「えっ…どうして泣いてるの…」
小声で尋ねても反応があるわけもない。
エメラルドが溶けだすような潤んだ瞳。
でも、表情はない。
ただ静かに頬に涙がつたうだけ。
「というわけで、クリッシュ。ここの流れは説明できるかな?」
私は、先生に指名されていた。
「えっ、あーやってみましょうか?」
さっきまでちゃんと話を聞いていたから、多分出来るはずだった。
「いや、いい。ただ、ちゃんと話は聞くように」
先生は私の反応に驚いたのか、それ以上は何も言ってこなかった。
「はい…すみません」
私は改まって正面に向き直る。
再び先生の授業の声が耳に響いてくる。
先生に対して色々言いたいことはあった。
でも、それ以上に彼の頬を濡らす横顔で頭がいっぱいになっていた。
鐘がなる頃、授業は早めに終わっていたようで教室内には私たちだけが残っていた。
私が横を向いた時、彼はもう涙を流していなかった。
心做しかさっきよりも岩みたいに固い無になっている。
「貴方の心がどうなってるのか知りたいよ…」
彼は依然として、何も変わらない。
呼吸をしているのかも怪しいくらい。
手足はだらんと垂れたまま。首が辛うじて自立しているくらい。
「そんな何もかも捨てたみたいな目をしても、何にもならないよ?」
私の小言はいつも独り言にされる。
ミリーと同じ。
私は、一人で話したくて話しているわけじゃないのに。
魂の抜けた人形を、再び連れていく。
「次は、一階の体育館に行くよー」
彼を押しながら教室を出ると、次の授業の先生が通りがかった。
「おー、クリッシュじゃないか」
「先生、この間はどうもお世話になりました」
先生は、私がペアが作れなくて困っている時に相手役をしてくれた人だ。
「なーに、当たり前だろ先生なんだから。ってそれより…」
先生は、彼を見ていた。
「あー、君か。クインテッド君。噂の転校生だね」
私は先生の口から、名前を知る。
「え、彼の名前ですかそれ?」
「なんだクリッシュ。そんな事も聞いていなかったのか」
「そんな事って…」
私だって自己紹介して欲しかった。
声すら発してくれない彼に、そんな簡単な事を求めるのをやめてしまっていた。
「だって、彼が何一つ話してくれないんですよ」
先生はもう一度彼を見る。
私と彼を照らし合わせるように。
「喧嘩でもしたんじゃないのか?」
「そんな訳ないでしょ!というか、今だって話してくれないじゃないですか」
私と先生が話してようが、クインテッドという彼は一言も発さない。
「それはそうだな…」
言われてから自覚する先生。
それはあまりにも無神経に見えた。
「名前を呼ばれても視線一つ動きませんよ。先生、私に嘘付きましたか?」
先生は腕を組んだまま、彼を見つめていた。
また私の独り事にされる。
けれど、先生の眼差しに彼が振り向くような気もしていた。
今なお、地面に落ちている瞳を拾ってくれるような。
「クインテッドは重い病気持ちだからな。そう簡単には話さないだろ」
学校でよく聞く台詞だ。
「また病気病気って。それってなんなんですか」
持病持ちしか入学出来ないなんて、そもそもおかしい話だと思っていた。
「おい、ダメだぞ。病気について触れたら罰則だぞ。自分も他人のも、校内で聞くのは違反だぞ」
その時、ちょうど三時限目の始まりの鐘がなる。
「ほら、行くぞ。次は君らのとこだ。先に行くからな」
「あ、先に行かないでくださいよ!」
先生が体育館に先に着いたら、私達が遅刻扱いになってしまう。
遠ざかっていく先生を追いかける。
けれど、その背は階段の手前まで来たら消えてしまっていた。
「先生って廊下を走っちゃダメじゃないの?」
思うように進まない車椅子を放り投げたい気持ちだった。
今から自分だけ走れば、間に合うかもしれない。
寝ているのか、意識を失っているのか分からない彼。
壊れた人形のように、力無く垂れている頭。
表情も見えず、言葉もない。
「置いてってやろうかな…」
言葉通り、出来心で階段の折り返し地点まで降りる。
「ねえ、ちょっと。そんな重いもの運べないから降りてきてよ」
上から見下ろされるエメラルドの瞳。
私の声は聞こえているのか、僅かに視点が揺ぐ。
でも、私を見つけることはない。
ずっと、見えないものを追うようなその目。
「いい加減、傍にいてくれる人のことくらい、見たらどうなの…」
そうこぼした時だった。
彼はよろよろと立ち上がった。
今にも崩れてしまいそうな、不安定な脚。
「え、ちょっと、危ない!」
言葉で人を助ける事が出来たら良かった。
私が手足を動かす頃には、 彼は階段に倒れ込んでいた。
一瞬の出来事だった。
受け止めきれなかった。
私の中で残響が残る。 彼へぶつかった衝撃が、校内を揺らした。
「え…ねえ…」
私の側までそれは来ていた。
うつ伏せになって動かない彼に、私は声をかけるしかなかった。
「ちょっと…それは笑えないって…」
手を伸ばせば触れられる背に、手を置く。
彼は息をしていた。
「大丈夫…?生きては…いるよね…?」
言葉は帰らない。
「ねえ…痛いよね。せめて顔だけでもあげてよ…」
彼が生きている事は分かった。
けれど、死んだように動かない彼に煽られる心配を消し去りたかった。
「ねえ、喋って…?大丈夫なら、心配させないで?」
いつもの沈黙が不自然なほど、怖かった。
校内に響き渡るような彼の命を、誰も心配しに現れることはなかった。
階段を降りたすぐ目の前に、体育館はあるというのに。
この心配に私だけが立ち向かわなければならなかった。
「っ…」
目の前から呻き声がこぼれる。
「あ…ねえ…大丈夫?動ける?」
彼はそのエメラルドを薄ら開きながら、身体を起こす。
古びたネジで動くカラクリみたいな彼を、そっと支える。
すると、差し出した手をそっと握られる。
「え…?」
コメント
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初コメ失礼します! クリッシュちゃんの いつも独り言にされる が好きすぎますっ🫶💗 2回目にその表現が出てきた時はうわぁ!って感じでした!笑 クインテッドくんの瞳をエメラルドと表現するの最高です!! 綺麗なエメラルド色の瞳が想像出来る素敵な表現でした!! 長文失礼しました!