過去を語るフェーデの言葉はどこか他人事のようだった。
いばらの痛みに耐えながら 野ばらの茂みに踏み込むように続ける。
状況からして、自分がどれだけ不幸で可哀想な存在かを涙ながらに訴えかけそうなものなのに、彼女はそうはしなかった。
そこまでの余裕がないのだ。
痛みを伴う過去の手触りにどこまで心が耐えられるか、慎重に推し量る。
真実を語るほど走る鋭い痛みに、心が壊れないよう気をつけながら。
愛されることで獲得した痛みを羅針盤にして、自分と向き合っていく。
虐待も差別も、拒絶も冤罪も、嫉妬も羨望もあった。
守りたかったことも、守れなかったことも、自分自身を嫌いになったこともあった。
だからこうしたいとか、そんなことはない。
ただそうした過去があった。そんな自分がいた。それが自分だった。
愚かで、弱くて、役に立たなくて、何も出来なかった。
誰にも愛されることのなかった。知りたくもない自分の姿を見る。
のんきなものだった。
身も心もボロボロで、自分の命だって危ういのに。
もっと、できることがあったかもしれない。
父も継母も義姉も、みんなしあわせにできる方法があったかもしれない。
そんなことを考えるから、より深く傷ついていく。
掘り下げて、掘り下げて、引きずり出して。一番見たくなかったものが見える。
馬鹿馬鹿しいことに、本当に馬鹿馬鹿しいことに、わたしは家族を愛していたのだ。
内心嫌うようになっても、心のどこかでは愛していた。
そんなことをしても、死ぬだけだとわかっていても。
そして、今思えば父は理解していたのかもしれない。
だから「自殺しろ」と命令すればわたしが自殺すると思った。
あのひとは最後まで愛を受け取らなかったけれど、わたしの気持ちには気づいていたわけだ。だから、利用されたんだ。
アベルとミレナはただ静かに聞いていた。
口を挟むべきことなど、何一つない。
これは少女が自分自身を受け入れるための、大事な儀式。この世界と向き合うために一人でやりきらなければならない原初の魔法なのだ。天に召します神ですら、見守ることしかできないだろう。
王子と従者は理解する。
フェーデが真に苦しみ続けたのは虐待の痛みではなかった。
それは愛する者を嫌わなければ生存できないという矛盾。
整合性のとれなくなった物語が引き起こす自己破綻。
どんなに嫌いになりたくても、心から嫌うことができずに苦しむのは、愛があるから。
誰かを嫌うことより、愛する者を嫌う方がより痛みは大きい。
心の奥底から響く鈍い痛みには、氷の魔法も無力だった。
どうすればいい、この矛盾をどうすればいい。
(そういえば。みんなはどうしていたんだろう)
フェーデは想起する。
思えば、これまでたくさんの物語を見てきた。
父の継母の義姉の。
王子の従者の、商人の動物たちの、職人の、聖職者の、徴税人の。
この街に住む数多の人々の物語を。
誰一人、誰一人として、歪まぬものはいなかった。
フェーデから見れば、どこかおかしくても。破綻していても、矛盾していても。壊れたままの物語をそのまま信じている。
その狂いに気づいたり、気づかなかったり、気づかないふりをしながら、それでもみんな生きている。
きっと、それでいいのだ。
その時である。
これまで混ざり合っていた感情たちが、互いを弾きだした。
本棚にすとんと収まるように、心が整頓されていく。
「愛しています。でも、それはそれとしてわたしはあの家族を憎むし、関わりたいとも思いません。顔も見たくない」
ぴたりと本が収まった時、ようやくフェーデは泣いた。
痛みからではなく哀しみから、泣くことができた。
かくして心は分かたれ、内面の矛盾は失われる。
今、フェーデの中にあるのは二つの物語だ。
家族を愛した物語と、家族を憎む物語。
相反する感情も、こうして分けてしまえば衝突することはない。
両方読めば矛盾するが、片方だけ読む分には整合性がとれる。
物語とはそもそも、そういったものである。
誰かが「一体どちらが真実なのか」と問えば、フェーデは「どちらも本当ですよ」と答えるだろう。
他人から見ればひどく矛盾した整合性のない人格に見えるかもしれない。
狂ってしまったと思われるかもしれない。
それでもフェーデは、そんな自分をよしとした。
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