テラーノベル
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放課後の第一音楽室は、何十人もの部員が奏でる楽器の音で満たされていた。海幕高校オーケストラ部。強豪として知られるこの部活で、私は譜めくりの手を止め、思わずその背中に見惚れてしまう。
「――よし、今のところ、1stヴァイオリンはもう一度頭から合わせよう。2ndはリズムを意識して」
透き通るような、でも芯のある声が響くと、騒がしかった室内が一瞬できれいに静まり返った。声の主は、フロントでヴァイオリンを構えるコンサートマスター、原田蒼先輩。端正な横顔と、誰にでも分け隔てなく接する優しい笑顔。部員全員からの信頼を一身に集める、文字通り「雲の上の存在」だ。
……かっこいいなぁ……
パートを的確に率いる先輩の姿を、私は部員の一人として、ただ遠くから見つめることしかできなかった。
___あの放課後までは。
*
「はぁ……。やっぱりまだ、ここの指の動きが追いつかない……」
全体練習が終わり、すっかり静まり返った夜の音楽室。私は一人、居残りでヴァイオリンの苦手なフレーズを繰り返していた。何度やっても音がかすれてしまい、焦りだけが募っていく。
「そこ、もう少し弓の根元を使うと、きれいに音が出るよ」
「ひゃいっ!?」
突然、背後から降ってきた穏やかな声に、私は間抜けな声を上げて飛び上がった。振り返ると、ブレザーを脱いでシャツの袖を腕まくりした原田先輩が、困ったように眉を下げて笑っていた。
「あ、ごめんごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。まだ残ってたんだね、〇〇さん」
「は、原田先輩……! すみません、もう鍵閉めて帰ります!」
憧れのコンマスと二人きりという状況に、心臓がうるさいくらいに跳ねる。慌てて楽器をケースにしまおうとする私に、先輩はトコトコと近づくと、私の手から優しくヴァイオリンを奪い取った。
「慌てなくていいよ。……ほら、ちょっと構えてみて?」
先輩は私の背後に回り込むと、驚くほど近い距離で、私の両手に自分の手をそっと重ねた。ふわっと、先輩の髪から爽やかなシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
「力を抜いて、そう、そのまま……」
先輩の長い指が、私の指を導くように弦を押さえる。重ねられた手のひらから伝わる体温が、あまりにも熱くて。さっきまであんなに苦戦していたヴァイオリンから、驚くほど甘くて綺麗な音が響いた。
「ね?できた」
耳元で、先輩がいたずらっぽく囁く。振り返ると、みんなの前で見せる
『完璧なコンマス』
とは違う、私だけを見つめる少し意地悪な、優しい瞳があった。これが、私の心を狂わせた、原田先輩との
の始まり。
コメント
3件
読みました!舞台がオーケストラ部ってだけで胸がときめきますね。譜めくり担当の「陰から見つめるだけ」の存在と、雲の上のコンマスとの距離感が、居残り練習の場面で一気に縮まる展開がすごく良かったです。手を重ねて弓を導くシーン、体温とシャンプーの香りの描写が繊細で、読んでるこっちまでドキドキしました。「完璧なコンマス」とは違う「私だけを見る瞳」という対比も素敵です。この先、二人の音がどう重なっていくのか気になります!