テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
先の見えない森を進むと、二人の眼前に異変が現れた。
粗末な家が無数に並ぶ、ありえない光景。
幻覚でないと思える理由は、生活を営む人々も同様に確認出来たためだ。
泣いているエウィンに代わり、アゲハが驚きと共につぶやく。
「森の中に、村があるなんて……」
小さな集落だ。イダンリネア王国と比べてしまうと質素かつ前時代的な作りながら、食料にさえ困らなければ不自由なく暮らせるのだろう。
太陽が西の空へ傾くも、日没にはまだ早い。
ゆえに、村民もそれぞれの仕事に励んでいる。
そんな中、見知らぬ人間が二人も現れたのだから、動揺は必然か。
ある者は後ずさり、ある者は敵意をむき出しにする。
アゲハはともなく、エウィンが後れを取ることはないのだが、残念ながら今は当てにならない。
「う、うぅ、結局一匹もなついてくれなかった。ところで、何でこんなところに?」
泣きながら、同時に小さく驚く。出会えた野良猫の数は百に達するだろう。
しかし、成果はない。城下町の貧困街では人慣れした猫と出会えるのだが、この森ではそうもいかないらしく、少年は大粒の涙で頬を濡らす。
「不思議だよね。あ、ここなら、半分飼い猫みたいな子が、いると思うよ……」
「確かに! 早速探しましょう!」
「その前に、誤解を解いた方が……」
この二人は招かれざる客だ。
向けられた敵意がそうであると物語っており、エウィンもこのタイミングで察する。
「あぁ、そのようで。そもそもこの人達は、いったい……」
王国の民と比べると、彼らの身なりは質素と言えよう。着飾った者は見当たらず、色合いもどこか単調だ。
その点ではこの傭兵二人も味気ない服装なのだが、それが意気投合の理由にはならない。
ここは迷いの森だ。
そのはずだが、奥へ立ち入った結果がこれであり、少なくとも地理学の本にはこの場所に関する記載は見当たらない。
アゲハが右手で黒髪をつまみながら、心配そうに口を開く。
「気のせい、かな? 魔女の人が、多いような……」
「本当だ。ぱっと見だけでも二人、いや、三人もいる」
エウィンとアゲハは森を背に立っている。そこを通り抜けたばかりゆえ、立ち位置としては必然だ。
招かれざる、侵入者。
つまりはそういうことになるのだが、だからこそ、この地の住民達は二人を警戒する。
その数は既に二十人を越えており、彼らの年齢は子供から老人まで多岐にわたる。
性別の偏りは偶然なのだろうが、女性の方がわずかに多い。
その内の三人が魔眼を宿しており、魔女が移住したことで今となっては珍しくもないのだが、それでもエウィンとしては驚きを隠せない。
「猫探しは後回しにして、先ずは自己紹介から始めればいいのかな? アゲハさん、どう思います?」
「う、うーん、話し合いに、応じてもらえるなら、そうかも?」
選べる選択肢は限られている。
勇気を出して、歩み寄るか?
何も見なかったことにして、森に戻るか?
もっとも、このまま帰してもらえるとも思えないため、エウィンは無い知恵を絞って行動を開始する。
「こんにちは! 僕の名前はエウィンです! 傭兵やってます! ここはどこですか⁉」
挨拶と自己紹介の押し売りだ。敵意がないことを示すため、傭兵らしく大声を張り上げた。
その結果が静寂だ。
居たたまれない雰囲気を作り出した張本人でさえ、恥ずかしそうに萎縮してしまう。
「失敗しました」
「ど、ドンマイ、だよ」
身長はエウィンの方がわずかに高いのだが、アゲハの方が六歳も年上だ。
ゆえに、姉が弟を慰めているような構図が出来上がるのだが、村民達は驚きつつも警戒心を解かない。ここへの侵入はそれほどの大事であり、事態の打破にはそれ相応のきっかけが必要だ。
その役割は、彼女が担う。
「こいつらが、選ばれた人間……。あなた達は下がってなさい」
女の声だ。
それ以上でもそれ以下でもないのだが、居合わせた村民達は安堵するようにこの場を離れる。
現れた人物は、たったの一人。
しかし、エウィンは彼女に登場に息を飲む。
(いつの間に? ぜ、全然わからなかった)
その魔女は、つい先ほどまではいなかった。
しかし、今は有無を言わさず、村民とエウィン達の中間に立っている。
誰よりも長い、真っ赤な髪。
茶色いワンピースの上に白衣を羽織っており、左手はハンドポケットのままながらも、右手は一冊の本を抱えている。
エウィンやアゲハと比べると若くはないが、比較対象がこの二人では大多数が年上か。
髪の長さ以外はこれといった特徴がないのだが、そういった誤解は抱きようがない。
「エウィンさん、この人……」
「はい。とんでもなく、強い」
アゲハでさえ、肌で感じ取れるほどのプレッシャーだ。
二人は傭兵ゆえ、毎日のようにギルド会館へ足を運ぶ。そこには多数の同業者がいるのだが、その実力は千差万別だ。
かろうじて、草原ウサギを狩れる者。
巨人族さえ、単身で屠る者。
実力も、年齢も、魔物を狩る理由さえも異なる。それが傭兵であり、エウィン達もその一員だ。
強者や弱者を毎日にように見比べる二人だが、このタイミングで怖気づいた理由は、眼前の魔女がそれ以上だと認めてしまったためだ。
そんな彼女が、不審者に対して問いかける。
「エウィンとアゲハで、あってるかしら?」
正解だ。
言い当てられた以上、二人は冷や汗を拭うしかない。
「あ、あってます。なんで、僕だけでなくアゲハさんのことも?」
エウィンだけが大声で名乗った。
だからこそ、眉間にしわを寄せてしまう。
そんな疑問に対して、魔女は仁王立ちのまま話を進める。
「あんた達のことは、前から調べていたの。それに、ここ最近はエルからも話を聞かされていたから」
嘘偽りない説明なのだが、残念ながらこの二人には伝わらない。
ゆえに、エウィンは視線をそらすことすら出来ないまま、おそるおそる尋ねる。
「僕達のことを? なんでですか? あと、エルって誰ですか?」
「エルはエルよ。あぁ、エルディアって言えば伝わるのかしら?」
「あ、あぁー! あ~……」
魔女の返答が少年を納得させるも、残念ながらその小首は改めて傾むく。
なぜなら、わからない。
エルディアが眼前の魔女に情報を与えたようだが、その魂胆は想像すらも困難だ。
魔女同士で、情報網を構築しているのか?
だとしたら、なぜ自分達のことを話し合ったのか?
やはり、何一つとしてわからない。
だからこそ、教えを乞うことから始める。
「エルディアさんとあなたが知り合いで、と言うか、あなたは……」
「私はハクア。ここで里長みたいなことをやってるわ。ねぇ、二つだけ、訊いてもいい?」
ハクアが名乗ったことで、一先ずの自己紹介は完了だ。依然として情報は不足しているのだが、一方的な問答が開始される。
「二つ? はい、どうぞ……」
「一つ目、どうやってここに来たの?」
シンプルな質問だ。
ゆえに、エウィンは相手の魔眼を見つめ返しながら事実だけを述べる。
「エルディアさんからこの森については聞かされていたので、ミファレト荒野に来たついでに寄ってみました」
これが真実だ。騙すメリットも見当たらないため、亀裂観光には触れなかったが情報を開示した。
しかし、ハクアを満足させるには至らない。
「そういうことじゃないの。この森は部外者を拒むように出来ている。そういう仕組みが作用しているの。だから、この里には絶対にたどり着けない。ここまで言えば、わかるわよね?」
「え? アゲハさん、わかります?」
「う、ううん……」
エウィンとしては、猫の手も借りたい状況だ。
ゆえに、萎縮するアゲハに助けを求めるも、彼女も縮こまるだけで首を縦に振れない。
「すみません、僕達は普通に来てしまっただけで……」
正しくは、猫を追いかけた結果か。
事実そうなのだが、赤髪の魔女はわずかに苛立つ。
「バカにしてるの? まぁ、いいわ。エルが言ってた通り、飄々としてるけど色々無知ってことなのかしらね。だとしたら、無自覚な能力……?」
ハクアが黙ってしまうと、この場は沈黙に包まれる。
しかし、その時間はごくわずかだ。質問は一個ではないと、既に宣言されている。
「二つ目よ。アゲハ、あなた何者?」
「え? なんで、アゲハさんを……」
予想外の問いかけに、エウィンの方が驚いてしまう。
身構えていたからこその動揺だ。
アゲハはイレギュラーな存在ゆえ、本来ならばその正体を隠し通さなければならない。
事実を述べるわけにはいかないのだが、ハクアはじらされることを拒むように口を開く。
「返事次第では、容赦なく殺すわよ」
「そんな、何を……。アゲハさんは悪い人じゃなくて!」
「嘘を言ったり答えなくても殺す。言っておくけど、私は本気よ? そもそもあなた達は部外者、ここでは殺されても文句は言えない」
理不尽な通達だ。
そうであるとわかっているからこそ、エウィンはこのタイミングで邪魔なリュックサックを投げ捨てる。
アゲハは青ざめており、言葉を発せないほどには狼狽中だ。
そんな彼女を庇いながら、少年は吠える。
「そんな理不尽なこと……、認めない。アゲハさんは、アゲハさんは……、優しい人です!」
ボキャブラリーがない上に、説明の困難さが素っ頓狂な説明に至ってしまう。
対照的に、ハクアは殺意をたぎらせながらも話口調だけは平常通りだ。
「私には、アゲハ、あなたが人間に見えないの。人間の形はしているようだけど、禍々しいと言うか、そうね、まるで畏怖という概念が具現化したような、そういった何かにしか見えない」
ありえない独白だ。
ゆえに、エウィンは間髪入れずに反論を開始する。
「嘘です! 僕には、美人でおっぱい大きくて足が太い女の人にしか見えません!」
「ひぃ!」
アゲハが悲鳴を上げた理由は、褒められたと同時にけなされたがゆえの条件反射だ。
エウィンとしては足の太さも好みの一部なのだが、受け取り方は当人によって左右される。
誠実なのか下心なのか、判断に困る言い分を前にして魔女が考えを巡らせる。
「やっぱり、私やエル、それにさっきの反応だとサタリーナもそう見えてしまう。どういうこと? 共通点は……、考えるまでもないか」
自身の魔眼で確認した以上、確定だ。
ハクアにとっては初めての経験ではないため、動じることなく納得する。
ゆえに、ここからは最終通告の時間だ。
「アゲハ、あんたを拘束する。マリアーヌ様、構いませんよね?」
「えー、それはさすがに乱暴過ぎなーい?」
この問答は、エウィンとアゲハを驚かせるには十分だ。
なぜなら、拘束という物騒な単語も去ることながら、ここにはいない四人目が前触れもなく発言した。
アゲハともハクアとも異なる、澄んだ声。発生個所はこの魔女であり、エウィンとしても問わずにはいられない。
「誰? あ、いや、そもそも拘束なんて認めない」
「うるさいわね。あんた達の意志なんて関係ないの。私がそうすると決めたら、それで終わり。マリアーヌ様、この女は危険です。いえ、もしかしたら手がかりになるかもしれません。死なない程度に解剖して、とことんまで調べるべきです」
「さっき言ったでしょー、穏便にって。と言うか、エルと同じくらいかちょい大きいくらい? すっご、この時代の子達って本当に発育良いよねー」
困惑しながらも苛立つエウィン。
苛立ちながらも、何者かによって諭されるハクア。
似ているようで異なる立ち位置だ。両者の議題はアゲハなのだが、四人目が会話に加わったことでこの場は一層混沌を迎える。
「マリアーヌ様、茶化さないでください」
「ごめんごめん。でもさー、わたしにはかわいい女の子にしか見えるけど、ハクアは違うの?」
「はい。まるで……、あの女を彷彿とさせます」
「そりゃ一大事。だからって殺すとか捕まえるとか言わない」
「し、しかし……」
このやり取りは独り言ではないと、エウィンも気づく。
赤髪の魔女は、右手の本を会話をしている。
それは真っ白な古書だ。辞典のように分厚く、しかし、表紙には何も書かれていない。
ふざけているのか?
アゲハのように二重人格なのか?
真実まではわからずとも、エウィンは訴えずにはいられない。
「僕達もエルディアさんの知り合いです。だから、えっと、敵同士ではなくて……」
「事情が変わったの。それに、エルはあんたのことを高く買ってたようだけど、見込み違いも甚だしい。ここまで覇気が感じられないなんて、心底期待外れだわ」
ハクアの率直な感想だ。
単なる決めつけともとれるのだが、第一印象はその程度でしかない。
もはや悪口でしかないのだが、そうであろうとなかろうとエウィンは決断を迫られる。
(は、話しが全然かみ合わない。こんな危険な人からは逃げるしか……。だけど、くそ、いつの間にか囲まれてる)
逃亡経路は、当然ながら背後の森だ。来た道をそのまま戻れば、ミファレト荒野に戻れるだろう。
しかし、その案は現実的ではない。
隠れる必要がないと判断したのだろう、森の中には多数の気配が潜んでおり、殺気すらも駄々洩れだ。
道中、見張られていたことに、エウィンはこのタイミングで気づかされる。
ならば、眼前の魔女を退け、集落を突破するか?
残念ながら、その案も却下だ。
ハクアと名乗った魔女の登場により、野次馬は遠ざかった。
一方で、明らかに異質な気配がいくつも紛れ込んでいる。
その実力は未知数ながらも、王国軍の隊長と同等かそれ以上であることは間違いない。
森の中にもそういった強者が息を潜めており、それが一人や二人ではないことから、逃亡はほぼほぼ不可能だ。
ましてや、赤髪の魔女が見逃すはずもない。
「アゲハ、大人しく捕まりなさい。すぐには殺さないであげる。あ、抵抗するならしてくれて構わないわ。その方が、こちらとしてもやりやすいから」
話し合いは平行線のままだ。立場も立ち位置も異なることから、どちらかが折れるしかない。
「く、アゲハさん、僕が少しでも時間を稼ぎますので、ネ、ネ……、暴力おばさんの力を使ってここから逃げてください」
一か八かの提案だ。
エウィンはそっとつぶやくも、右手は既にアイアンダガーを構えている。戦うしかないと腹をくくっており、勝てないとわかっていても、今はこれ以外の案を思いつけない。
普段のアゲハなら、森を抜けることなど不可能だ。一瞬で伏兵に捕まってしまうだろう。
しかし、彼女のもう一つの人格でもあるネゼが目覚めれば、あるいは可能かもしれない。
現実的とは言い難い確率だ。
それでも、試す価値はあると判断した。
少なくとも、二人揃って棒立ちのままでは、確実に最悪の事態へ陥ってしまう。
エウィンはアゲハの返答を待たずに、一歩を踏み出す。背後からうろたえるような声が聞こえたが、足を止める理由にはならない。
恩人を守るため。
この瞬間こそが、エウィンの待ち焦がれたシチュエーションだ。
ためらう理由などない。
殺されるとわかっていながらも。
殺されるからこそ。
少年は演じるように、敵との距離を詰める。
「僕が相手だ」
「ふん、生意気。マリアーヌ様、予行練習も兼ねて使わせて頂きます。躾ける必要が、ありそうなので」
聴衆に見守られながら、傭兵と魔女が睨み合う。
もはや衝突は避けられない。立ち込める殺気は残念ながら本物だ。
しかし、その本は殺し合いを否定したい。
ゆえに、そのための手段を、このタイミングで承認する。
「まぁ、仕方ないかー。ほい」
さばさばとした返答だ。
しかし、手続きとしては事足りており、ここからは次の段階へ推移する。
ハクアの発言は、そのための宣言だ。
「ありがとうございます。エウィン、光栄に思いなさい、人間相手はあなたが初めてなの」
「な、なにを……」
意味不明なやり取りの最中も、エウィンは敵ににじり寄っていた。走れば一瞬の距離だが、目的は時間稼ぎゆえ、焦ってはならない。
ましてや、一見するとこの魔女は隙だらけのように見えるのだが、単なる幻想だ。
つまりは、侮られており、見下されている。
実力差を鑑みれば、至極まっとうな行動ゆえ、エウィンとしても否定は出来ない。
それでもなお、立ち向かう。足は震えており、短剣を握ったところで威嚇にすらなっていない。
アゲハを庇うための気取った態度に他ならないのだが、悟られなければ勇敢な行いに見えるはずだ。
その愚かさを嘲笑うように、赤髪の魔女が言い放つ。
「火花」
シンプルな一言が引き金となり、純白の本が赤く輝く。
それが合図となり、異変が起きる。エウィンの拘束が一瞬にして成立した瞬間だ。
「何だこれ、透明な壁?」
そうとしか言いようがない。
前と後ろだけでなく、上下左右が壁のような何かで塞がっている。硬いそれはアクリル板のように澄んでおり、無色透明ではなく薄っすらと赤い。
狭いが、腕や顔くらいは動かせる空間に閉じ込められた。
事実、少年の顔は眉をひそめながら周囲を見渡しており、左手は真正面の壁に添えられている。
ここからは種明かしの時間だ。
戸惑うエウィンを眺めながら、ハクアが嬉しそうに口を開く。
「あんたのこと、封印させてもらったわ。そこでしばらく頭を冷やしてなさい。その気になれば、そのまま餓死させることだって可能なん……」
脅しのような説明が途切れた理由は、ありえない光景に思考が停止したためだ。
その原因が、不思議そうに一歩を踏み出す。
「こんな壁に何の意味が」
赤みがかった障壁を突き破り、エウィンが平然と歩き出す。
驚きはした。
しかし、それ以上でもそれ以下でもない。
何をされたのか、不明なままだ。突如として壁が立ちはだかったが、足止めを目的とするのなら、あまりに脆い。
だからこそ、あっさりと突き破れたのだが、この事態が魔女を大きく困惑させる。
「そんな、そんな……。マリアーヌ様! 私の魔源では! 及ばないということでしょうか⁉」
「ううん、一度は成立してたから、そういうことじゃないはず」
魔眼を見開き、純白の本に問いかけるも、答えは返って来ない。
両者共にこの能力については熟知している。
だからこそ、この事態を受け入れられないばかりか、頭を抱えてしまう。
そんなことは露知らず、エウィンは静かに距離を詰めるも、魔女が取り乱す姿には足を止めずにはいられなかった。
「まさか! そんな! これがこいつの天技だって言うの⁉ あ……、だからあいつに選ばれた? そんな能力ありえないはずなのに……。 ありえないはずなのに! マリアーヌ様、今すぐ殺すしか!」
「よりによってそんな天技が存在するなんてね。嘘だと思いたいけど、火花が破られた以上、疑っても仕方ないか。たまたまなんて、それこそありえないし。利用されたら、最悪の事態が訪れちゃう……」
この二人が、正しくは魔女と本が何を話し合っているのか、エウィンにはわからない。
それでもその気迫には怯んでしまった。
こうなってしまっては、後手に回らざるを得ない。
長い髪を振り乱しながら、ハクアがついに動き出す。
「あいつの手に渡ってからじゃ、遅い! 今ここで始末します!」
大事な本を左手に持ち替えれば、準備は完了。
ハクアは右手で握り拳を作ると、眼前のエウィンに殴りかかる。
ためらう理由などない。このままでは最悪な災いが降り注ぐのだから、それを回避するためにもこの少年を殺さなければならない。
エウィンの方からじわりじわりと距離を詰めていたため、その点でも手間は省けた。
相手が十代の若者であろうとお構いなしに、赤髪と白衣を躍らせながら右腕で打ち抜く。
エウィンが今まで死なずに済んだ理由は、当人の努力もあるのだが、大きな要因は二つだ。
一つ目はアゲハ。彼女の治癒能力に助けられたことは、一度や二度では済まない。
もっとも、今回のように即死となっては、何の役にもたたない。
二つ目は予知能力。一寸先の危機的状況を事前に察知出来るため、仮に拳銃で狙われたとしても避けられるはずだ。
そうであると裏付けるように、エウィンはハクアが打撃にいち早く反応するも、残念ながら意味を成さない。その拳は銃弾よりも遥かに速く、つまりは回避行動が全く間に合わないことから、事前に察知出来たとしても避けようがない。
その結果がこれだ。
魔女の拳は真っすぐエウィンの顔に迫る。鼻血や顔面の陥没で済めばよいのだが、ハクアの腕力がそれを許さない。
完膚なきまでの粉砕だ。脳しょうをまき散らし、血の雨を降らすだろう。
それほどの実力差だ。わかっていても、避けられない。
それは同時に、死を受け入れる余韻すらも与えてはくれない。
反応を示したという意味では、アゲハもその内の一人だ。魔女が取り乱した時点で変化を開始し、ネゼの力を一部ながらも引き出してみせる。
黒髪は先端側から半分が青く変色しており、それを合図に駆け出した。
しかし、間に合わない。
ハクアはそれ以上の強者ゆえ、アゲハに出来ることは恩人の死を見届けることだけだ。
エウィンは死ぬ。
ハクアがそう望んでしまった以上、それを否定することは不可能だ。
この魔女は光流暦千十八年におおいて最高戦力に他ならない。
一方で、エウィンはまだ道半ばだ。成長途中であり、その実力は足元にも及ばない。
アゲハの治療も、エウィンの予知能力ですらも、今回は無意味だ。それ以上の殺意が、少年の命を刈り取ってしまう。
ゆえに、死ぬ。
二人ではどうやっても抗えない。
そのはずだ。
そのはずだった。
物語は悲劇として幕を閉じようとするも、観客はそれを望まない。
認めるはずが、ない。
「サせないヨ」
それは音もなく駆け付けた。
正しくは光のような速さで空から舞い降りたのだが、その細腕はハクアの右手をあっさりと受け止めてみせる。
攻撃を防がれたことも癪だが、彼女が顔をしかめた理由は別だ。
「ち、当然のように庇うのね。なにが合格よ、あんたが待ち望んだ能力そのものじゃない。ふざけるんじゃないわよ」
「オー、怖い怖イ。誤解なんだっテ。ダからサ、目くじらを立てないでヨ。キミっていつも短気だよネ。話ヲ、訊いてくれないかナ?」
この状況においても、ハクアはうろたえない。腹を立ててはいるものの、目の前の魔物を威嚇するように睨みつける。
そんな二人を、エウィンは後ずさりながら眺めることしか出来ない。
真正面には、怒気をたぎらせる魔女。髪は血のように赤く、その長さは日常生活において不便なはずだ。
割って入るように、左手側には見知った魔物が立っている。実際には両脚が地面に接しておらず、わずかに浮遊中だ。
これの登場により命を救われたのだが、そうであろうとなかろうと、エウィンはその名をつぶやかずにはいられない。
「オーディエン、なんでおまえが……」
女の顔。
女の両腕。
女の両足。
しかし、これは見間違えようがないほどには魔物だ。
髪は炎で代用されており、胴体も大きな火球でしかない。
頭部と四肢だけが人間を模倣しており、ふざけた姿はこの魔物そのものと言えよう。
「危なかったネ。ハクアは、ホら、気が短いかラ」
「いちいち言い換えないで。あんたと話してると本当にイライラする……。どきなさい、あんたが現れた以上、そいつは今ここで絶対に殺す」
オーディエンとハクア。
魔物と魔女。
相容れない両者のはずだが、口ぶりからして面識があることは確定だ。
「ファファファ、ソうはさせないヨ」
「まぁ、そう言うわよね。あんたにとっては大事な手札、いえ、切り札なんだから」
「ソのことなんだけド、サっきも言った通リ、誤解なんだっテ」
「なにがよ」
「ワタシだって知らなかっタ。エウィンにこんな力があるなんテ……ネ。ファファファファファ!」
嬉しそうに。
楽しむように。
炎の魔物が天を見上げながら笑う。
その姿は道化師そのものだが、エウィンとハクアは至って冷静だ。
「僕の……? リードアクターなら、おまえだって知ってるだろう?」
「リードアクター? 何のことよ。あぁ、アゲハのせいで忘れてたわ。そういえば、持ってるって言ってたわね」
エウィンの天技はリードアクター。白い闘気をまとい、身体能力を大幅に高めることが可能だ。
制限時間はたったの十秒ほどゆえ、ここぞというタイミングで使いたい。
驚くことに、名付け親はオーディエンだ。エウィンとしては父殺しの案を採用したくはなかったのだが、代替案が思い浮かばなかったため、気づけば受け入れてしまう。
「ンー、違うんだけド、違わないのかナ? エウィン、他にもあるよネ? トっておきの何カ」
「他って、それこそおまえは知ってるだろう? リードアクター以外だと、魔物の探知、それとピンチの予測」
つまりは三つの能力を会得している。
もっとも、これでは説明がつかない。
オーディエンが声を殺して笑う中、ハクアが赤髪を揺らしながらわずかによろめく。
「て、天技を三種類も? ありえないわ。そんな事例、見たことも聞いたこともない。本当なの?」
「そうです、けど……」
「いえ、違う、こいつはもう一つ持っている。オーディエン、そういうことよね?」
「ソうとしか考えられなイ。ダって、ソうだろウ? 白紙大典の封印は絶対だらかネ!」
(びゃくし、たいてん? 何のこと?)
魔物の口から飛び出した、見慣れぬ単語。
白紙大典。
当然ながら、エウィンは初耳だ。
それでも説明もなしに魔女と魔物は話しを進める。
「私だって馬鹿じゃない。魔物相手には実験済み。結界は内からも外からも、絶対に破れない。発動さえすれば……」
「ウん、ソうだネ。一属性に過ぎない火花でさエ、ソの拘束は絶大ダ。奥義ともなれバ……、イや、話しを戻そウ。ハクアと白紙大典の組み合わせは無敵のはずダ。ソのはずだっタ。ダけど……。エウィンはキミ達にとってモ、天敵のようだネ。ファファファファ」
当事者を置き去りにするやり取りだ。
ハクアは悔しそうに。
オーディエンは楽しそうに。
エウィンについて話し込む。
魔物の出現によって里がざわつく中、もう一人の異物が少年に語りかける。
「よかった、無事で……」
本来は先端だけが青い黒髪。今は先端から半分程度が青色に変わったままだ。
衣服に染みが出来ている理由は、大粒の涙が原因だ。水滴が頬をつたって零れ落ちており、その顔は悲しそうに歪んでいる。
「え、アゲハさん? す、すみません、ご心配をおかけして……」
「ううん。よかった、本当に、よかった……」
涙を流しながら、少年の胸元へそっと寄りかかる。
その姿は恋人か夫婦のようだが、エウィンは慣れない状況にうろたえることしか出来ない。
もっとも、このような光景を見せつけられてしまっては、魔女達は自分達こそが悪役だと気づかされてしまう。
「どうしてくれんのよ、この空気」
「サぁ? ワタシに言われてもネ。トりあえズ、二人のことは殺さないでくれないかナ?」
引っ込めた右手を白衣のポケットに突っ込みながら、ハクアが愚痴る。殺意はすっかり消え失せており、つまりは白けてしまっている。
オーディエンは安堵したような表情だ。人間の感情について学べてはいるものの、心の機微までは把握出来ないため、マイペースに要望を伝え続ける。
もっとも、この魔女としても譲歩は難しい。
「ふざけないで。この二人は生かしてはおけない。最低でもエウィンだけは絶対に殺す。拘束を破る天技なんて、人類にとっては最悪過ぎるもの。ましてや、あんたに気づかれたとあっては、この場で始末するしか……」
「ン~、本当に頑固だよネ~。キミが折れてくれないト、ワタシだって抵抗するしかないんだヨ? イいのかナ? ワタシ達が本気で戦ったラ、コんな場所、アっという間に消し飛んじゃうヨ」
脅しのようで、そうではない。それほどの力がぶつかり合うのだから、淡々と事実を述べている。
隠された里だけでなく、迷いの森さえも荒野の一部になり果てるだろう。生存者など期待出来るはずもなく、つまりはオーディエンにとってここの住民は人質でしかない。
「やれるもんならやってみなさいよ。いざとなれば、刺し違えてもぶっ殺してあげる」
「オー、怖い怖イ。アルジを解き放つまでハ、死にたくないんだよネ。ア、ソうだ、イイこと思いついタ。キミがエウィンとアゲハを殺したら、ワタシがキミの大事なニンゲンを片っ端から殺しちゃウ」
最悪の提案だ。それを嬉しそうに言い放つのだから、オーディエンの顔が人間の女性であっても中身は魔物そのものだ。
この発言がハクアの表情を一瞬だけこわばらせるも、言い返さずにはいられない。
「だから、それだって力づくで阻止してみせるって言ってるの」
「ファファファ、面白いネ。コこを捨てテ、王国に移り住むのかナ?」
「な、まさか……」
「先ずはウイルを殺ス。次いデ、家族とメイド。最後ニ、キミのお気に入りを弱火でゆっくりと燃やス」
妙案だと言わんばかりに、魔物の顔は満面の笑顔だ。
つまりは本気であり、実行することに罪悪感など感じるはずもない。
「ウイルもパオラも関係ないでしょう! ふざけないで!」
「オっと、話しはまだ途中だヨ。ソの次ハ、英雄ともてはやされている連中も皆殺しダ。王の血筋モ、コこで途絶えてもらおウ」
嘲笑うオーディエンと、怒り狂うハクア。二人の闘志は本物ゆえ、部外者が近寄れるはずもない。
ひりつく空気は殺し合いの前触れだ。
そうであると裏付けるように、赤髪の魔女が吠える。
「殺す!」
「イイネ! キミはワタシとアルジだけを狙ってくれればイイ! ダから、エウィン達は見逃してくれないかナ?」
「そんな理屈で私を丸め籠めるとでも? 馬鹿にしないで」
「ヤれやレ、ハクアは本当に頑固だネ。ソれが君のいいところでもあるんだけド。ソういえバ、マだ見てないよネ? エウィンのとっておきヲ……。リードアクターヲ……」
炎の体を揺らしながら、オーディエンが笑う。
残念ながら、落としどころは見いだせない。
ならば、新たなカードを切るまでだ。
「マリアーヌ様に似た天技……」
「ソう。キミが選んだ小さなニンゲンよりモ、可能性があるってことを教えてあげル。エウィン、ワタシが守ってあげるかラ、使ってくれないかナ?」
魔物が人間を庇う。
本来ならばありえないシチュエーションだ。
しかし、オーディエンが駆け付けたことでエウィンが殺されずに済んだことは紛れもない事実だ。
ゆえに受け入れるしかなく、泣いているアゲハを胸に抱きながら小さく頷く。
「わかった。発動と共に逃げろってこと?」
「イや、モう心配いらなイ。キミこそが世界を救うっテ、気づいてもらえるかラ。ハクアなラ、ワかるはずダ。エウィンのそれハ、ソういうものだかラ……」
諭すように。
導くように。
魔物が優しく語りかける。
エウィンは未だに困惑中だ。
わかっていることは一つだけ。自分達が弱者であり、眼前では二人の強者がいがみ合っている。
残念ながら、理解はそこまでだ。
ゆえに、今は従うしかない。
それが、これだ。手渡された台本通りに、主役を演じる。
「そういうものって……。一体全体何もわからないけど、やるよ。よりによっておまえに守られて、しかも命令までされて……。情けなくて仕方ないけど、理解するためにも、アゲハさんを守るためにも……」
読み上げるだけだ。
多数の視線に見られながら、少年は転生者を守るように台詞を綴る。
「色褪せぬ記憶は、永久不変の心を顕す」
始まりだ。
そうであると裏付けるように、不可視の闘志が空気を震わせる。
それを合図にエウィンの頭髪や衣服が揺れ始めるも、ここはまだ序章でしかない。
「争いの果てに、涙を散らす者達よ……」
世界は終わる。
世界は始まる。
その意味を知る者は、ここにはいない。
それでも、エウィンはアゲハに選ばれた。
彼女を地球へ帰したい。その感情は嘘ではないのだから、ここで死ぬわけにはいかない。
「我らの旅路を指し示し、絢爛の明日へと導きたまえ」
大気が揺れ、背後の森が呼応するように震え始める。
そんな中、赤髪の魔女は叫ばずにはいられない。
「こ、こんな! マリアーヌ様!」
「うん、そっくりだねー。まぁ、最後まで見届けよう。だって、なーんもわからんちん」
真っ白な本に促され、ハクアは一旦口を閉じる。
この歌が途中であることを、理解している証拠だ。
「在りし日の思い出と共に、色褪せぬ幻影を抱きし者よ……」
地面が揺れているのか?
自分達が揺れているのか?
もはや、その区別さえも困難だ。
その中心で、傭兵は誰かの想いを口ずさむ。
「揺蕩う理想郷で、色褪せぬ想いに寄り添う者よ……」
人間に殺されかけた。この事実は揺るがないが、エウィンは二本の足で立てている。
魔物に守られたからであり、非力ゆえの結果だ。
そう受け止めるしかない。眼前の魔女はそれほどに強く、オーディエンと互角にやり合えるという主張を鵜呑みには出来ないものの、嘘とも思えない。
言われるがまま、今は出来ることをするだけだ。
弱者ゆえに選ぶことは許されない。
この世界の理であり、今は大人しく従う。
「祝福されし幼子達を、見守りたまえ。蔑みたまえ」
完了だ。
手続きは成された。
今はまだ弱くとも、この少年はいつの日か必ずたどり着く。
アゲハと出会った。
オーディエンに見出された。
そして、ハクアという魔女からも手荒な歓迎を受けた。
始まりだ。
四人はついに巡り合った。
それぞれの願いが叶う。これはその一歩でしかない。
緑色の髪が揺れる。
森が揺れる。
大地が揺れる。
青々とした空に見守られながら、世界がついに動き始める。