけがえのないものであった。
それゆえ、恋人との時間を最優先にする事ができなかった桔流少年は、当時の恋人たちを喜ばせる様な恋愛ができなかったのだ。
そのような事もあり、中学から高校を卒業するまでの6年間は、告白を受けては付き合い、冷たいと言われてはフラれ、フラれるとすぐに別の女子から告白され、また付き合い――という、忙しない日々を過ごす羽目になった。
「なるほど。――そんな感じが何年もとなると、少なくとも女性との恋愛には、良いイメージはもてなくなりそうだね……」
「はい……。――だから、じゃあ男同士ならどうかなって思うようになって」
そんな桔流は、そのような考えもあり、大学で初めて同性から告白を受けた事をきっかけに、――“自身がカレシ側として過ごす”、同性との恋愛を経験した。
また、その頃から、女性との恋愛を避けるようになった事もあり、それ以降の桔流は、同性寄りの恋愛をするようになったのだった。
そして、それからしばらくの月日が経ったある日。
ついに、桔流を“カノジョ”として付き合いたい、という相手が現れた。
だが、それが初めての“カノジョ側”であるにも関わらず、既に恋愛哲学に迷走し始めていた当時の桔流は、それも、――まぁいいか、程度の軽い気持ちで受け入れたのだった。
結果――。
その流れで――少年時代に卒業した童貞に続き、処女をも卒業する事となったのである。
「――と、まぁ、そんな感じで、学生時代だけでも色々な恋愛はしてはきたんですけど……」
「――それでも、誰にも本気にはなれなかった……?」
「――……、――……はい」
花厳の問いに、少しばかり間をあけ、桔流は頷いた。
そして、
「――だから、きっと向いてないんです。――恋愛」
と言うと、桔流は苦笑して続ける。
「そうやって、男同士なら、――と思って、大学でも何人かと付き合ったんですけど。――結果は、花厳さんの言う通り。――誰に対しても、恋愛感情的な“好き”って気持ちをもてなくて。――なので、それから何人かと付き合った後からはずっと、告白されても一切受け取らないようにしてきたんです」
「なるほど……」
そんな桔流の言葉を丁寧に受け止め、幾度か緩く頷くと、花厳は続けた。
「――それで、そうして恋愛とは縁を切って過ごしてきた桔流君だけど、――そんな君は、誰かを好きになってみたい、という気持ちはあったりするの?」
花厳の問いに、桔流は、また思考を巡らせながら言葉を紡ぐ。
「う~ん……どうでしょうねぇ……。――それに関しても、俺の中にはっきりとした答えが無いんですけど。でも……、――誰かを好きになって、その後の一生をずっと一緒に過ごせるような誰かと出会えるっていうのは、素敵だなって思います」
その桔流の言葉に、花厳は更に問いを重ねる。
「――それは、自分が“カレシ側”として恋愛ができる相手と、っていう事――?」
桔流は、それに首を振る。
「いえ、どちらでも。――男でも女でも、どちらが相手でもいいですし、カレシ側かカノジョ側かっていうのも、どっちでも構いません。――俺は、好きになれた人と幸せになれるなら、それだけで十分なので」
そんな桔流の言葉を丁重に受け取ると、花厳はやんわりと目を伏せ、
「そうか……」
と言いながら、幾度か緩く頷いた。
そして、密かに思う。
(諦める必要は――まだ、無いのかもしれないな)
そんな花厳は、桔流の紡いだ言葉達を丁寧に反芻した。
(桔流君は、恐らく、自分の恋人のために用意された、たった一つの椅子に、“好きにならなければならない誰か”が常に座っていたから、自然と誰かに恋をしたり、誰かを好きになるきっかけを持てなかったんだ)
今でこそ告白を断れるようになったのだろうが、特に少年期の桔流は、向けられた好意をとりあえず受け取ってしまうタイプだったはずだ。
(しかも、桔流君は真面目な子だから、好きになってくれた相手を、相手と同じくらい好きになるための努力を、相手が変わる度にしてきたはずだ)
そんな事に尽力する桔流に、他の誰かを見る余裕などなかっただろう。
(だから、桔流君は、恋愛に向いてないんじゃなく、単純に、――自然と誰かに恋をしたり、自然と誰かを好きになる機会を得られなかったから、相手に本気になる事もできなかったし、上手くいかない恋愛も続いてしまった……)
もし、そうであるならば――。
(桔流君は絶対に、誰かを好きになれない子じゃない。――なら、それならせめて、――桔流君に、自分から誰かを好きになる経験だけでもさせてあげたい……)
しばしの静寂の中。
そうして一通りの考えを巡らせた花厳は、ひとつ意を決すると、桔流の名を呼んだ。
「――あのさ、桔流君」
「はい?」
沈黙の中、不意に名を呼ばれた桔流は、首を傾げ、きょとんとした表情で花厳に応じた。
花厳は、そんな桔流を見つめて思う。
(たとえ、一生寄り添える恋人になれなかったとしても、せめて俺が、桔流君の思い込みを変えるきっかけだけでも作れたら……)
そして、そんな思いを胸に、花厳は、不思議そうに見返してくる桔流を改めて見据え、言った。
「――もし、君さえ良ければ、なんだけど、――俺と、そういう関係になってみるのはどう?」
「………………え?」
桔流は、その予想外の提案に、しばし目を見開いた。
しかし、言葉の意を解すと、すっと目を逸らしては目を伏せ、ゆっくりと言った。
「――……やめておいた方が、いいと思います」
そんな桔流に、
「俺じゃ、見合わない?」
と、花厳が言うと、桔流は慌てて首を振る。
「――まさか! ――花厳さんは素敵な人だと思います。――それこそ、俺には勿体ないくらいに」
そして、そんな咄嗟の言葉を紡いだ桔流だったが、すべて紡ぎ終えたところで、一度上げた顔も目も再び伏せると、今度は耳も下げてしまった。
しかし、そんな桔流を前にしても、花厳は引かなかった。
「それは俺もだよ。桔流君」
花厳は、優しい声色で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「――桔流君みたいな素敵な子は、俺なんかには勿体ないと思う。――でも、どうやらそんな君も、俺を素敵だと思ってくれてるみたいだ。――建前で言ったんじゃないなら、君は俺の事を“勿体ない”とまで言って、高く評価してくれてる。――なのに、それでも、“やめておいた方がいい”って言うのは、どうしてかな」
「それは……」
花厳の問いに、桔流は戸惑う。
「――うん」
花厳は、そんな桔流に穏やかに頷き、優しく見守った。
そんな花厳に見守られ、しばしの沈黙を挟んだ桔流は、しばらくして、おずおずと言葉を紡いだ。
「――……俺はきっと、あなたを好きにはなれないから」
花厳は、そんな桔流に優しく問い返す。
「どうして、そう思うんだい」
桔流はそれに、ぎこちなく紡ぐ。
「俺は、これまで……、どんなに努力をしても、好きだと言ってくれた人を、“恋愛的に”好きになる事ができなかった……。――だからきっと、今回もそうだと思うんです。――たとえ、“人間的に”は好きになれても、“恋愛的に”好きになる事は、たとえ花厳さんであっても、きっとできないと思うんです……。――それに」
桔流はひとつ区切ると、更に俯く。
そして、苦しげな表情を浮かべると、弱弱しく続けた。
「――せっかく、――せっかくこうしてお食事したり、お話ししたりできるようになったのに……。――一度でも恋人になってしまったら、もう二度と、友人には戻れなくなっちゃうじゃないですか……」
「――………………」
花厳は、その桔流の言葉に、黙したまま、しばし目を細める。
そんな花厳に見詰められながら、桔流は更に続ける。
「俺は、これからも、花厳さんと色々なお話がししたいです。――だから……ここで花厳さんとお付き合いしてしまって、最後まで恋愛感情をもてなかった結果、花厳さんと二度とお話しできないような、花厳さんの元恋人――なんて事になるのは……、――俺は……嫌です……」
「………………なるほど」
そして、桔流が思いの丈を紡ぎ終え、花厳がそれに幾分かの間を置いて頷くと、桔流は頭を下げた。
「……すみません」
そんな桔流の耳や尾はすっかり垂れ、桔流本人と同じように元気をなくしてしまった。
しかし、そうして黙した桔流に、花厳はひとつ微笑み、先ほどと変わらぬ優しい声色で言った。
「――桔流君。今の話は、俺が勝手に言い出した事なんだから、君は謝らなくていいんだよ。――俺の方こそ、突然こんな事を言い出してごめんね」
「あっ、い、いえ、あの、俺の方こそ――」
その謝罪を受け、ハッとして顔を上げた桔流は、咄嗟の言葉を紡ごうとした。
しかし、そんな桔流の言葉を、
「――でも、申し訳ない。」
と言い、やんわりと制すと、花厳は続ける。
「――俺って結構、諦めが悪くてね……」
「?」
すると、そんな花厳の言葉を不思議に思った桔流は、未だ不安そうな表情を浮かべながらも、花厳の言葉を待った。
その様子を一目すると、花厳は今一度詫び、続ける。
「ごめんね。――実は俺。もう、君に何を言われても諦められないくらい、君の事を好きになってしまったみたいなんだ。――だから今の俺は、君をただの友人として見る事はできない」
「え、で、でも――」
「――だから、桔流君」
さらりと告白され、桔流は動揺した。
しかし、花厳は、そんな桔流をもやんわりと人差し指を立て制すると、今度はにこりと笑んで言った。
「――こういうのはどうだろう?」
そんな花厳に困惑しながらも、桔流はとにかく黙し、花厳の声に集中した。
そうして、一心に花厳の言葉に耳を澄ませる桔流の双眸を、その金色の瞳で捉えながら、花厳は続けた。
「俺はこれから、君に“好き”になってもってもらうための努力を始める。――だから、その過程で、もし君が、俺に恋愛感情をもてて、俺の事を本気で“好き”になれたら、その時は、――正式に、俺の恋人になって欲しい。――どうかな」
「………………」
桔流は、そんな花厳の提案を受け、言葉に窮した。
しかし、その様子を見ても、花厳はにこやかに続けた。
「――とはいえ、今はまだ、付き合う事まで考えなくていいよ。――今は、俺が一方的に桔流君に惚れてるだけで、桔流君は俺の事を好きなわけじゃないからね。――だから、さっきの告白に対する返事も、もちろんしなくて大丈夫」
「――は、はぁ……でも……」
そんな花厳に困惑しながらも、桔流はなんとか言葉を紡ぎ、不安げに問う。
「もし、努力してもらっても、好きになれなかったら……?」
その問いに、花厳は優しく微笑む。
そして、ゆっくりと言った。
「その時は、――友人として過ごそう」
桔流はそれに、弾かれたように紡ぐ。
「で、でも。それじゃあ、花厳さんの気持ちが……」
「大丈夫」
そんな桔流に、花厳は変わらず穏やかに言った。
「?」
桔流はそれに、不安げに首を傾げる。
花厳は言う。
「もちろん、俺は、その時も君の事が好きなままだろうね。――でも、君が俺の事を好きになれなくて、恋人同士になれなかったとしても、君は、それ以降も変わらず、友人として、今と同じように、俺と食事をしてくれるんでしょう?」
「え?」
「違う?」
「い、いえ……」
花厳が優しく問うと、桔流は首を振る。
「違わないです……」
すると、花厳はひとつ笑み、
「うん。――それなら、俺は辛くないよ」
と、穏やかに言った。
そして、そのまま桔流を真っ直ぐに見つめると、ゆっくりと続けた。
「――俺はね、桔流君が誰も好きになれない――なんて事はないと思うんだ。君はきっと、自然を誰かを好きになる機会を逃し続けてここまできたから、そう思うようになってしまっただけだと、俺は思う。――だから俺は、それが君の思い込みだって事を証明したい。君は、ちゃんと恋ができる子なんだって事を、証明したいんだ。――そのためにも、君に俺を好きになってもらうための時間がほしい」
その花厳の真摯な思いを受け、桔流はひとつ小さく息を吐いた。
そんな桔流に、花厳はさらに紡ぐ。
「――そして、もし駄目だったら。その時はそのまま、ずっと友達で居よう。――だから、桔流君。――どうか俺に、少しだけ、――時間をくれないかな」
そして、そう紡ぎ切った花厳は、次いで、桔流を真っ直ぐに見た。
すると、桔流は少し戸惑うようにしたが、今一度息を吐くと、花厳を見つめ返し、言った。
「――……分かりました」
花厳は、それに目を細めて笑う。
「本当に?」
そんな花厳に、桔流は、こくりこくりと頷く。
すると、花厳は笑い、酷く嬉しそうに言った。
「ありがとう。桔流君。――凄く嬉しいよ。頑張るね」
桔流は、そんな花厳の様子から、花厳が本気で自分の事を想ってくれているのだと感じた。
それゆえ、桔流は、そんな花厳を好きになるために、自身もできる限りの努力をしようと思った。
しかし――。
「――あぁ、そうだ。桔流君。――これは、念のためなんだけど」
そんな桔流の決心は、花厳によって即座に解かれる事となった。
「は、はい。――なんでしょう?」
首を傾げた桔流に、花厳はにこやかに言った。
「桔流君は、――“俺を好きになろうとしなくていいからね”」
「………………え?」
そんな花厳の言葉を受け、心底理解ができないといった表情で、桔流は問うた。
「え? え? な、なんでですか? ――好きになろうとしないと、好きになれないですよ?」
対する花厳は、その桔流の困惑を楽しむかのようにして笑うと、言った。
「うん。――桔流君は、そこから変えていこう」
桔流はそれに、大いに首を傾げる。
「“そこから”?」
「そう」
花厳は、ゆっくりと頷く。
「――努力をして相手に好きになってもらうのは恋だけど、努力をして相手を“好きになろうとする”のは恋じゃないんだ。桔流君。――云うなれば、後者は“愛する事”に近いだろうね。――あるいは、克服や受容、または許容かな」
「そ、そうなんですか?」
――どうして好きになってくれないの。
その言葉は、これまで、桔流が幾度となくぶつけられてきた言葉だ。
そして、それは、花厳がこれまで幾度となくぶつけられてきた言葉でもあった。
少しでも情を抱いてしまう者は、その言葉を押し付けられながら、情をかけている相手に悲しむ姿を見せつけられ続けると、これ以上悲しませないために、その相手を“好きにならなくてはいけない”――と感じるようになる。
だからこそ、そのような恋愛ばかりを経験してきた桔流は、――好きになり、恋をするためには、“好きになるための努力が必要だ”と思うようになってしまったのだ。
(――だから、まず、桔流君には、その考えを捨ててもらわないといけない。――そうしないと、桔流君はこの先もずっと、相手を“好きになる努力をするだけ”の恋愛しかできなくなってしまう)
なんとしてでも、“恋愛は努力をして相手を好きになるもの”という思い込みから、桔流を解放しなくては――。
「――でも、花厳さん。――じゃあ、俺は、どうやって花厳さんを好きになればいいんですか?」
桔流は、不安げに言う。
そんな桔流を愛しげに見やり苦笑すると、花厳は言った。
「何もしないでいいよ。――“愛”は、自然と芽生えるほかに、意識して育んだりもするけれど、“恋”は違う。――恋はね、多くの場合、無意識に、自然と芽生えてしまうものなんだ。――意識して芽生えさせるものじゃない。――だから、桔流君は、ただ自分の気持ちに正直に過ごしてくれていればいい。意識して好きになろうとか、良いところを見つけようとかも、しなくていいからね」
「ほ、本当にそれでいいんですか……? ――本当に、俺は、何もしなくていいんですか?」
未知の事ゆえか、桔流は縋るような表情で確認する。
そんな桔流に、花厳は微笑みながら頷く。
「うん。――一応、ヒントを伝えておくと、もし桔流君が俺の事を好きになるとしたら、知らないうちに好きになって、気付かないうちに恋をしてくれてると思うよ。――だから、その気持ちに気付いたら、教えてね」
桔流は、その花厳の言葉に悩むようにするも、
「わ、分かりました。とりあえず……やってみます……」
と、緊張気味に言った。
「ははは。うん」
花厳は、そんな努力家すぎる桔流に頷くなり、
(“やってみます”――か。――“そういう努力”を捨てるのにも、時間が要りそうだな)
と、ひとつ思いながら、愛おしげに苦笑した。
かくして、桔流が花厳からの提案を呑んだその日から、桔流の“努力される日々”が、幕を開ける事となった――。
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