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もちぷよ
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#山中柔太郎
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〜佐野side〜
太智に肩を抱かれるようにして、仁人が病室を去っていった。
引き戸が閉まる直前まで、仁人はずっと下を向いたままだった。
結局、暗闇のせいで、あいつがどんな表情をしていたのかは分からないままだった。
2人が去っていく足音を見送り、俺は静まり返った室内で、視線を再び柔太朗へと戻した。
夜が明けるにつれて、窓からの光に照らし出された彼の姿は、思わず目を背けたくなるほどに凄惨だった。
端正だった頬は赤黒く腫れ上がり、身体のいたるところが痛々しい包帯で保護されている。
包帯で覆われていないわずかな肌でさえ、いたるところが青黒い皮下出血に変色していた。
見るたびに、胸の奥からどす黒い怒りが込み上げてくる。
なんで柔太朗が、こんな目に遭わなきゃなんねぇんだよ。
ふざけんな。
……柔太朗をこんな目に遭わせた奴を、俺は絶対に許さない。
その晩、柔太朗は結局、深い眠りから一度も目を覚ますことはなかった。
彼がようやく目を覚ましたのは、すっかり朝を迎えたころだった。
俺は丁度、昨日無断で抜け出す形になってしまった会社の接待について、上司に謝罪と事情説明の連絡を入れるために、スマホを片手に病室を少し空けていた。
通話を終え、重い足取りで静かな廊下を歩いて戻る途中、彼の病室の前が何やら慌ただしくざわついていることに気づく。
心臓が嫌な音を立てて跳ね、俺は廊下を猛ダッシュして部屋へと飛び込んだ。
病室に入った瞬間、目に飛び込んできた光景に息が詰まった。
柔太朗はベッドの上で狂ったように身をよじり、過呼吸を起こして激しく苦しんでいた。
「はっ……ひゅ、う、あ、っ……!」
浅い呼吸を繰り返し、涙と汗で顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、目に見えない何かの恐怖から逃れるように暴れている。
看護師が必死に彼の身体を押さえながら、「大丈夫、大丈夫だからね!」と何度も声を張り上げて繰り返していた。
大丈夫?
これの、一体どこが大丈夫なんだよ…。
視界が怒りと悲しみで歪む。
俺は居ても立ってもいられず、看護師を押しのけるようにして柔太朗のもとへ駆け寄った。
そして、暴れる彼の細い身体を壊さないように、だけど力強く抱き寄せた。
暴れる彼の手が俺の背中に当たっても、爪が食い込んでも、構わず抱きしめ、ただ無言で彼の背中を優しく摩り続けた。
「……っ、……っ!」
俺は何も言わなかった。
いや、何も言えなかった。
ただ、狂ったように震える彼の冷たい温もりを感じながら、昨夜、彼を独りにしてしまった自分の無力さに、また静かに涙を流すことしかできなかった。
それからの柔太朗は、それはもう……見ているこちらの胸が抉られるほどに、痛々しかった。
彼はいつも、無理に平気なフリをして、俺を安心させるように笑うのだ。
いつしか彼の口癖は「大丈夫」になった。
全然大丈夫じゃないことなんて、引き攣ったその表情や、何かに怯えるように微かに震える指先を見れば一目で分かるのに。
まわりに気を遣って、必死に恐怖を心の奥底へ押し込めようとしている。
食事がどうしても喉を通らないらしく、元々線の細かった彼の身体は、日を追うごとに目に見えてどんどん痩せ細っていった。
食事を口へ運ぼうとしても、あの夜の嫌な光景がフラッシュバックするのか、すぐに激しい嘔吐と過呼吸に襲われてしまうのだ。
点滴に繋がれ、骨の形が浮き出るほどに衰弱していく柔太朗の姿。
それでも人間の身体は不思議なもので、外側の傷だけは徐々に良くなり、やがて退院を迎えられるまでになった。
だが、内側の…、心の方は、一向に良くなる兆しが見えなかった。
主治医と何度も相談し、専門の心療内科への受診も勧めてもらったのだけれど、柔太朗はここでもまた、あの消え入りそうな「大丈夫」という言葉を使って頑なに拒んだ。
「佐野さん、そんなに毎日来なくて本当に大丈夫だよ?」
ベッドの脇で、小さく笑う柔太朗。
「俺が来たいから勝手に来てるの。お前は気にすんな」
「でも……佐野さん、仕事は……?」
「あー、会社にお願いして、しばらく在宅勤務に切り替えてもらったから全然平気!だから心配すんなって!」
なんて、さも何でもないことのように笑ってみせたけれど、全部嘘だった。
毎日朝から晩まで柔太朗に付きっきりで、まともに仕事になるわけがない。
気付けば有給休暇もすべて使い果たしてしまい、限界まで悩んだ末に、俺は会社に籍を残したまま半年間の「休職」を選択した。
正直、人生の大きな決断に迷わなかったと言えば嘘になる。
家族でもなければ、ましてや恋人でもない、ただの居酒屋の客だった俺が、ここまで彼の人生に踏み込んでいいのだろうか、と。
でも、こんな精神状態の彼をひとりにするなんて、俺には絶対にできなかった。
ある日の夜、俺は柔太朗の病室に忘れ物をして取りに戻ったことがあった。
その時に見た柔太朗は、電気の消えた暗い病室で一人、声も出さずに頭まで布団を被り、シーツを握り締めてガタガタと震えながら泣いていた。
きっとこれまでも俺の知らないところで、暗闇の中、一人怯えながら耐えていたのだろう。
それを知っているからこそ、とてもじゃないけど一人にすることなんてできないと思った。
それに、一瞬でも目を離したら、柔太朗がこの世界から急に姿を消してしまうんじゃないかという、どうしようもない不安があった。
それくらい、今の彼は触れれば一瞬で粉々に砕けてしまいそうな、ガラス細工のように危うい状態だった。
「なぁ、柔太朗。退院したらさ……しばらく、うちに来たら?」
「え……? 佐野さんの、お家……?」
「うん。……正直さ、今のお前をひとりにさせておくのは、俺が心配で死にそうなんだわ。頼むから、そばにいさせてほしい」
柔太朗はしばらく困ったように、何かを怯えるように下を向いて迷っていた。
どれくらい時間が経っただろう。
彼は不安そうに潤んだ瞳のまま、俺の顔をじっと見つめてきた。
「……本当に、いいの?」
柔太朗が初めて俺に甘えてくれたような気がした。
そのことが、たまらなく愛おしくて嬉しかった。
「もちろん!!俺もさ、柔太朗みたいな可愛い弟、ずっと欲しかったんだよな!」
快活に笑いながら、俺は自分の胸の奥の熱い恋心に、完全に蓋をした。
傷つき、激しい人間不信に陥って、男の人の影にすら怯えるようになってしまった彼にとって、俺はできる限り『無害な人間』でいなければならない。
だから、俺はあえて彼を「弟のように想っている」という設定を自分に課すことにした。
そうやって自分を偽ることでしか、彼からの信頼を得る方法がない。
今の俺は、そんな臆病な男だった。
to be continued……