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「そういえば、あのとき、なにか言おうとされてませんでした?」
そう蓮に言われた脇田は、
「ああ……」
と言いかけ、
「なんでもないよ。
たぶん、なにかしょうもないことだった。
忘れちゃったな」
と言った。
何故だか蓮にそれを問う気が失せていた。
蓮は一瞬、微妙な顔をした。
勘の鋭そうな子だから、自分がわざと誤魔化したのに気づいているのかもしれないと脇田は思った。
だが、蓮が、
「そうですか」
と流してくれるのなら、それで済まそうと思った。
帰り際、蓮は律儀にゼリーをくれた。
「たぶん、脇田さんが買われたものより、賞味期限が早いので、早く食べてくださいねー」
とご丁寧に言って渡してくれる。
はいはいと、手を振ってくれる蓮に笑顔を返し、彼女の部屋を出た。
エレベーターホールに曲がる前に、振り返ると、蓮はまだこちらを見ていて、頭を下げてきたので、下げ返す。
パタン、とドアが閉まる音が微かに聞こえたとき、脇田のスマホが鳴り出した。
ポケットから取り出し、その表示を見る。
「おや、悪霊から電話が」
と脇田は笑った。
『何処だ、亨』
と電話の男は言ってくる。
ちょうど来たエレベーターに乗りながら、
「……いや。
タチの悪い悪霊に魅入られたお姫様のところだよ」
と笑うと、何処のファンタジーだ、映画でも見てんのか、と言われる。
『あの悪霊は私を孕ませようとしていますっ』
という蓮の言葉を思い出し、吹き出しそうになった。
悪霊が居ますよ、真っ昼間から。
昼前、何の気なしに、給湯室から駐車場を見た蓮は、何処かで見たような背格好の男が、あの郵便局の方を向いて、煙草を吸っているのを発見した。
一度、デスクに戻り、160円を掴むと、ちょうど、警備員室に持っていく備品があったので、それを手に一階まで降りる。
備品を掴んだまま、駐車場に駆け出すと、ちょうど、渚が振り向いた。
「おお、蓮子」
「蓮ですっ」
と息を切らして、膝に手をつく。
早くしないと、また消えてしまうかもしれないと思ったから、猛ダッシュしたのだ。
しかし、悪霊はないな、と地面を見ながら、蓮は思った。
こんな煙草臭い悪霊にはあったことがないから。
いや、そもそも、霊にあったこともないのだが。
「どうした? またアイス奢ってやろうか?」
と言ってくるので、
「奢ってもらってないじゃないですか。
はい、160円」
と渚にお金を差し出すと、渚は忘れていたのか、なんだ? という顔をしたあとで、一度受け取り、蓮の掌にそれを載せてきた。
「まあ、これで、あったかいものでも食べろ」
「……アイスですよね、私がこの金額で買ったのは」
定番のセリフだが、今はおかしいだろう、と思っていた。
「蓮」
やっと名前覚えてくれましたね、と思っていると、
「ところで、いつが暇だ?」
と渚は訊いてくる。
「は?」
「いや、本当に時間がないんだ」
と困った顔をする。
「初対面で子供を作れと言っても、さすがに無理かと思って、今まで待ってたんだ。
お前とは、もう三度は会っている。
吉原なら、もういい頃だ」
吉原では、三度会わないと、共寝できないそうだが。
いや、此処は吉原ではないし、私は遊女ではない。
だが、どうやら、急いで子孫が居るのは本当のようだった。
「あのー、隠し子とかどっか居ないんですか?」
とおもわず訊いてしまうと、
「なんで、隠し子だ。
俺は独身だ。
隠す理由はない」
と言う。
いや、まあ、そりゃそうなんでしょうけどね、と思っていると、渚は、
「じゃあ、デートしよう」
と言ってきた。
「え」
「いきなり、子供を作るってのが駄目なんだろ、お前は」
いや……誰でも駄目だと思いますけどね。
「だから、とりあえず、デートしよう」
と渚は言う。
まあ、少しはマシな展開か? と思っていると、
「今日はちょっと遅くなりそうだが。
……いや、明日も遅いな」
少し考えたあとで、渚は、
「お前の家を教えろ」
遅くなりそうだから、と言ってくる。
「嫌ですよっ」
その話の展開だと、嫌な予感しかしないではないか。
「そもそも、貴方、何処の部署の人なんですか。
私、総務に居るんですけど、全然会いませんけどっ」
と言うと、渚はこちらを見下ろし、
「俺の子供を産んでくれるのなら、何処の部署か教えてやる」
と言ってくる。
いや……なに言ってんですか。
この照りつける日差しのせいだけではなく、目眩がしてきたので、そろそろ帰りたい。
「そういえば、お前、電話して来なかったな」
せっかく番号教えてやったのに、と恩着せがましく渚は言う。
「昨日、蛍光灯が落ちてきたりして、ちょっと。
すみませんでした」
お金を借りていたのに連絡しなかったのは確かなので、そう謝ると、
「蛍光灯が?」
怪我はないのか、と訊いてくる。
真面目に心配してくれたので、ちょっと嬉しかった。
「大丈夫ですよ」
ま、ちょっと切り傷は出来たが、と思いながらそう言うと、
「見せてみろ」
と言い出す。
「……嫌ですよ」
こんなところで、足を見せる趣味はない。
「あ、警備員室に行くんだった。
それじゃっ」
と蓮はもう160円返すのは諦め、脱兎のごとく逃げ出した。
家まで突き止められてはかなわない、と思ったのだ。