結局、あの騒動の後、相撲部の活動はお休みになった。
こちらとしても、雷電丸にあれ以上暴れられても身体がもたないので命拾いした、と心の底から思った。昨夜、雷電丸に身体を返してもらった途端、私は全身筋肉痛と極度の疲労により意識を失ったのだ。
つまり、雷電丸が昼間に暴れれば暴れるほど、私の身体にはダメージと疲労が蓄積されていく。そして、私が身体の支配権を取り戻した瞬間、それらダメージが一気に襲い掛かってくるのだ。
今後は私の体力の限界以上のことをやらせないように雷電丸に注意した方がいいわね。女子高校生の身空で過労死なんて笑い話にもなりはしないだろう。
それにしても、明日を思うだけで気分が重たくなった。
明日は今日以上に悪い噂が流れていることだけは明白だった。
せめて陰キャビッチの噂だけは消え去ってもらいたいものだ。
『疲れた……私、明日からどんな顔をして学校に行けばいいの?』
「情けないのう。口を開けば疲れた、どうしたらいいの? とかって、いい加減言い飽きないのかの?」
『誰のせいだと思っている、の⁉』
その時、雷電丸は突然立ち止まった。眼を閉じると、くんくん何かを嗅いでいる様な仕草をして見せた。
何処かから美味しい匂いでもしているのかしら? などと思う。
『どうしたの?』
「見知った匂いがする」
『お腹空いたの? なら、早く帰りましょうよ。家に帰ったらお母さんが御夕飯を作ってくれているでしょう?』
「いんや、そうではない。これは昔懐かしい『可愛がり』の匂いじゃ。そこにあ奴の、のぞみの匂いもするぞ」
可愛がり? 静川さんの匂い?
その時、私は雷電丸の言っている意味が分からなかった。
「こっちじゃ」雷電丸はそう言いながら路地裏に向かって歩き出す。
私は雷電丸に話しかけようとしたが、彼の顔に険相が浮かんでいて思わず言葉を飲み込んでしまった。
もしかして、雷電丸ってば怒っているの?
そういえば、雷電丸が怒るのは決まって私が虐められている時だけだったな、と思う。この先に、彼の逆鱗に触れる何が待ち構えているのだろうか?
路地裏に入り、しばらく歩いて行くと、二つの人影が見える。見たところ、着ている制服から私と
同じ千鶴高校の男子生徒であることがすぐに分かった。
こんな所で何をしているんだろう、と私が思うのと同時に、雷電丸はまさしく電光石火の速さでその二人の首を片手で掴み上げた。
『ちょ、突然何をするのよ、雷電丸!』
ばたん、と二人の男子生徒は悲鳴を上げる間もなく地面に倒れた。
一瞬で首を絞められ、苦しむ間もなく気絶したようだ。
「双葉よ、お願いじゃから少しの間黙っていてくれぬか?」
いつもとは明らかに違い、真剣な表情を浮かべる雷電丸を見て、私はドキリとする。
『どうしたの?』
「友に危機が迫っているんじゃ。ほれ、あれを見てみろ」
雷電丸はそう言いながら、近くに積み上げられていたビールケースの後ろで身を屈める。顔だけをちょっとだして、その先の光景を覗きこんだ。
そこには複数名の男女の姿が見えた。誰もが千鶴高校の制服を着ている。
一人の女子生徒が地面に転がっていて、何処かで見かけた顔の女子達が彼女を取り囲んでいた。そして、笑い声を上げながら倒れている彼女に対して蹴りを入れる、持っているペットボトルの液体を頭にかけるなどの暴行を加えていた。
そして、暴行を受けている少女の正体に気付いた時、私は絶句した。
『静川さん? どうして静川さんが自分の友達にリンチを受けているの⁉』
「これが可愛がりじゃ。儂もフンドシ持ちの頃、ああやってよく先輩力士どもから可愛がられたもんじゃ」
理由は分からないけれども、一刻も早く静川さんを助けなきゃならない。私には不可能だけれども、雷電丸ならあんな奴等、あっという間に張り手で薙ぎ払ってしまえるだろう。
『雷電丸! お願い、静川さんを助けてあげて』
「いんや、それはちくと待て。もう少し様子を見るんじゃ」
『どうしてよ⁉ 静川さんは貴方の友達なんでしょ⁉』
「友と思っているからこそ、けじめをつけねばならんのじゃ。禊ぎは自分でやらねば意味を為さんのじゃ」
禊ぎって何? 雷電丸には何か考えがあるみたいだったので、私はそれ以上、何も口を出さなかった。
どうせ、静川さんは私のではなく、雷電丸の友達なのだ。なら、私は何もせず傍観するだけでいいじゃないか。でも、この胸の痛みの正体が何なのか、自分でも分からなかった。
静川さんが大勢の人間によってたかって暴行を受けている。その姿が自分と重なる。
数日前まで、あそこにいたのは自分だった。それが今や雷電丸のおかげで静川さんに代わっただけのこと。彼女自身も私を虐めていて、その罪が自分に返ってきただけ。
本当は私の苦しみを少しでも味わえばいいんだ、と思いたい。そう思えばこの胸の痛みも消えるはずなのに、どうしても嘘でも思うことすら出来なかった。
「この裏切者が! なにあんなキモ女にへこへこしちゃってんのよ!?」
肉を蹴り上げる音が響き渡るのと同時に、怒りに塗れた女子の怒声が張り上がった。
静川さんは腹部に思い切り蹴りを入れられ、ガハッ! と悲鳴を上げて腹部を両手で押さえながらガクガクと身体を震わせる。
「ほら、どうしたの? あたしたちがあいつに受けた痛みはこんなもんじゃねえだろ? まだあいつに殴られたところが痛いんだからさ、もっと憂さ晴らしに付き合ってよ、のぞみっち!」
別の女子が嘲笑を浮かべながら静川さんの頭を踏みつけた。
すると、静川さんはは身体を痛みに震わせながら、頭を踏みつけて来た女子の足を頭から振り払うと、よろよろと立ち上がった。
「殴られたのは、あたしたちが悪いでしょ?」
驚いたことに、静川さんの表情は微塵も怯えの色が映っていなかった。むしろ何かに立ち向かうヒーローの様な勇ましい顔つきだった。
「あん? なに言ってんの、こいつ?」
「なんにもしていない双葉っちに、一方的に酷いことをしてきたのは、あたしたちの方っしょ? それで殴られたからって、双葉っちを恨むのは筋が違うと思うし」
「双葉っちだぁ? 馬鹿か、テメー。キモ女を虐め続けていたリーダーが、今更友達面かよ?」
「友達だって、言ってくれたし」
その時、静川さんはボロボロの状態で、嬉しそうに微笑んだ。
「あんな酷いことをし続けて来たあたしを、双葉っちは友達って言ってくれた。だから、これはあたしなりの贖罪。いいから、気のすむまであたしを殴ればいいし。でも、双葉っちには手を出さないで」
「ちょっと頭が高いんですけれども⁉ お願いするなら土下座っしょ、のぞみっち!」
女子の一人が後ろから静川さんの足を蹴り上げると、静川さんは吹き飛ぶように地面に倒れ込んだ。
そして、別の女子が静川さんの手を捻じる様に踏みつける。
静川さんは片方の手で口を押さえて悲鳴が洩れない様に必死に抵抗していた。
「絶対に、悲鳴は上げないし」と女子達を鋭い眼差しで見上げる、
「その眼が気に食わないってのよ! もっと泣き叫べよ! 許してくださいって、哀願してこいよ!」
三名の女子達は、何度も静川さんの頭を、身体を、足を蹴る様に踏みつけた。
激しい暴行をいくら加えられようとも、静川さんは必死に両手で口を押さえて悲鳴を洩らさない様に抵抗していた。
「絶対に泣くもんか。一度だって悲鳴もあげてやらないって決めたんだし。今まで酷い事してきてごめんね、双葉っち」
私の名を呼んだ瞬間、静川さんは安らかな笑顔を浮かべたのを私は垣間見た。
その時になって私は胸の痛みの正体に気付く。
静川さんを助けたい。私も彼女と友達になりたい。陰キャで学園カースト最底辺を這いつくばってきた私が初めて思い抱いた気持ちだった。
すると、それまでにやけ顔で傍観していた男子生徒の一人がナイフを取り出して近寄って来る。
「いいこと考えた。こいつで二度と見られない顔にしてやるってのはどーよ?」
「え? い、いや、それは流石にやり過ぎじゃない?」
「いいよ、やっちゃって。いざとなったらパパにもみ消してもらうからさ」
「こういう時、親が政治家だと便利ね」。
「や、止め……」ナイフをちらつかされ、初めて静川さんの顔が恐怖で引きつる。
「お、いいねぇ。その顔が見たかったんだわ。心配すんな。ブスがもうちょっと醜くなるだけだからよ」ナイフの先端を静川さんに向けながらゆっくりと歩み寄る。
「誰か助けて、双葉っち……」
「儂を呼んだかの?」
「へ? その声は双葉っち。どうしてここに……?」
雷電丸は両手に先程気絶させた男子生徒を抱えながらのっそりと現れ、静川さんに姿を見せた。
そして、無言のまま右手に抱えていた男子生徒を軽々と投げ放った。男子生徒はまるでロケットでも打ち出されたかのように勢いよく飛んでいくと、ナイフを持っていた男子に直撃する。彼は悲鳴を上げる間もなくそのまま大きな人影と共に近くの壁に激しく衝突する。
女子達が唖然としている間に、雷電丸は左手に抱えていたもう一人の男子生徒を同じ様に投げつけると、残ったもう一人の男子を吹き飛ばし、二人とも激しく壁に衝突した。
四人の男子達は壁際で泡を噴きながら気絶していた。
「お前、キモ女!?」と、女子達は一斉に叫んだ。
雷電丸の姿を見ると、恐る恐る静川さんから後退りをし、顔を恐怖で引きつらせた。
「懐かしいのう。久し振りに『可愛がり』を見たわい」
すると、雷電丸は近くにあった空のビールケースをひっくり返して椅子代わりにすると、そのまま座り込んだ。
「ほれ、儂は一切お前らに手出しせんから『可愛がり』を続けよ」
その瞬間、私は絶句する。
私はてっきり、雷電丸が烈火の如く怒り狂い、彼女達を叩きのめして静川さんを助けるのだとばかり思っていたからだ。
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